RQはそのネーミングから海外から入ってきたスタイルのように思われがちだが、実は日本独自の文化である。起源は84年の鈴鹿8耐と言われており、その時はじめて水着にチーム名を刻んだ女の子がパドックに現われた。それまでもピットレポーターと呼ばれる女の子がいるにはいたが、今のスタイルに直結するスタイルが見られたのは84年からである。
その後、RQのコスチュームは各チームごとに趣向を凝らすようになって行き、ハイレグの角度もより鋭角的になって行った。そんな刺激的な出で立ちゆえか、マスコミからも注目を浴びるようになり、RQの存在は徐々に市民権を得て行った。
この当時、ひときわ脚光を浴びたのが御存じ岡本夏生(敬称略)である。ハイレグにパラソルという定番ファッションを名刺代わりに、テレビにたびたび登場。明け透けなキャラクターが重宝がられ一躍、時のRQとなる。その後、彼女はタレントとして芸能会に身を置くこととなるが、RQという肩書きを持ったままメジャーになったのは、後にも先にもも彼女が唯一無二である。
このような流れでRQは広く知られるに到るが、バブルの崩壊と共にレースから撤退するチームが続出。一般にも知られていた有名レーサーの相次ぐ引退や事故死などで、レースそのものの注目が薄れていった。必然的にRQも激減し、このまま衰退するのではないか、と言う声さえ囁かれたが、ファンの根強い支持により、出版物やビデオなどで再ブレイク。現在は第2次ブームとして、新たな展開を見せ始めている。
確かに出版物やビデオなどは96年頃から激増している。最近ではインターネットの普及により、RQ本人やファンがHPを続々と立ち上げ、オンライン写真集やデジタルグッズ(スクリーンセーバーやデスクトップカレンダーなど)の発売も盛んだ。またCSやインタネットTVなどでRQ主体の番組も始まり、マイナーながらテリトリーを広げつつある。
*)こういったメディアとの絡みは非常に興味深いので、いずれ独自の項目で掘り下げる予定である。
以上がRQの起源とその後の流れである。昨年は韓国で「フォーエバーピース2000」と題されたツーリングカーのイベントに現地RQが登場し、日本からも「SUPER GIRL」や「ENDLESS」RQ達が参戦した。徐々にではあるが国際的にもなっているようだ。果たしてこのような動きが今後のRQシーンにどのような影響を及ぼして行くのだろうか。興味の在り処は今後も尽きなさそうだ。