世界遺産/ヨーロッパの世界遺産

ケルン大聖堂:世界最大のゴシック建築/ドイツ(2ページ目)

世界最大のゴシック建築であり、完成まで632年を要したドイツの世界遺産「ケルン大聖堂」。そのコンセプトは「天」。神の国へ一歩でも近づこうとひたすら高さを求め、神の化身であるところの光を求めて限りない明るさを追い続けたケルン大聖堂の見所とその歴史・観光情報を紹介する。

長谷川 大

執筆者:長谷川 大

世界遺産ガイド

天を目指したゴシック建築

ケルン大聖堂双塔と南ファサード

写真左が横から眺めた双塔、右が南ファサード。木々を思わせる刺々しいデザインがゴシック建築の特徴だ

シャルトル大聖堂の記事で紹介したように、ゴシック建築の「ゴシック」には「ゴート風の」という意味が含まれている。ゴートとは東ゲルマンの民族のことで、洗練されたローマに対して、ゴート風=野蛮、あるいは野生・自然というようなニュアンスを持っていたらしい。

ゴシック建築は三大要素といわれる尖頭アーチ、フライング・バットレス、リブ・ヴォールトを中心に、骨組みのような構造を特徴とする。たしかに骨組みが木の幹や枝を、巨大な窓にはめられたステンドグラスの光が木漏れ日を思わせるが、これが「ゴシック」の由来になったのだろう。
ケルン大聖堂の天井

天井の様子。山型のアーチが尖頭アーチ、×型が交差四分のリブ・ヴォールト

ではなぜ骨組みを必要としたのか?
答えは「天」。

キリスト教にとって光とは神そのもの。神の場である教会、特に一帯を取り仕切る大聖堂(カテドラル。ドゥオーモ。ドム)にはより多くの光が必要だった。同時に、神の国とはすなわち「天」。大聖堂は天高くそびえ立つべきだと考えられ、それゆえ人々は光と高さを求めて競い合った。
ライトアップされたケルン大聖堂

ライトアップされたケルン大聖堂。細部の細部まで装飾が施されているのがよくわかる

石で造られた建物の場合、重い天井を支えるために巨大な壁が必要となる。それを、交差ヴォールトや巨大な柱、フライング・バットレスといった骨組みで重さを分散することに成功したのが、12世紀半ばにフランスのパリに現われたゴシック建築だった。 

ケルン大聖堂の建設

南ファサード扉口のタンパン

南ファサード扉口のタンパン(ティンパヌム)。精緻な彫刻が美しい

古くはケルト人の土地だったガリア(フランス、ベルギー、オランダ、ドイツ、スイス、イタリアにまたがる地域)の地。カエサル(シーザー)の遠征で知られるように、ローマ帝国はこの地にたびたび遠征して版図を広げていった。

ケルンのドイツ語読みはコロン。もともとはラテン語の"Colonia"を語源に持つが、これは英語の"colony"と同源で「植民地」の意味。つまり、ローマ帝国の植民市を意味した。ちなみに香水のコロンはそのままケルンの意味(フランス語でオー・デ・コロン=ケルンの水)。1792年にオレンジから作られた香水「4711」がその元祖だ。
ケルン大聖堂とホーエンツォレルン橋

ケルン大聖堂とライン川に架かるホーエンツォレルン橋。「ケルンの水」とはライン川のこと

このケルンに教会が置かれたのが4世紀。9世紀に建て替えられ、12世紀には神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ1世がミラノから聖遺物を持ち帰り、ケルン大聖堂に奉納する。この聖遺物は、キリストが生れた際に星に導かれてベツレヘムを訪れ、その誕生を祝った東方三博士の遺骨で、これによって多くの巡礼者を集めたという。

1248年、この大聖堂は火災にあって消失してしまい、新たな大聖堂が建築されることになった。新しい大聖堂はより高く、より多くの光を求めて当時フランスから伝えられていたゴシック様式で建築されることになった。 

 【関連サイト】
  • 4711.jp(オー・デ・コロン4711の日本語公式サイト)
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