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これぞ花形! 皐月賞・日本ダービー・菊花賞の魅力(3ページ目)

イギリスの競馬を模範に作られた皐月賞・日本ダービー・菊花賞。この3レースは「三冠」と呼ばれ、ホースマンの夢舞台とされてきました。そして、見ている私たちも三冠に魅了され続け、レースになると人に見せられないほど興奮しています。ではなぜ、私たちは三冠レースにそこまでの魅力を感じるのでしょうか。その理由をお話しします。

河合 力

執筆者:河合 力

競馬ガイド


あまりにドラマティック過ぎる1999年の三冠戦線

今回紹介するのは1999年の三冠ストーリー。皐月賞前の時点では、この年の三冠戦線はアドマイヤベガとナリタトップロードという2頭の一騎打ちムードとなっていました。

アドマイヤベガ。母は1993年の桜花賞とオークス(皐月賞・日本ダービーの牝馬版)を制した名牝で、父はディープインパクトなどを輩出したサンデーサイレンス。まさに“国宝級”の血統で、デビュー以来、その肩書きにたがわぬ強さを見せてきました。

がしかし、そのアドマイヤベガが皐月賞の前哨戦でよもやの敗戦(2着)。この時アドマイヤベガを負かし、名を上げたのがナリタトップロードでした。アドマイヤベガの陰でコツコツと実力をつけた馬が、一躍スターのライバルとなります。

迎えた2強対決の皐月賞。しかし、三冠初戦を制したのは、この2頭ではありませんでした。
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テイエムオペラオーは後にいくつものG1を勝つ歴史的名馬になります(写真 JRA)

勝ったのは、デビュー後のケガで出世が遅れたテイエムオペラオー。三冠第1戦にギリギリ間に合った“遅れて来た大物”が、一気にタイトルを獲得します。

対するアドマイヤベガは、まさかの6着。体重が大幅に減るほどの体調不良を、レース直前に起こしたのが原因でした。馬は生き物ですから、もちろんこういうアクシデントは付き物ですが、とはいえ何とも悲運。

また、ナリタトップロードは必死に先頭に追いすがるも3着。こちらも力は見せましたが、皐月賞はとにかくテクニカルな一戦。わずかな動きの差が勝敗を左右してしまうのです。

2頭の負けは決して悲観するものでなく、さらに勝ち馬テイエムオペラオーのレースも強者そのものであったため、続く日本ダービーは“3強対決”という図式になります。

最高峰の舞台で見せた第一人者の意地

迎えた日本ダービー当日。競馬における最高峰の一戦を前に、ともに20代前半の若手である、ナリタトップロードの渡辺騎手とテイエムオペラオーの和田騎手は、当然ながら「勝ちたい」という思いが強かったのでしょう。終始、馬体を合わせた2頭は、直線入り口で先頭に並ぶ早めの仕掛けで、押し切りを狙います。

しかし、早め早めに動く2頭をよそに、1頭だけ後方でジッと待機する馬がいました。皐月賞の雪辱を期すアドマイヤベガです。ジョッキーは、デビューからコンビを組み続けた武豊。

3頭の位置関係は変わらぬまま、レースは最後の直線へ。誰もが早めに抜け出したナリタトップロードとテイエムオペラオーの激闘に注目していましたが、しかし東京競馬場の直線は長い。2頭の争いに外からヒタヒタと迫り、最後の最後にかわしたのはアドマイヤベガでした。
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1999年の日本ダービーは、一度でいいから見てもらいたい名レース(写真 JRA)

体調不良による皐月賞の敗戦から見事に巻き返した名牝の子。そして、この大舞台で迷いなく自分の競馬を貫いた天才ジョッキー・武豊。カッコよすぎるコンビが、日本ダービーの歴史に名を刻んだのでした。

さあ、こうなると皐月賞馬テイエムオペラオーとダービー馬アドマイヤベガの最後の対決に注目が集まります。でも、忘れてはいけません。3強にして唯一タイトルを取っていないナリタトップロードは、逆転の望みを捨てていませんでした。

ひと夏を越えて、3強は最後の決戦へ

日本ダービーから約5カ月後、秋の日差しの元で菊花賞はスタートを切ります。3頭とも臨戦過程は順調そのもの。最終決戦にふさわしい状態です。

アドマイヤベガとテイエムオペラオーのタイトルホルダー2頭は、ほぼ集団のド真ん中で、お互いをけん制。馬体を近づけ、相手の動きを注視します。それに対し、1頭だけ前目の位置に付けたのがナリタトップロード。この位置関係こそが、ナリタトップロード陣営の“望み”でした。

3000mという未知の距離で行われる菊花賞だからこそ、時にその距離を意識し過ぎて過剰に遅いペースになることがあります。そのような超スローペースの展開では、各馬スタミナに余裕があるため、前目に位置して早めにスパートした方が有利。

しかし、初体験の3000mで無理に前に行かせようとすれば、馬が勘違いして、もっと距離の短い過去のレースと同じペースで走ろうとすることも。こうなるとリズムが崩れてスタミナが持ちません。だから騎手たちは、「分かっていても前に行かせられない」ことが多いのです。

ただし、ナリタトップロードのウリは騎手への従順さ。だからこそ、渡辺騎手は思い切って最初から「前へ行くよう」指示を出したのでした。そしてその指示をナリタトップロードは理解し、リズムよく前目の位置を確保します。

さらに、ナリタトップロードは直線に入る手前でライバル2頭を尻目にいち早く抜け出します。これが二つ目の望み。「スローペースを先に抜け出して、ライバルを待つ形ならチャンスはある」との読み通り、見事に1着でゴール。最終決戦で念願のタイトルを手にしたのでした。
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レース後、“ワタナベコール”が巻き起こった1999年菊花賞(写真 JRA)

テイエムオペラオーは懸命に追いすがるも僅差の2着。後方から追い出したものの、超スローペースにより“間に合わない”形となりました。アドマイヤベガは6着。距離ゆえか、ダービーでの末脚は影をひそめたままでした。

最後までナリタトップロード陣営が見せ続けた勝利への執念。そしてそれに応えたナリタトップロード。1999年の三冠レースは、3強がタイトルを分け合う形となったのです。

三冠レースは、サラブレッドの成長を描いた群像劇。いやそれだけでなく、コンビを組むジョッキーや管理するスタッフたちの苦闘をも描いた壮大な大河ドラマといえましょう。

夏の甲子園や箱根駅伝に負けない、サラブレッドの学生スポーツである三冠レースを、皆さまどうぞお楽しみください。


【関連サイト】
テイエムオペラオー – JRA50周年記念サイト
アドマイヤベガ JRA-VAN
優駿メモリアル|ナリタトップロード (YouTube)

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