ネワールの歴史 ~仏教とヒンドゥー教の融合~
カトマンズでもっとも古い寺院といわれるチャングナラヤン。繊細なネワール彫刻と、カトマンズ、パタンを見下ろす景色で有名な名所
パシュパティナートにいたコブラ使い
インドやネパールで仏教は一時大きく広がるが、やがてヒンドゥー教と融合・同化し、多くは吸収されてしまう。7世紀、わずかに残った仏教の一部はヒンドゥー教のタントラの影響を受けて密教として伝承され、それが8世紀にチベットに伝わってチベット仏教として花開く。
一方、カトマンズの地に住んでいたのがネワール族で、彼らももとは仏教徒だった。しかしインドと同様にやがてヒンドゥー教と融合。さらにチベットへの玄関口であることからチベット仏教まで吸収する。
ヒンドゥー教の街には必ず沐浴場があり、人々が身体を清めたり、洗いものをしている
11世紀、ネワール族はカトマンズの地に進出すると、12世紀にはマッラ王朝を建てる。15~17世紀にかけて王朝は3つに分裂してそれぞれ首都をカトマンズ、パタン、バクタプルに置く。この3つの古都が世界遺産「カトマンズの谷」の中心的な遺産となっている。
ネパールの中心カトマンズ
カトマンズの旧王宮、ダルバール広場。右がマジュ・デガ、中央奥がクマリの館、左の西欧風の建物がガディ・バイサック ©牧哲雄
3つに分裂したマッラ朝だが、やがて18世紀後半にグルカ王プリトビ・ナラヤン・シャハがネパールを統一し、カトマンズを首都に定めた。カトマンズのダルバール(王宮)広場に密集する旧王宮や寺院、住居は、このマッラ朝~シャハ朝の時代に建てられたものがほとんどだ。
ダルバール広場にあるシヴァ・パールヴァティ寺院の木像。下界を見下ろすシヴァとパールヴァティ夫妻 ©牧哲雄
ダルバール広場周辺の主な建物は、まず、マッラ朝~シャハ朝の時代に建造・増築を重ねた9層の城郭バサンタブル・バワン。シャハ朝の王たちははじめここを居城にした。すぐ近くにはシヴァ神を祀る三重塔マジュ・デガ、猿の神ハヌマーンの門=ハヌマーン・ドカ、巡礼者たちの憩いの場カスタ・マンダパ、ミトゥナで有名なジャガンナート寺院などがある。
独特なのがクマリの館だ。クマリとは、シヴァの妃ドゥルガー(パールヴァティ)、あるいは女神タルジュの生まれ変わりといわれる少女で、ネパール各地にクマリの館があって、化身である少女が慎重に選ばれて、初潮を迎えるまで神として生活している。特にダルバール広場にいるクマリは国を代表するロイヤル・クマリと呼ばれ、国王さえその祝福を受けていた。
なお、シャハ朝は2008年5月28日の王制の廃止・共和制への移行をもって終了し、ネパール王国はネパール連邦民主共和国へ国名を変えた。