「イクメン」の賛否
「イクメン」は、もはや「死語フォルダ」入り?
ちょっと手の込んだ批判になると、「親として子育てするのは当たり前なのに、それを男親だからと殊更に自己主張するのはいかがなものか」という賢しげな手法も使われた。しかし留意すべきは、そんな批判が男性からだけでなく、女性からも小声で上がったという事実である。
男性同士で「ぼくイクメンです」「軟弱者め! 男たるもの、家に帰らず眠らず精力的に仕事をして過労死するほど家族を養うべきである」とやり合うのは想像に難くない。そもそも新しい波は常に抵抗に遭うものだ。育児に協力しない・できない男性が、女性の支持を集めるイクメンにぶつける屈折した罪悪感なんかも少しくらいあるかもしれないし、極めて優秀な社畜として社会的に調教されたがゆえに、疲れきり思考停止している人もいるかもしれない(結構多い)と思いを巡らせば、それも致し方ないと理解できる。しかし女性から声が上がったのはなぜか。
女親たちのアンフェア感
子育てをする女親には、そんなキャッチーな呼称が付けられることもなく、持ち上げられることもなかったからだ。「女親と男親の育児分担はまだまだ50/50にはほど遠いのに、男親はオムツ替えた程度でイクメンだとか褒めそやされるなんて、フェアじゃない」。
子育てする女親はただのお母さんだ。何の新規性もないうえ、誰も褒めない。むしろ常に100%やって当然だと思われている。100%に足りないと、批判される。そしてそのわずかに足りない部分を請け負う夫や両親が「たいへんねぇ」とねぎらわれる。やってられるかい。その感情をもって「フェアじゃない」と口にした女親たちの気持ちは痛いほどわかる。
イクメンの多くは、実は安全な環境で楽しそうに育児をやっているだけ、という指摘もある。子育てに理解のある周囲に恵まれ、福利厚生も充実した正社員として、子どもの発熱で急に休もうが、園の行事に参加するからと遅刻早退しようが、「そうか大変だな、頑張れよ」と笑顔で送り出してもらえる。子育ては、そんな彼らにとって「勲章」であり「幸福な趣味」であり「リア充の証」となる。
でも、一方で多くの働く女親たちにとって、子育ては直接自分たちの評価を下方に押し下げる「負担」であり、「負い目」である。時短は明確な給与カットの対象であり、遅刻早退の多さは同僚たちの心証を悪くし、仕事上の信頼を置かれにくくなる。子どもの病気を理由として休めば、周囲の「またなの」という無言の圧力に潰されそうになる。それを避けるべく、「とにかく出社する、仕事をする」ために自分と子どもの健康と時間管理にきりきり舞いする。
そんな精神的にギリギリの暮らしを続けるワーキングマザーたちが、イクメンを「おめでたい」「いいご身分」と心の中で思うのを責めることはできない。その意味でもイクメンとは、「安全な身分にあぐらをかいたファッション」だと批判されても仕方ない。