日本での活動が始まる
本題に戻って話を進めよう。
子供の頃から編み物に親しんできた彼は、中学、高校、大学へ進んでも趣味の編み物は続けてきた。また、ベルントさん本人は次々転職すれども、日本を去ることはなかった。
「その当時、ドイツで編み物ブームが起こり、男性で編み物をする仲間がかなりいました。入隊後も続けてやっていました。
最初から編み物を仕事としてやりたかった。
一旦就職して日本へやってきたことで転機が訪れました。
ヴォーグ学園横浜校で4年間、本格的に勉強したことで、その思いがますます高まった」というのだ。
体系的に編み物理論と技法を習得したベルントさんが国内で教室を開設、もしくは担当しているのは、神奈川県・日吉(本部教室)と自由が丘、大森(読売文化センター)の3ヶ所。
伝統的なドイツのレース編みを教える「自由が丘」教室、世界の編み物サロン「大森」教室、ニットカフェin Englishの「日吉」教室。
国内で編み物の教室と講師活動を続けている中で、世界の輸入毛糸を手がける内藤商事との接点が生まれ、拡大した。「ニット男子」ベルンド・ケストラーの編み物キットの発売から、内藤商事がKnit for Japan活動を支援するまで、全面バックアップが敷かれている。
「内藤さんのバックアップには、大変感謝しています。編み物ファンを増やすことで恩返しをしたい」と快活に言い切るケストラーさんの表情は、底抜けにポジィティブで明るい。