ガイドも初日初演を見逃さないようにと前日は早寝を決め込み、翌朝早くから映画館に赴きましたが、既に長蛇の列。間違いなく今年最大の話題作のひとつと言えそうです。
映画の内容はともかくも、映画のモチーフとなるレオナルド・ダ・ヴィンチ。この人物への興味は尽きることがありません。
レオナルドとは一体何者だったのか?彼は、一体私たちに何を伝えたかったのでしょうか?
ダ・ヴィンチの才能は幼少期から開花していた!
レオナルドは芸術家のみならず建築家・彫刻家・科学者としても一世を風靡していた |
この名前は「レオナルド、ヴィンチ出身のピエロ氏の息子」という意味を表します。1550年に書かれた彼の伝記によれば、レオナルドはカテリーナという農民の女性から認知されない子供として生まれたとあります。そして、父親はヴィンチ(地名)のピエロという職人であったようです。
レオナルドはフィレンツェで父親に育てられ、早い時期から絵画を学びました。5歳の時には既に当時有名だった画家にその才能を認められ弟子入りを許されていました。
その後次々に作品を残し、1500年代に入ると、芸術以外の才能を発揮。画家、彫刻家、建築家、科学者、エンジニアとして1519年に死去するまで、幅広い分野で才能を遺憾なく発揮したことはみなさんもご存知のことでしょう。
レオナルドは不感症だった!?
「ダ・ヴィンチ・コード」ではレオナルドが自らの作品にさまざまな仕掛けをこらしてキリスト教(ローマ教皇)へ密かに反逆を企てていたという設定になっています。果たして、レオナルドはその作品を通じで何を訴えたかったのでしょうか?
レオナルドが伝えたかったことを探るためには、彼の個人的な生活が一体どのようなものだったのかを見てみる必要があります。
レオナルドの私生活は、非常に謎に満ちていたと記録にあります。彼の残した数々の言葉から彼の思想や性格を憶測することは可能です。
彼は、日頃他人との接触を避ける傾向があり「生殖活動やそれに関するすべての行為は忌み嫌うべきものだ。だから、美しい顔や快感の発露がなければ人類はすぐにでも死に絶えることだろう」と語っています。
後にこの言葉を指摘して、かの精神科医フロイトは「レオナルドは不感症であった」と分析をしているようです。
また、1476年レオナルドがまだヴェロッキオ工房(メジチ家の庇護を受けた職人組合=ギルドの工房)で親方として働いた当時に17歳の男の子のモデルと特別な関係に有ったとの記録も残されています。
このため、彼は2ヶ月程投獄されましたが、結局証拠不十分で釈放されています。
しかし、その後もしばらくの間ルネッサンス時代に設立された「夜の警官」(治安維持のための組織)達によって、レオナルドの行動は常に見張られていたようです。
彼の奔放な性生活が当時のローマ教皇に対する異端へと結び付けられるのは容易に理解出来るところです。
次のページ更にレオナルドのパーソナルライフを探ります。