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おすすめの展覧会からこの一点! 長谷川等伯「三十番神図」-重文

長谷川等伯は桃山時代の画人で、日本の水墨画最高峰と評される国宝【松林図屏風】などを残しています。今回は出身地である七尾にある石川県七尾美術館の展覧会からご紹介します。

執筆者:松原 洋一

長谷川等伯展~能登時代の仏画と北陸の長谷川派~


重要文化財「三十番神図」長谷川信春(等伯)筆
1幅 絹本著色 永禄9年 (1566)制作
富山県高岡市・大法寺蔵

本図は、三十神が一カ月三十日を毎日交代で守護するというもので、特に如法経守 護の三十番神は日蓮宗や天台宗で信仰され、多くの日蓮宗寺院には「三十番神図」や「三十番神像」が祀られている。この信仰は、既に鎌倉時代以前から存し、三十番神だけで言うならば十種を数える。
本作品には、特筆すべき点がいくつかあり、まずその色彩の華やかさが挙げられる。鮮やかではあるが、そのまま原色を使うのではなく、微妙に色を使い分けている。また、細部まで緻密な描写がなされており、特に各三十神の背後の三曲衝立障子には、晩年の大作を思わせる猿や花鳥、獣などがより細密な技法で描かれている。そして、さらに下方の落款のある部分は、桃山時代に普及した胡粉盛り上げという工芸的な手法を駆使しており、当時七尾において、信春が若くして新しい技術を習得していたことが分かる。
画面左下に「長谷川又四郎廿八筆」と「永禄丙寅」の款記、袋形「信春」印が認め られる。(石川県七尾美術館)

展覧会情報

長谷川等伯展~能登時代の仏画と北陸の長谷川派~
会期:2004年9月18日~10月24日
会場:石川県七尾美術館

展覧会概要

能登国七尾出身の長谷川等伯(1539-1610)は30歳を過ぎて上洛し、桃山時代に一派の長として活 躍した画人です。 出身地にある当館では等伯の調査・研究を重要なテーマとし、平成8年より毎年 「長谷川等伯シリーズ展」を開催してきました。 等伯は様々な画題に才能を発揮していますが、能登時代は仏画を中心に活躍してい ました。今回で9回目となる本年は、能登時代の作品を今一度見直す意味で仏画を中心に展示します。また、北陸に現存し、等伯の描いた仏画と何らかの繋がりがあると思われる作品や、長谷川派の仏画なども紹介します。

《能登時代の仏画》
当時、等伯の生家奥村家、養子先の長谷川家の菩提寺は共に法華宗であり、能登時 代は法華宗関連の仏画や頂相を多く描いています。特に、高岡市大法寺所蔵の4幅は、同寺所蔵の「七字題目」とあわせて日蓮宗の曼荼羅本尊をあらわしたものであり、等伯自身も熱心な法華信者であったことが窺われます。 しかし、その一方で禅宗系、密教系の仏画も現存しており、仕事としては宗派にこ だわらず制作していたことが分かります。

《北陸の長谷川派》
等伯が京都へ移住したのは30歳代中頃と見られていますが、作品の技法や表現か ら20歳代にはすでに京都を訪れていたと思われます。また、京都に移住した後も能登と行き来があったと推測され、その折に等伯に学んだか、或いは等伯を頼って上洛し、一派で学んだ能登国出身の絵師もいたのではないかと考えられます。 現存する資料から、養父宗清(道浄)も画家であった可能性が指摘され、養祖父の 法淳も京都を訪れ、絵にも関心があったことが分かっています。北陸地方には、長谷川派筆の仏画や等伯と関係があると考えられる作品が数点確認されています。等伯の上洛後に能登で活動した絵師もある程度存在したと見られる一方で、最近は等伯が影響を受けたと考えられる作品が注目されています。(石川県七尾美術館)

石川県七尾美術館/1995年4月オープン。七尾出身の桃山時代の絵師・長谷川等伯の画業を顕彰、館内の大型ハイビジョンで等伯の作品や生涯を紹介している。 池田コレクションを母体に茶道具、近代絵画、能登にゆかりのある作家の作品を主に収蔵。

物故日本画家一覧

注)長谷川等伯は桃山時代の画人のため、明治以降を対象にした【近・現代日本画の巨匠】の欄には、 掲載していません。(松原)

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