日本の心「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」
子抱富士。精進湖から見た富士山で、大室山を抱いているように見えることからこの名がついた。その間に広がるのが青木ヶ原樹海だ
今回は2013年に世界遺産に登録された日本の17番目の世界遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」を紹介する。全構成資産リスト付き!
日本の産みの神・富士山
逆さ富士。手前の湖は山中湖。水面の標高は982mで、富士五湖でもっとも高い場所にあり、もっとも大きな湖でもある
■『万葉集』巻3-319より
狩野元信「富士参詣曼荼羅図」。室町時代の作品で、富士山本宮浅間大社や興法寺(村山浅間神社)が描かれている
こちごちの 国の三中(みなか)ゆ 出で立てる 富士の高嶺は
天雲も い行きはばかり 飛ぶ鳥も 飛びものぼらず
燃ゆる火を 雪もち消けち 降る雪を 火もち消ちつつ
言ひも得ず 名付けも知らず 霊(くす)しくも います神かも
石花海(せのうみ)と 名付けてあるも その山の つつめる海ぞ
富士川と 人の渡るも その山の 水の溢(たぎ)ちぞ
日の本の 大和の国の 鎮めとも います神かも 宝とも なれる山かも
駿河なる 富士の高嶺は 見れど 飽かぬかも」
■現代語訳
「甲斐の国と駿河の国、それぞれの真ん中にそびえる富士の高嶺は、天を流れる雲も行く手を阻まれ、飛ぶ鳥も飛び越すことができず、燃えさかる噴火の炎を雪で消し、降り積もる雪を炎で消している。語れもせず、言葉にもできない、なんと霊妙な神であることよ。せの海と名づけた湖を抱き、人々が渡る富士川の水を溢れ出し、日の本に成る大和の国を治める神であり、国の宝でもある。そんな富士の高嶺はいくら見ていても見飽きることがない」
葛飾北斎「富嶽三十六景-凱風快晴」。雪が溶け、剥き出しになった山肌を朝日が焼いた姿。いわゆる「赤富士」だ
この長歌が詠まれた頃、富士山の火口からは溶岩が赤く輝いていた。火山は噴火によって国土を造る「国生み」という神の業(わざ)。そのためか、富士山は国を治める神として崇められていた。
やがて富士山はこのうえなく美しい女神コノハナノサクヤヒメ(木花開耶姫)の化身と考えられるようになった。彼女は地上を治める天孫ニニギノミコト(瓊瓊杵尊)の妻で、山の神オオヤマツミ(大山積神)の娘。燃え上がる産屋の中でホデリ(火照命)、ホスセリ(火須勢理命)、ホオリ(火遠理命)という三柱(みはしら)の子を産んだことから、火の神・出産の神として祀られた(『古事記』『日本書紀』より)。
そして彼女の息子ホオリの孫が初代天皇・神武。富士山こそ日本の産みの神であり、日本という国が富士山とともにあったことがよくわかる。
富士山と芸術・宗教
白糸の滝。川が流れ落ちているわけではなく、湾曲した断崖から絹糸のような細い滝が数百本も垂れている
葛飾北斎「富嶽三十六景-神奈川沖浪裏」。相模湾から見た富士山で、ゴッホらに絶賛され、西洋絵画の歴史にも大きな影響を与えた
そして富士山を眺めることで人々は強いインスピレーションを受け、『万葉集』や『古事記』『日本書紀』、あるいは葛飾北斎「富嶽三十六景」や歌川広重「富士三十六景」に代表されるように、富士山を詩や絵に描いて日本の芸術・文化に大きな影響を与えた。
平安時代に修験道が盛んになると、富士山頂を目指す「登拝」(とはい)がはじまる。江戸時代に富士山信仰=富士講が広がると、庶民の間でも富士巡礼が人気を博した。
歌川広重「富士三十六景-駿河薩タ之海上」。静岡市の薩た峠(さったとうげ)から見た富士山
現在でも富士山頂、八合目(標高3,200m前後)から上は富士山本宮浅間大社の境内で、神域中の神域。特に標高3,776mの最高峰・剣ヶ峰(けんがみね)はコノハナノサクヤヒメが天へ昇る際に剣を突き刺したという伝説が残る聖地だ。
本来このような神域は立ち入りが禁止されるものだが、富士山はその器の大きさからか、古来登拝を認めてきた。禁足地となっているのは大内院と呼ばれる火口内部で、ここは幽宮と呼ばれ恐れられていた。
富士山の世界遺産登録名は「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」。その背景にはこんな歴史と物語があったのだ。