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あんなに望んでいた子どもなのに……
コロナ禍で妊娠。しかし夫が雇い止めに……
5年前に結婚、なかなか子どもができなかったがようやく昨夏、妊娠したのはカオルさん(33歳)だ。ところが妊娠がわかり、2歳年上の夫とともに喜んだ数日後、夫が職を失った。「結婚してすぐにでも子どもがほしかったんですが、なかなかできなかった。3年ほどたったところで夫は勤め先の人間関係に疲れて退職、半年ほど療養したあと、非正規で仕事をしていたんです。早く正社員にと焦っていたとき、コロナ禍が勃発。夫は週2回の出社になり、給料も激減しました」
性的関係はほとんどなくなっていたのだが、沈んだ夫の心を慰めるために彼女からベッドに潜り込んだ。その結果の妊娠だっただけに、「皮肉な話」だと思ったが、まずは子どもを授かったことに感謝したという。
「夫はダブルワークをしてでもがんばると言ってくれていたのに、その数日後に非正規で働いていたところが雇い止めとなり、その足でハローワークに行ったものの、仕事はほとんどなかったそうです」
夫はそれから沈鬱な表情でぼんやりとリビングのソファに沈みこむことが多くなった。
会社の業績も悪化……妊娠を伝えられない
「私は春に緊急事態宣言が出てから週1回出社でしたが、6月から通常勤務に戻ったんです。ただ、会社の業績がよくないと発表されて希望退職者を募る事態になっていました。ここで妊娠を伝えたらクビを切られるのではないかと不安で、会社には言えないままだったんです」慕っていた上司が、目標にしていた先輩が去って行った。カオルさんの心も穏やかではいられなくなっていく。
「夫も情緒不安定だし、私も少しずつ気持ちが落ち込んでいって……。それに収入が減って、子どものためにと貯めていた貯金を3万、5万円と崩していくようになって、そのたびに不安が募っていく。このままだと子どもを産むことも育てることもできないと焦りが募りました」
会社には暗い雰囲気が漂っている。自分自身の居場所もなくなっていることに気づいてはいたが、彼女は辞めるわけにはいかなかった。
「そんなとき、先に辞めてうまく再就職できた先輩が、『私が今いるところで募集してる。契約社員でよければ』と教えてくれたんです。話を聞くと将来性があるし、そのときの勤め先より雰囲気も明るい。そこで思い切って面接を受け、採用が決まったんです」
夫は心療内科に通ってカウンセリングを受けながら、少しずつ家事をするようになっていた。とはいえ、まだ仕事を探しに行く気力はわかない。
このままでは貯金が底をつく。夫婦がとった悲しい選択
会社に退職願を出した。第二次の希望退職だったため退職金が少し増えた。それでも生活と子どものことを考えると、とてもやっていけるとは思えなかった。「夫に、『私たちのところに生まれてくる子どもは幸せかな』と言ってみました。夫は力なく首を振るだけ。今回はあきらめようか。そう言うと夫はぽろりと涙をこぼしました。新しい会社に行ってすぐ産休だなんて言えません。経済的にも貯金が底をつくのは目に見えていた。10週に入ったところで、あきらめて中絶しました」
カオルさんの目から一気に涙があふれ出た。
それから1週間後、彼女は新しい会社に出勤するようになった。仕事も人間関係も最初から好調だった。
「契約だけどお給料も前よりいいし、何より社内の雰囲気が明るいから救われます」
秋になるころ、夫もアルバイトを始めた。そのかたわら正規職員の道も探っている。それでも子どもをもてるようになるのはいつか、見通しは立たない。
「コロナでこんな選択をするしかなくなるとは思ってもみませんでした。もう一生、子どもをもてないかもしれない。そう思うとつらくてたまらないけど、あのままの状態で生むこともむずかしい。とりあえず、今は夫と二人、生きていくことを考えていくしかない」
二人とも地方出身で、すぐに帰れる距離ではないし、頼れる親族もいない。お金の相談をされても親も困るだろうと二人とも考えたという。
「どちらかの実家が経済的に余裕があれば借りることもできたでしょうけど、二人とも三人きょうだいの末っ子で、実家は裕福ではありません。それでも嘆いてばかりはいられない。少しずつ前を向いていくしかないよね、と夫と話し合っています」
こういった20代、30代の夫婦は少なからずいるだろう。いつになったら安心して生活できるのか、自分たちに将来設計はできるのか……。不安は尽きないとカオルさんはつぶやいた。
教えてくれたのは……
亀山 早苗さん
フリーライター。明治大学文学部演劇学専攻卒業。男女の人間模様を中心に20年以上にわたって取材を重ね、女性の生き方についての問題提起を続けている。恋愛や結婚・離婚、性の問題、貧困、ひきこもりなど幅広く執筆。趣味はくまモンの追っかけ、落語、講談、浪曲、歌舞伎、オペラなど古典芸能鑑賞。All About 恋愛ガイド。