スケボーのブームそして終焉、誕生から五輪までの歴史を振り返る

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今回は、つい先日発表された「2020年の東京五輪にスケートボードが」って話。皆さんもニュースかなんかでご覧になりましたでしょうか? 僕はまだ30年くらいしかスケートボードをしていないので、先輩達を差し置いて偉そうなことは言えませんが、このタイミングで改めてスケートボードシーンの流れを考えてみたいと思いました。


まずはオリンピックに至るまでの経緯をザックリと。
   

サーフカルチャーから生まれ落ちたスケートボード

「ユースカルチャー」、「ストリートカルチャー」の一部として若者を中心に人気のスケートボードですが、その発祥から発展には大きな区切りがいくつかあります。

サーフカルチャーから生れ落ちたスケートボードは、サーフィンの陸上練習用の道具としての側面と、街で子供たちが乗って遊ぶおもちゃのひとつとしての側面を合わせて急速に発達していきます。

僕がまだスケートボードを始める前の60~70年代の資料を見ると、やはりサーフカルチャーの影響が色濃く、ホットパンツにヘアバンドな出で立ちで、パイロンの間をクイックにスラロームで滑り抜けるライダー達がメインストリームでありました。
 

 

当時の日本ではデニムの流行やトラッド、アメカジ、ヒッピーと呼ばれるアメリカでムーブメントとなったカウンターカルチャーを包括したファッションが一気に広まり、当時の日本の若者たちは物凄い勢いで流入してくるアメリカンカルチャーにどんどん傾倒していきます。そのアメリカの若者文化の流れのひとつにしっかりとスケートボードがあり、小さめの葉っぱ型のスケートボードを小脇に抱えて街に集まる若者も増えていきました。

どちらかと言えばサラっとサーファーっぽいイメージのスケートボードが80年代に入るとかなり様相が変わります。今となっては「オールド」も「ニュー」もありませんが、スケートカルチャー的には「オールドスクール時代」と呼ばれるストリートスケートの台頭が始まります。
 

「オーリー」の発明で一気に進化が進んだスケートボード

クネクネとスラロームで滑るスケートボードが、アメリカ中の街中で坂やバンクや様々なシチュエーションで楽しむことから急激に発達してトリックやスタイルが磨かれていきます。70年代の後半にはアラン・ゲルファルトというライダーがランプのトップから空中に飛び出す「オーリー」というトリックをメイクして、スケートボードはより進化のスピードを増して成長を続けていきます。

「空中に飛び出す」ことは今では普通のことですが、当時はかなりの衝撃を持って受け入れられていきました。それまでは地面にぴったりくっついて滑っていたスケートボードがいきなり3Dになるのですから、誰が見ても限りない可能性を感じたことと思います。そしてローカルやライダーの流行や好みで、トリックに合わせてデッキやトラックやウィールなどのパーツがどんどん進化・変化を繰り返し、デッキは「フィッシュテール」と呼ばれる魚型の形状に、トラックはより頑丈に、ウィールは素材のウレタンの進化も合わさって様々な大きさや硬度が試されるようになりました。ここがいわゆる「オールドスクール」とカテゴライズされる大きな潮流のはじまります。

また、主にフィッシュテールのデッキを使うスタイル以外にも、細長いデッキで平らな路面でいかに難易度が高いトリックを繰り出すかを競う「フリースタイル」、パイプを半分に切ったような3mくらいの高さのセクションでスピードをつけて飛び出したり、空中のポーズで沢山のトリックを出し合う「ランページ」、というような、使う道具もスケートスタイルも違うジャンルも並行して発展を続け、カリフォルニアで生まれたスケートボードは全米各地の若者を虜にするユースカルチャーの代表格となるのです。

アグレッシブな「ストリート」、ストイックな「フリースタイル」、華麗な「ランページ」、と様々なスタイルを全て許容するスケートボードの懐の深さは、街の不良やミュージシャン、アーティストらにも大きな影響を与え、「ちょっと尖った若者はだいたいスケートボードが好き」ってケースが普通になりました。
 

 

スケボーブームのピークを迎えプロライダーはメジャースポーツ選手に

そうやって全米に広がったスケートボードがブームのピークを向かえ、人気のプロライダー達は他のメジャースポーツ選手に比べてもひけを取らない所得と名声を得るまでになりました。

トニー ホーク、クリスチャン ホソイ、スティーブ キャバレロなどの特にトップクラスの選手たちは、すでにアメリカから広く世界に広まったスケートボードシーンからのオファーが続き、世界中をコンテストやデモンストレーションで飛び回ることになります。

熱狂的なファンは好きなライダーと同じデッキ、同じシューズ、同じスタイル、とマネをして、スケートボード関連のメーカーやメディアなども急激に発展をしていくのです。世界で初めてのシグニチャースケートシューズもこの頃に生まれ、ライダー達の社会的ポジションもパークで集まって滑っていたスケボー少年時代からは想像できないものとなりました。
 

 

急激な流行を追いかけるように全米各地にスケートボードパークができました。サーフスタイルのブームの時にできたスケートパークは、スケートスタイルの変遷と共にセクションのサイズや構成もどんどん変わり、増えていくパークで生き残るには努力と個性が必要な時代になりました。

愛好者もどんどん増え続け、アメフトのスーパーボウルのハーフタイムショーにランページが持ち込まれたり、TVCMにプロライダーが起用されたり、とスケートボードのブームは天井が見えずどんどん膨れ上がっていくのです。スケートボードカルチャーとかなりの部分でクロスオーバーした、カリフォルニアのオレンジカウンティを中心に巻き起こったアメリカンパンクブームが、イギリスのパンクロックとはまた別の「ハードコアパンク」や「スラッシュメタル」というスタイルで全世界に広まって、その波にも一緒に乗るように、不良文化の一種としてもスケートボードが急速に世界に広がっていったのです。
 

スケボーブームの終焉、そしてスケートボーダー達は街へ飛び出した

「その時」は突然やってきました。果てしなく拡大し続けると思われたスケートボードシーンにかげりが見え始めました。なにが原因だったのか、トリガーはなんだったのか、色々な説がありますが「これ」だと断定できる特別な原因もなく、スケートマーケットが失速します。

カリフォルニアを中心に各地にできたパブリックのスケートパークはどんどん閉鎖に追い込まれました。デッキやアパレルなど、ブームに乗って増え続けたメーカーは小さいところからバタバタと潰れていきました。コンテストやイベント、メーカーの契約金などライダー達は生活の糧も減少し続け、自分や家族を守るために普通の職に就く者も多く、あれだけ華やかだったシーンがいきなり暗転することになったのです。

スケートボード自体には何の罪もありませんでした。世界でスケートボードシーンが小さくなっていったとしても、スケートボードの魅力はどんな時代でも、どんな環境でも、好きな人にはキラキラ輝いているのです。そしてシーンはまた大きな変遷期を迎えます。スタイル重視のオールドスクールから、スタイルは継承しつつもテクニックが重視される「ニュースクール」と言われる時代に突入するのです。誰も見たことがないトリックが毎日生まれ、今までのスタイルとは大きく違うB(BAD)なスタイルのスケートボーダー達が街に増殖した時代です。パークも減り、もともとヘルメットなんてかぶりたくないジェネレーションたちには「街」がスケートボードのフィールドとなりました。

ここもまた大きな変化でした。デッキを回転させる細かいトリックが興隆し、魚型のフィッシュテールのデッキはフットボールのような横長楕円から現在の形状に大きく変遷してきました。フィッシュテール時代には60~65mmのウィールを付けていたのに、軽量化のためかウィールはどんどん小さくなり、ついには新品で38mmのウィールがリリースされるに至りました。0.5mm単位で好みが分かれるウィールにおいて、この違いはとても大きなもので、完全に時代がガラっと変わった気がしたものです。

スケートボードシーンはドン底でした。オールドスクール時代には大手メーカーの独占状態だった市場には、スケートボード好きが高じてブランドやメーカーを立ち上げた次世代のスケーターたちが躍進してきました。デッキやパーツやトリックやスタイルがどんどん新しくなるのと同時に、ブランドやメーカーなど市場バランスも大きな変化をしてきたのです。「SKATEBOARD NEVER DIE」と言われ続けたように、スケートボードが死ぬことはありませんでした。マーケットの状態など全く関係なく、スケートボード好きは淡々とスケートボードを続け、新しいトリック、新しいスタイルを生み出していきました。

経営が成り立たないプライベートパークに変わって、愛好者達はパブリックのスケートボードパークを求めました。愛好者の基盤は硬く、ちらほらとパブリックのスケートパークが出来始め、安心して好きな時に好きなだけ滑れる環境は実は物凄く需要があったことに気が付きました。

パブリックパークの設置を求める市民団体などの積極的な活動もあり、その需要は一気に全米に広がります。カリフォルニアだけでなく、全米各地にパブリックのスケートボードパークが広がっていくのです。それぞれのパークにはそれぞれの個性があり、パークを巡ってスケートボードを楽しむ人や、家の近所にパークができて毎日毎日滑り続けてハイレベルなスキルを身につけるキッズが増えてきました。
 

90年代、再びシーンの頂点へ上り詰める

またシーンが頂点に向かって走り出しました。すでに大きなブームを経験しているライダー達、マーケットは慎重かつ大胆にシーンを成長させていきました。90年代中期から後期にかけてはいくつもシューズブランドができたり、「アクションスポーツ」というカテゴリーで社会的に認知されるようになり、スケートボードがまた大きくクローズアップされることになりました。

ケーブルテレビでもアクションスポーツをクローズアップする番組がスタートし、一気にブームが押し寄せるのです。一時はアメリカで最高視聴率のアメフトの祭典「スーパーボール」のスポットCMよりもアクションスポーツ番組の「X-GAMES」のスポットCMの方が高額になるなど、前回のブームをさらに越えていく勢いで広がっていくのです。

全米各地のパブリックパークで毎日研鑽を続けた天才達はこのフィールドで、コンテストに出場し、各メーカーがリリースするDVD作品などでも大きくクローズアップされ、小学生の人気職業の上位になるなど、まさに「アメリカンドリーム」がここに来て再度実現するのです。当時は自分の名前が入ったデッキをリリースすることでプロライダーとして認知され、デッキのリリースはすなわち「成功者」の証でもありました。
 

 

シューズメーカーからシグニチャーモデルがリリースされると契約金やロイヤリティは大きく跳ね上がり、そんなライダーたちは車を買い、家を建て、誰もがあこがれる生活を手に入れるのです。ただ、スケートボーダー達はそれに溺れるものは一部で、自分が滑り続けられることに喜びを感じる者が多かったのです。実際にスケートボードを楽しむ自分達でブランドを経営し、プロダクトを生産し、自分達が滑ることでプロモーション活動をしていきました。
 

それぞれのスタイルでスケートボードを楽しめる環境へ

山はずっと登りではありません。ピークを越えると必ず下り坂がやってきます。世界的な経済状況の変化もあり、消費社会が変化をしていく時がやってきました。アメリカを中心とした世界全体の経済が拡大から縮小する機運に合わせ、スケートシーンも少しずつ変わっていくことになりました。不況下、消費者の所得が減る流れで、デッキやシューズの消費スピードがダウンします。ピカピカの新品をクールに乗りこなすことより、価格の安いもので消費を抑えて滑り続けるスタイルが増えてきます。デッキの販売本数、シューズの販売足数で収入が変わるプロライダー達には大きな痛手です。

人気ブランドもより大きな資本に吸収合併されたり、企業やブランドの統合、整理が進みました。ギャラの高い有名ライダーより安いギャラで注目される若手ライダーがクローズアップされるようになりました。

ネット環境の変化から、企業のプロモーションに頼らず独自に映像を発信できるようになり、世界の隅々からスタイルあるライダー達が自分自身を発信できるようになりました。生活をキープできない条件でブランドのライダーをしていくよりも、仕事は別にしても楽しく滑り続けたい、と考えるライダーも増えてきました。「ガレージブランド」と呼ばれる小規模なブランドが、市場に迎合することないクリエイティブな発想、斬新なスタイルで注目されるようになりました。人気が出れば市場も広がり、また新たな夢を持てるようにもなりつつあります。大手飲料メーカーや全米ネットのTV局などスケートボードに注目する企業が増えました。格差が広がりながらもそれぞれのスタイルでスケートボードを楽しめる環境が広がってきました。
 

SKATEBOARDER NEVER DIE

そんな中、スケートボードが2020年の東京で開催される五輪競技に採用される可能性が高い、と発表されました。すでに2014に南京で開催されたユース五輪では公開種目としてテストランもされました。いくつもの山を乗り越え、数々の時代を経て、スポーツの祭典である五輪競技に。

街のスケーター達の間でも、業界のメーカーやショップの間でも、そしてショップのお客さんの間でも、五輪採用に関しては賛否両論があります。この時代の流れでシーンは次にどうなっていくのか、は現時点では誰もわかりません。またスケートシーンに大きな変化が訪れるのか、スケートボード市場はまたピークに向かうのか、それとも底に落ちるのか。ただどんな状況だとしてもスケートボーダーがいなくなることはありません。「SKATEBOARDER NEVER DIE」ですから。僕がインスタントというスケートボードショップを始めたのはその言葉を信じているからなのです。

あら、冒頭の「スケートボードとは何なのか?」って答えは見つかりましたか?僕は僕が書いた全てがスケートボードなんだと考えてますが、全て書き切れたとは到底思えません。スケートボードは懐が深く、沢山の魅力にあふれているのです。

これからもまた変化を続けるスケートボード、スケートボーダー、スケートマーケット、と、色々な側面から見続けていければと思います。

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