大安が休日と重なる日ともなると、結婚式のラッシュ。合理性を重んじる?ビジネスマン諸氏も大切な契約は、必ず大安の日。ましてや、玄を担ぐことの多い政治家などに至っては、大安吉日は、選挙で勝つ為の必須項目?
これだけ、日本人の多くに支持されている大安。本当に、そんなに縁起の良いラッキーデイなのでしょうか?
今回は、大安に関するお話です。
大安の歴史をみてみると?
大安の歴史は実はとても浅いのです |
因みに、六耀は、先勝(先手必勝の吉日)、友引(災いが友に及ぶ、葬儀はNGの日)、先負(先んずば負ける小吉日)、仏滅(全て虚しく終わる日、仏入滅の日と言うのは迷信)、大安(万事において吉の日)、赤口(朝夕は凶、刃物の取り扱いに注意)の六種類の日から成り立ちます。
この六耀。もともとは、中国は唐の時代に天文学者の李淳風という人物が発明したといわれていますが、日の吉凶とは関係なく、単に日取りを区別する目的で作られたものの様です。
この六耀が日本に初めて伝来したのは、室町時代といわれています。その時でも、日の吉凶を占う目的ではなく、六壬時課と呼ばれる陰陽道における時刻の吉凶を占うために使用されていました。
江戸時代に入り、貞享年間になると、初めて、日の吉凶を占う日本独自の占いとして広まりました。
ところが、旧暦においては、5月1日(旧暦)は、どの年であろうとも、必ず大安にあたるなど、日の配列が機械的に決められていました。それゆえ、六耀は、占いとしての用を十分に果たせず、いつしか忘れ去られるようになったのです。それが証拠に、江戸時代の暦には、六耀に関する記載はありませんでした。
大安の人気の理由は?
それではなぜ、今になって、大安はかくも人気があるのでしょうか?その理由は、明治時代に行われた改暦にあります。明治5年11月9日(新暦では12月9日)に、明治政府は、月給制の役人への給与支払いを減らし、財政赤字を縮小する目的で、月数が減る新暦(グレゴリオ暦)に改暦しました。(これにより、2か月分の給与支払いが浮いたとか)
この改暦により、日曜日から土曜日の七曜が一般化すると、旧暦の日付に機械的に割り振られた六耀が、一見その規則性から離れ、どことなく神秘性を感じさせる配列となったのです。
かくして、六耀は、日の吉凶を占う不可思議でご利益のありそうな暦注(暦に記載された日の性質に関する注記)として、現在の地位を築くに至ったのです。
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