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矢部次郎選手インタビュー もうちょっと現役にこだわりたい(4ページ目)

サッカーライター江藤高志さんが矢部次郎選手をインタビュー。矢部選手は昨年鳥栖を解雇され、来季プレーできるチームを探している。彼が語ったサッカーにかける思いをどうぞ。

執筆者:小野寺 俊明

サッカー選手として社会と関わる

鳥栖にいて一番気持ちが変わったのが、社会貢献というか、サッカー選手の立場から社会の中で行動するって事でした。鳥栖ってスタッフの数が絶対的に少なくて、スタッフみんながいくつかの役職を兼務しているんですよね。だからいろいろ手伝いました。

小学校の朝礼に朝8時から出て行って宣伝したりとか、鳥栖市内の小中学校の生徒が無料という日があるんですが、そういうときも学校に昼休みに行って校内放送で宣伝をしたりしました。分校にサッカーを教えに行った事もありましたね。場所にもよりますが10数人とかの学校です。一応会社の人に間に入ってもらうんですが、教育委員会に話を通してもらって。行くのはオフの日なので他の選手は誘えない。だから一人でやるんだったら分校がいいかなと。ぼくもそういうのんびりしたところが好きでしたし。ただ、去年は会社がそういう活動に手を出せなくて、全然活動できなかったのが残念です。

そういう活動をする最初のきっかけは、心臓病の子どもとの出会いでした。その子は鳥栖市内に住んでいて、お母さんから『矢部選手のファンなんです』という手紙をもらって。2002年のシーズンだったんですが、手紙には住所が書かれていて、家の近くだったので調べて訪ねて行きました。連絡せずに行ったので相手はびっくりしてました(笑)。で、スパイクをプレゼントして次の試合を見に来てください、って招待しました。その話が膨らんで、その子が通っていた幼稚園にお願いして、そこの子どもたち11人と選手が手をつないで入場したんです。シーズンも最後の方(39節)の山形戦でした。

その試合中は点を取ってやろうなんて思ってませんし、忘れてて、普段どうりにプレーをしていたんですが、結構押せ押せで勝ちたいと思っていたら、残り数分のところで(後半37分)にぽろっとぼくのところにボールがこぼれてきたんです。それがそのシーズンの初ゴールでした。そのまま試合が終わってから『ああ、そういえば』と思い出しました。次の日に練習に行ったら、その話を取り上げた新聞記事をコピーしたものをスタッフが持ってきていて、みんなが『いい話じゃん』という感じで言ってきました。そういう事がきっかけで地域に貢献する、関わる、という事に興味がわいてきたんです。

その子の家には鳥栖を離れる日に顔を出してユニフォームとかプレゼントしてきました。普通には生活できるみたいですが、水泳とかマラソンとか、サッカーとかの激しい運動はできないみたいです。

昔の鳥栖にはチームの手伝いをする人が多かったんですよ。島岡健太さん(2001年に退団)は『お金ないなら手伝おうか、おれらの方が顔は利くだろうし』みたいなノリで。そうやって選手たちが会社の活動に協力する姿勢があるチームでしたね。
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