プロレス/プロレス関連情報

ゆでたまご嶋田先生が語るキン肉マン1(2ページ目)

ゆでたまご・嶋田隆司先生に語ってもらった90分には、成功へのキーワードがいくつも散りばめられていた。キン肉マン誕生から27年。“あの頃の少年達”へ贈る特別インタビュー。

執筆者:川頭 広卓

明かされる「ゆでたまご」ペンネームの真相

インタビューに訥々と、しかし語気に熱さを感じさせる嶋田先生
ガイド:現在の役割は、完全に分けていらっしゃるのですか?

嶋田先生:最初は一緒の仕事場で描いていたんですよ。小学校からずっと友達で、高校でキン肉マンでデビューしたんですけど、一緒に生活するなんてこれまでなかったので、やっぱりうまくいかないんですよね。

ガイド:なんか分かる気がしますね。

嶋田先生:で、担当編集者に(漫画を)やめるっていったんですよね。でも、その当時、キン肉マンは人気投票でもベスト5に入っていて、「何でやめるの?それだったら、役割分担決めて別々の仕事場でやったら?」って言われたんですよ。それで、仕事場だけでなく、原稿料を振り込んでもらう口座なんかも分けて、どっちがどんな仕事を請けてもギャラは折半にしたりと。

ガイド:その仕事のスタイルは現在も変わっていないですか?

嶋田先生:そうですね。それ以後はうまくいきましたね。

ガイド:ちなみにペンネーム“ゆでたまご”の由来は?お二人によって説が違うようですが。

嶋田先生:相棒は「おならして、それがゆでたまご臭かったから」と言ってますけど、恐らくその説が正しいかなと思うんですよね。たまたまです。キン肉マンを投稿するギリギリのところでペンネームが思いつかなくて……。昔は藤子不二雄さんみたいに、二人の名前をつけたりとかしてました。でも、マガジンに応募したりもしてダメだったときに、ペンネームが悪いってなって。

ガイド:キン肉マンは連載当初、変身もののギャグ漫画でしたが、どのようなキッカケで作品の方向性が変わっていったのですか?

嶋田先生:最初はウルトラマンのパロディで、キン肉マンは巨大化とかもしてましたが、当時、馬場と猪木が久々に組んで、ブッチャー・シンと闘ったことがあったんです(注1)。それで、キン肉マンもテリーマンと組んでアブドーラ&猛虎星人と闘う話しを描いたら、それが凄い評判よくって……。

ガイド:日本武道館での、プロレス夢のオールスター戦ですね。

嶋田先生:まあ、それは一エピソードですけどね。他にも、“超人とは何か”を示すために、オリンピック競技で超人達に競わて月までウサギを獲りにいったりとか、あくまでそれだけやろうとしていたんですよ。それが、たまたまリングで闘わせたらメチャクチャ人気が出たんですよね。自分達も元々プロレス好きでしたから「よし、じゃあこの路線でいこう」って。

ガイド:当時の時代背景を、うまくキン肉マンへ投影したという訳ですね?

嶋田先生:やっぱりオープンタッグ(注2)の決勝とか凄かったですからね。そろそろプロレスがブームになってきたかな、って時でしたから。
  • 前のページへ
  • 1
  • 2
  • 3
  • 次のページへ

あわせて読みたい

あなたにオススメ

    表示について

    カテゴリー一覧

    All Aboutサービス・メディア

    All About公式SNS
    日々の生活や仕事を楽しむための情報を毎日お届けします。
    公式SNS一覧
    © All About, Inc. All rights reserved. 掲載の記事・写真・イラストなど、すべてのコンテンツの無断複写・転載・公衆送信等を禁じます