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再燃の恐れ…終わらぬフォークランド紛争

領有権をめぐってイギリスとアルゼンチンが長年もめているフォークランド諸島。両国間で紛争が起こってから、今年で30年になります。再び両国間で領有権をめぐる争いが激しくなっているようですが……

執筆者:All About 編集部

イギリスとアルゼンチンの間で長く続く領有権争い

フォークランド諸島は南米大陸の南の方にある。

フォークランド諸島は南米大陸の南の方にある

単純に言えば、「フォークランド問題」とはイギリスとアルゼンチンの間で長年続く領有権争いです。フォークランド諸島は南米大陸の南大西洋上、アルゼンチンの東にある島々。大きな島が2つと、700以上の小島から構成されています。

イギリスは1833年、アメリカが占領していたフォークランド諸島を奪還し、統治を始めます(この時代は帝国主義時代で、欧米列強が世界各地で植民地の奪い合いをしていた)。アルゼンチンは地理的に近いこともあってフォークランド諸島をイギリスから取り返す機会をうかがいますが、なかなか実行に移すことができません。ちなみにアルゼンチン側のフォークランド諸島の領有権主張の根拠は、1494年のトルデシリャス条約です。トルデシリャス条約とは、スペインとポルトガルの間で植民地の分割について取り決めた条約。ここでフォークランド諸島はスペインのものと規定されていて、それをスペインから独立したアルゼンチンが、そのまま相続したというのがアルゼンチンの主張です。

1982年、紛争が勃発

フォークランド諸島奪回の機会をうかがっていたアルゼンチンですが、第二次大戦後に少しずつ動き始めます。イギリスは第二次大戦後に植民地を次々に手放すのですが、フォークランド諸島だけはまだ保有していました。

一方、アルゼンチンは国内の政治・経済情勢がなかなか安定せず、フォークランド問題にはなかなか取りかかれませんでしたが、1981年ガルチェリ大統領が就任すると、話が変わってきます。

アルゼンチンでは前任のビデラ大統領時代から、混乱が広がっていました。政治的には、「汚い戦争」と呼ばれる国内の粛清によって、反対派の市民が数万人も拉致され殺害されたといわれています。経済的には、高インフレ状態。ガルチェリ大統領は積り続ける国民の不満をそらすため、フォークランド問題を利用することにします。ちなみに、このように国民の不満をそらすため戦争を始めるというのは、古今東西よく使われる政治手段です。

2ヶ月半に及ぶ戦闘の末、イギリスが勝利

ガルチェリ大統領は1982年、フォークランド諸島への侵攻を開始しました。3月末に軍を送り、フォークランド諸島のイギリス軍を攻撃し、数日間で制圧、占領。

これを見てイギリスが黙っているはずもなく、反撃に出ます。ただ、イギリスからフォークランド諸島はあまりにも離れており、陸軍などを大量に派遣することは難しく、空軍・海軍中心で作戦を進めます。4月中旬からフォークランドまでやってきたイギリス軍と、アルゼンチン軍の本格的な戦闘が始まりました。

紛争の細かい進展は省略しますが、6月中旬にはイギリスが勝利し、結局フォークランド諸島はイギリスの領土に。ガルチェリ大統領は敗戦の責任を取る形で、停戦のわずか数日後に辞任しています。
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