王妃に贈る純白の恋 タージマハル
タージマハルに落ちる夕陽。ピンク色に染まるタージマハルもひとつの見所。当初の計画では、タージマハルの対岸に黒大理石造りの漆黒の廟を築き、ヤムナ川に橋を架けて両者をつなげる予定だったという
タージマハルにまつわる王と王妃の恋の伝説
完璧なシンメトリーと純白の白大理石が美しいインドの至宝タージマハル。浮き彫り、透かし彫り、象嵌細工によるアラベスクなど、細部の美もまた至高
タージマハルはほぼ正方形で、四方の角をカットした八角形。塔はミナレット
しかし、ムムターズは最後の女児を出産したあと、1631年6月7日に亡くなってしまう。死に際してムムターズは夫に新しい妃をめとらないことを約束してもらい、安心して眠りについた。シャー・ジャハーンはあまりの悲しみに一夜にして髭を白くし、1週間公の場所に姿を見せず、2年間宴を催すことはなかった。
喪が明けるとシャー・ジャハーンは政治を半ば放棄し、妻の墓の建築を開始する。世界各地からあらゆる素材、あらゆる人材を集め、約20年の歳月と2万人の労働力を投入し、1653年、純白のタージマハルを完成させる。このあとヤムナ川を挟んだタージマハルの対岸に、黒曜石で真っ黒な自分の霊廟の建立し、その間を橋で渡す計画を立てていた。コーランがいう最後の審判の日、復活してその廊下を渡り、ムムターズと再会するそのときを信じて。
世界遺産「アグラ城塞」のムサンマン・ブルジュから見たタージマハル
アウラングゼーブは幽閉中、父に会うことはなかったが、父の死後、遺体をタージマハルに移し、棺をムムターズの隣に安置した。シャー・ジャハーンはムムターズ・マハルに寄り添い、復活の日を待ちながら、いまも眠っている。
※上の多くは伝説で、確証はない。シャー・ジャハーンはムムターズの死後も外征を行っているし、デリーに遷都さえした。ただ、タージマハルがムムターズに捧げられたものであることは間違いない