散歩/昭和を振り返る散歩ルート

中野~新宿 消えゆく昭和 再開発地区を歩く(3ページ目)

中野長者の足跡を訪ねて、再開発の進む旧淀橋地区を歩き、熊野神社、十二社温泉につかる散歩。再開発が進む西新宿を見つつ、消えゆく昭和に思いを馳せる。街は絶え間なく変わりゆくのだ。

増田 剛己

執筆者:増田 剛己

散歩ガイド

様々な伝説のある淀橋を渡って新宿へ

新宿区と中野区の境、神田川の上にかかる淀橋。名前の由来は諸説ある
青梅街道を新宿へ向かって歩く。今は車の通りの激しい道である。

新宿区と中野区の境、神田川の上にかかるのが、淀橋である。淀橋となったのは諸説あるが、以前は「姿見ずの橋」と呼ばれていたそうだ。なぜかといえば、中野長者が貯めた財宝を武蔵野の山に埋めようと家来とともにこの橋を渡った。ところが行くときは確かにいた家来は帰りには姿が見えなかったという。財宝の隠し場所を知ってしまった家来を切り殺したのである。なんとも怖い言い伝えである。しかし、この橋の伝説を明治まで人々は信じていて、花嫁行列はこの橋を通らなかったそうだ。

淀橋の名前をつけたのは徳川家光であるとも言われている。さすがに「姿見ずの橋」は不吉でよくないので、大阪の淀川に似ているので、淀橋とつけようと名前を変えさせたという説がある。江戸時代に名前を変えてもさらに伝説だけは生き続けたということになる。淀橋の由来は他の説もある。「余戸橋」あるいは「四戸橋」が淀橋に変化したというものだ。いずれにせよ、いまとなってはよくわからない。

更地が点在する西新宿。再開発が進み、行くたびに街の風景が変わる
さて、淀橋を渡ってしばらく歩くと成子坂下交差点がある。左側の地域が北新宿、右側が西新宿である。かつて、この両方は淀橋区であった。戦後、東京は23区に再編されるのだが、それ以前、今の新宿区は「淀橋」「牛込」「四谷」という3つの区に別れていた。なかでも淀橋というのは、かなり定着していたらしい。そして、淀橋区は大きく2つに分かれていたとNくんは説明してくれた。

「ひとつは柏木で、もうひとつは角筈(つのはず)というんですよ」

なんだか、両方とも聞いたことがあるなぁ。というか、どっかで見た覚えがある。この原稿を書くために調べてみたら、現在の北新宿が柏木地区、西新宿が角筈地区であった。

そして、僕たちはかつて柏木と呼ばれていた地域に足を踏み入れる。ここは、再開発の時代を迎えていて、半ばゴーストタウンのようになっている。更地になっているところとにポツンともう営業をやめてしまった古い商店があったり、途中から細い路地がぶった切られていて、そこが整地されていたりと街そのものが大きく変貌しつつある。

旧柏木地区。ところどころに昔の名残が点在する
立ち止まってはカメラのシャッターを切るNくんは思わず、

「ここは奇跡の街ですねぇ」

と興奮気味にしゃべっている。なるほどね。奇跡か。と言われても、僕はかつて都庁のできる前の西新宿界隈の風景を毎日、自転車で通っていて、あのころと同じような街の変わり様だから、奇跡とまでは思えない。

さらに柏木の路地を入っていくと「柏木特別出張所へ」という案内板。行ってみるとけっこう立派な建物で「新宿区立柏木区民センター」の文字。ここはまだ柏木として残っているようだ。街が大きく変わるときの胸騒ぎに似た何かが確かにこのあたりにはある。
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