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ダンサーズ・ヒストリー Noism1 井関佐和子

りゅーとぴあ新潟市民芸術文化会館専属舞踊団Noismのメインダンサーとして、10年間に渡りカンパニーを牽引してきた井関佐和子さん。彼女が歩んできた舞踊家への道程とは? ここでは、井関さんのダンサーズ・ヒストリーをご紹介します!

小野寺 悦子

執筆者:小野寺 悦子

バレエガイド


バレリーナを夢見て……。

2014年春、設立10周年を迎えたりゅーとぴあ新潟市民芸術文化会館レジデンシャル・ダンス・カンパニーNoism。その創立メンバーであり、メインダンサーとして活躍する井関佐和子さん。バレエミストレスと副芸術監督も兼任し、この10年間日本唯一の劇場専属舞踊団を支え続けてきた。

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 初舞台

ダンス人生の始まりは三歳のとき。知人の発表会で見たチュチュに憧れ、クラシック・バレエを習い始めた。当時通っていたのは、地元・高知にある一の宮咲子バレエ研究所。

「習いごとはいろいろしたけど、どれもキライで嫌々行ってた(笑)。結局、バレエだけが残りました」
ピアノ、習字、水泳に塾と、いずれの稽古もサボリがち。だが、バレエだけは休まず通った。幼い頃から、バレエにはひときわ執着があったよう。
「五歳のときに出た発表会の写真に、前で踊る年上のお姉さんをスゴイ目で睨んでる私が映ってて(笑)。“ああいう風になりたい!”って、子供心に思ったんでしょうね」

日本コンテンポラリー・ダンス界きってのダンサーとして知られる彼女も、かつての夢はバレリーナ。当時憧れていたのは森下洋子で、彼女の本を擦り切れるほど捲っては飽きることなく眺めていた。まだコンテンポラリー・ダンスという言葉自体、日本に浸透していなかった時代のことだ。

「踊る職業というと、バレリーナしか知らなかったんです。ただ当時のダンス雑誌に、モーリス・ベジャールやピナ・バウシュの写真がバレエと交ざって載っていて、“このひとたちは何なんだろう?”って気になってしかたがなかったのを覚えています。初めてピナの作品の写真を見たとき、何てエロイんだろうと思って……(笑)。だから、私の中の何かの芽生えはピナなんです(笑)」

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5歳の頃(前列右)



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