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役者にスキャンダルはつきもの?

中村鴈治郎丈とええ舞妓さんとの密会がちょっと話題になりました。事実はさておき終日ワイドショーネタになっておりました。元々役者にはスキャンダルはつきものだったようです。

執筆者:五十川 晶子

フライデーの中村鴈治郎丈の記事と写真をごらんになった方も多いでしょう。
事実はさておき、ちょっと刺激的、かつ、上方の歌舞伎役者ならではのちょっと艶っぽい話題でした。
だからというわけでなはいですが、元々役者ってこういうスキャンダルがつきものではなかったっけ?と、自分が扇大臣だったらそりゃまあイヤな気分だよなと思いながらも、ことさら1日中テレビ番組で取り上げるようなことなのか?と素朴な疑問を感じたりもします。
それはさておき。
現代なら写真週刊誌ネタ、いや、ネットで人気のタレントやスポーツ選手の話題はあっという間に広がり、簡単に手に入りますが、江戸時代は劇場がそのメディアの役を果たしていたようです。また、役者のスキャンダルは古今東西変わらぬものらしく、かなり大騒ぎとなった事件もあるようです。

江戸は安永七年(1778)、五代目市川団十郎は舞台で芝居の途中、とつぜんキレました。キレて舞台から四代目松本幸四郎が広めた自分の噂話について、怒りの声明を発表。どうやら幸四郎が、同じ市川一門の二代目市川八百蔵の未亡人・るや夫人との密通の噂を流したようです。この市川団十郎の五代目という人は、なかなかおおらかかつクールな人物で、俳諧を好み、後に立川焉馬ら文人と深くつきあったことで有名です。有名なのは江戸東京博物館のシンボルマークにもなっている写楽の描いた役者絵でしょう。

一方、四代目幸四郎は、男ぶりもよくリアルな芸が得意だったようで、駄洒落が好きな人物だったようですが、自分の息子の出世を図り、その画策の一環として噂を流した模様。舞台で幸四郎を弾劾した団十郎はその芝居以降、中村座を退座し、森田座へ、幸四郎も座を追い出された模様です。平賀源内が五代目団十郎を援護射撃したというエピソードも残っています。以後九年間、団十郎と幸四郎は絶縁状態だったといいます。

さらにこの幸四郎、かなりトラブルメーカーだったらしく、初世尾上菊五郎ともひと悶着起こします。安永九年市村座で、怒り心頭に達した菊五郎は、小道具の財布を幸四郎に投げつけ、幸四郎に向かって白刃を取り出したようです。幸四郎も脇差を弟子に持ってこさせ、あわやというところを何とか周囲が治めたというエピソードがあります。


舞台で役者が誰かを弾劾したり、殺そうとしたり、(初代市川団十郎は何者かに舞台で殺されていますが)かなりスキャンダラスな事件が起こっていたことを思うと、芝居小屋は芝居を見るだけの場所ではなかったようです。どんな客がいるか、誰といるのか、どんなスタイルでいるのか、そんな情報が飛び交うメディアの役割を果たしていたのでしょう。
舞台で役者が問題発言や喧嘩沙汰なんて、少なくとも現代ではまず考えられない状況。でも、・・・一観客としては、非常に面白い”場”だったのでしょうな。

(写真上・五代目市川団十郎、下・四代目松本幸四郎 いずれも写楽)
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