しかし「マリアンヌ・フェイスフル」という名前を発音してみると、そこにはまるで天使のような軽さ、恭しさがある。
映画『あの胸にもういちど』の原作はフランスの作家マンディアルグの『オートバイ』だが、同じ作家による『仔羊の血』という短編もまた、つぶさにマリアンヌを連想させるストーリーだ。ここに出てくる、ウサギの毛に素肌を触れ合わせ、七色の羊の毛皮に覆われる孤児院の少女は、素肌にレザーを着けハーレーを操り、警察による薬物の家宅捜索の際には全裸に毛皮を巻いただけの姿だったと言われるマリアンヌと重なり合う。
修道院の厳しい躾と、高度な教育を受けた令嬢には、何でも吸収しようとする知的好奇心ゆえに、独特の皮膚感覚が備わっていたのではないだろうか、と想像してしまう。
その感覚は、彼女のファッションを特別なものにしていたし、ポップカルチャーというワンダーランドに足を踏み入れた可憐な少女のイメージは、若い女性の憧れの対象にもなっていた。
天使の囁き、かつて『AS TEARS GO BY』を歌った儚げな美声は、薬物濫用のためにわずか数年で潰れてしまい、ミックとも別
れた彼女は場末のライブホールの歌手にまで身を落としてしまう。
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『20th
Century Blues』
RCA BVCF-1551
主な収録曲
♪Alabama Song (K.Weill)
♪20th Century Blues (N.Coward)
他
*最高に魅力的なキャバレーソング集! |
それから、アルバム『BROKEN
ENGLISH』(1980年)でマリアンヌは復活するのだが、最終的に彼女が歌を選びとるまでの期間は相当シビアなものだったのだろうと思う。
アーティストとして楽曲を作れるわけではなく、若い頃の美しさや麗しい声はすでに失われてしまっている。最後に彼女に残ったものが歌を唄う事だけだったとしたら・・・
そこまでギリギリの態度で歌と 向き合った時に、すべてのマイナス要素は歌手という表現者にとってはプラスに転化される。
枯れたようなダミ声は、歌の上手い下手を通り越して表現力が凄まじい。クサい言葉になるが人生の酸いも甘いも味わった女性でなければ、この情感は絶対に出せないだろう。
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