長谷川等伯展~能登時代の仏画と北陸の長谷川派~
展覧会情報
長谷川等伯展~能登時代の仏画と北陸の長谷川派~
会期:2004年9月18日~10月24日
会場:石川県七尾美術館
展覧会概要
能登国七尾出身の長谷川等伯(1539-1610)は30歳を過ぎて上洛し、桃山時代に一派の長として活 躍した画人です。 出身地にある当館では等伯の調査・研究を重要なテーマとし、平成8年より毎年 「長谷川等伯シリーズ展」を開催してきました。 等伯は様々な画題に才能を発揮していますが、能登時代は仏画を中心に活躍してい ました。今回で9回目となる本年は、能登時代の作品を今一度見直す意味で仏画を中心に展示します。また、北陸に現存し、等伯の描いた仏画と何らかの繋がりがあると思われる作品や、長谷川派の仏画なども紹介します。《能登時代の仏画》
当時、等伯の生家奥村家、養子先の長谷川家の菩提寺は共に法華宗であり、能登時 代は法華宗関連の仏画や頂相を多く描いています。特に、高岡市大法寺所蔵の4幅は、同寺所蔵の「七字題目」とあわせて日蓮宗の曼荼羅本尊をあらわしたものであり、等伯自身も熱心な法華信者であったことが窺われます。 しかし、その一方で禅宗系、密教系の仏画も現存しており、仕事としては宗派にこ だわらず制作していたことが分かります。
《北陸の長谷川派》
等伯が京都へ移住したのは30歳代中頃と見られていますが、作品の技法や表現か ら20歳代にはすでに京都を訪れていたと思われます。また、京都に移住した後も能登と行き来があったと推測され、その折に等伯に学んだか、或いは等伯を頼って上洛し、一派で学んだ能登国出身の絵師もいたのではないかと考えられます。 現存する資料から、養父宗清(道浄)も画家であった可能性が指摘され、養祖父の 法淳も京都を訪れ、絵にも関心があったことが分かっています。北陸地方には、長谷川派筆の仏画や等伯と関係があると考えられる作品が数点確認されています。等伯の上洛後に能登で活動した絵師もある程度存在したと見られる一方で、最近は等伯が影響を受けたと考えられる作品が注目されています。(石川県七尾美術館)
石川県七尾美術館/1995年4月オープン。七尾出身の桃山時代の絵師・長谷川等伯の画業を顕彰、館内の大型ハイビジョンで等伯の作品や生涯を紹介している。 池田コレクションを母体に茶道具、近代絵画、能登にゆかりのある作家の作品を主に収蔵。
■物故日本画家一覧
注)長谷川等伯は桃山時代の画人のため、明治以降を対象にした【近・現代日本画の巨匠】の欄には、 掲載していません。(松原)