世界遺産/アメリカの世界遺産

マチュピチュ:世界遺産ランキング1位の空中都市

【2018年6月更新】世界遺産ランキングを出すとほとんど1位に選ばれる圧倒的な人気を誇るマチュピチュ。その美しさは世界遺産委員会の公認で、人工美・自然美の登録基準をいずれもクリアする希有な世界遺産となっている。今回はマチュピチュの歴史から空中都市の見どころ、入場制限などの観光情報から鉄道やインカトレイルといった行き方&ツアー情報まで、ペルーの世界遺産「マチュピチュの歴史保護区」の魅力を存分にお伝えする。

長谷川 大

執筆者:長谷川 大

世界遺産ガイド

アンデスに咲く天空の都 マチュピチュ

マチュピチュと恋人たち

マチュピチュと恋人たち。正面の山がワイナピチュ(若い峰)山で、背後にはマチュピチュ(老いた峰)山がそびえている

世界中を旅して、世界中の旅人と話してきた。たとえば、ホテルのレストランやロビーやダイニングで旅人同士が集まれば、自然と「いままでで一番よかった場所はどこ?」なんて話になる。いろいろな場所が登場するのだが、ダントツで支持を得る遺跡が世界に3つある。ギザのピラミッドアンコール、マチュピチュだ。

どこの国の人間であろうと、知識があろうとなかろうと、いつ訪れようと、けっして評価が変わらぬこれら3つの遺跡。ここではその中でも「美」にかけてつねに最高評価を得るマチュピチュの魅力を紹介しよう。

世界遺産委員会も認めたマチュピチュの人工美&自然美

人工の美と自然の美が一体化した絶景

人工の美と自然の美が見事に調和したマチュピチュの絶景。この景色を前に誰もが息をのむ

マチュピチュの美は世界遺産の選定を行っている世界遺産委員会も高く評価している。世界遺産には評価基準として10項目の登録基準が定められているが、この中には美的価値が高い文化遺産を評価する基準(登録基準(i))と、ひときわ優れた自然美を評価する基準(登録基準(vii))がある。

世界遺産「マチュピチュの歴史保護区」は文化遺産の登録基準(i)(iii)と、自然遺産の登録基準(vii)(ix)をクリアする複合遺産で、人工美と自然美の両面が評価されているのがわかる。このように美に関する登録基準(i)と(vii)を同時にクリアする世界遺産は千件を超える世界遺産リストの中にわずか9件しか存在しない。
上空から見たマチュピチュ

上空から見たマチュピチュ。上の山がワイナピチュ、下の山がマチュピチュ、左がウルバンバ川 (C) Preben Nilsen

「マチュピチュの歴史保護区」のおおよその資産(登録範囲)は以下のようになっている。遺跡だけでなく、広大な山地が登録されているのがわかる。

世界遺産「マチュピチュの歴史保護区」資産(Googleマップ)

これだけの広さを確保しているのは自然遺産としての美的価値と生態系を守るためだ。この地域は標高150メートルほどのアマゾン盆地と6000メートル級の山々が連なるアンデス山脈を接続しており、アマゾンとアンデスの生態系の影響を共に受けている。南米唯一のクマであるメガネグマやアンデスコンドルなどの貴重な動物たちが生息しており、このため生態系を評価する登録基準(ix)も認定されている。

残りの登録基準(iii)は消滅した文明の証拠を評価する基準で、マチュピチュがインカ帝国の文化を伝える無二の遺跡であることを示している。

世界遺産の宝庫、プレ・インカとインカ文明

聖石インティワタナ

聖石インティワタナ。角は東西南北を指し、暦を定め、日時計としても使われていたらしい (C) David Stanley

アンデス周辺には紀元前2000年頃から数々の文化が成立していた。これらをまとめて「プレ・インカ時代」と呼んでいるが、文字を持たない文化であったため口伝えの伝承以外に記録は残っておらず、非常に謎が多い文化群でもある。

文字は持たなかったものの、その文化レベルは非常に高い。たとえば脳外科手術やナスカの地上絵、剃刀が入る隙間もないという石組み、これらもプレ・インカが生み出した技術だ。具体的にはチャビン、ナスカ、ティワナク、チムーなどの文化があるが、それぞれ「チャビン遺跡」「ナスカとパルパの地上絵」「ティワナク」「チャンチャン遺跡地帯」として世界遺産リストに登録されている。

こうしたプレ・インカ文化をまとめて統一し、13世紀にチリからエクアドルに至る大帝国を築いたのがインカ帝国だ。伝説によると初代皇帝マンコ・カパックは太陽神インティの子孫で(アンデスに文明をもたらした謎の創造主ビラコチャの子孫という説もある)、神として帝国を統治するために降臨したと伝えられている。

スペインの侵略と幻の都ビルカバンバ

ワイナピチュ山頂から見たマチュピチュ

ワイナピチュ山頂から見たマチュピチュ。都市はコンドルの形にデザインされたともいわれる。左のジグザグがハイラム・ビンガム・ロード

15世紀後半からの大航海時代、スペインとポルトガルは未知の大海・大西洋へと進出し、世界侵略へと漕ぎ出していく。1521年にコルテスがメキシコのアステカ文明を滅ぼして莫大な財宝を手に入れると、財宝探しの探検は熾烈を極め、「南に黄金の国がある」という伝説を聞きつけたスペインのコンキスタドール(征服者)、ピサロがついにインカ帝国を発見する。

1532年、ピサロは200人を引き連れてカハマルカという温泉場で3万の軍勢を率いる皇帝アタワルパと対面する。軍馬や銃、爆薬といった見たこともない兵器の前にインカの軍勢は崩れ去り、ついにアタワルパはとらえられてしまう。ピサロは釈放する条件でインカの黄金を搾り取ると、結局アタワルパを処刑してしまう。 

1537年、マンコ・インカが新帝国の皇帝を名乗って残る財宝をかき集め、北のアンデスの山奥、ビルカバンバ山脈へ逃げ延びる。この反乱は1572年、最後の皇帝トゥパク・アマルの処刑によって終結し、インカ帝国は完全に滅びてしまう。

このあとコンキスタドールたちは財宝が隠された幻の都ビルカバンバを必死に探すが、発見することができない。これ以降、世界中の探検家や学者、トレジャーハンターによるビルカバンバ探索が行われることになる。

偶然発見された謎の空中都市

マチュピチュの都市遺跡

マチュピチュの都市遺跡。山型・三角形の石組みは破風の部分で、木造の屋根をかけていた

ビルカバンバは下から絶対に見ることができない山頂に建設されたという伝説があり、それを手がかりにアメリカ・イェール大学の教授ハイラム・ビンガムは現地の人々への聞き込み調査を積み重ね、1911年、子供に連れて行かれた山の峰でこの空中都市を発見する。

ところが財宝は見つからず、マチュピチュが建築された年代もスペイン来襲前と推定され、この空中都市がビルカバンバではないことが明らかになった。結局ビルカバンバはアンデスやアマゾンにいくつか候補地があげられているものの決定的な証拠はなく、いまだ幻でありつづけている。

一方、マチュピチュは何なのか? 長らく謎とされていたが、近年は建築様式から15世紀半ば~後半に築かれた避暑地あるいは離宮と考えられている。

皇帝の離宮マチュピチュの全貌

段々畑アンデネス

段々畑アンデネス。マチュピチュには多くの畑があり、排水設備なども備わっていた。皇帝の滞在時は自給自足が可能だったと見られている

マチュピチュの遺跡は標高約2690メートルのワイナピチュ山と標高約3060メートルのマチュピチュ山を結ぶ標高2430メートルの稜線に築かれている。なぜ山の麓でも山頂でもない尾根が選ばれたのかはわかっていない。麓のウルバンバ川やマチュピチュ村(アグアスカリエンテス)からはまったく見えない位置にあるが、約70キロメートル離れたインカ帝国の首都クスコとはインカ道で結ばれている。

遺跡は第9代皇帝パチャクティと第10代トゥパック・インカ・ユパンキが築いた離宮と考えられている。使用時には皇帝が従者を伴って入場し、500~1000人ほどがこの地で暮らしていたようだ。

遺跡は農園部と都市部で構成されている。農園部のアンデネスと呼ばれる段々畑ではトウモロコシやジャガイモといった穀物が栽培されており、リャマやアルパカといった動物たちも放牧されていた。農園部と約400メートルの壁で区切られた都市部は石造のプラットフォーム上に建てられており、約200棟の建物が連なっている。主な建物を列挙しよう。
太陽の神殿

巨大な岩盤の上に築かれた太陽の神殿。四角く切り出した石を並べて曲線を描き出している (C) C T Johansson

■太陽の神殿
半円形の塔のような建物で、トレオン(大塔)とも呼ばれる。王家の墓(ミイラ安置所)の上に建っていることから霊廟であるともいわれる。台形のふたつの窓は夏至と冬至の太陽の位置、あるいは星々の位置取りと関係があるとされ、インカの宇宙観・宗教観を示すものとなっている。

■王女の宮殿
太陽の神殿に隣接する建物で、2階建てだが内部に階段はない。王女あるいは神官がすごす場所だったと考えられている。

■インティワタナ
「インティ(太陽。太陽神)と結ばれる場所」という意味を持つ直径2メートル、高さ1.8メートルほどの花崗岩で、都市部でもっとも高い場所に置かれている。宗教的な意味に加え、1日の時間を示す日時計、あるいは太陽の高さに応じて日付を示すカレンダーとしても使われていたようだ。

■3つの窓の神殿と主神殿
正方形の広場に隣接したコの字型のふたつの神殿で、広場では神聖な儀式が行われていたようだ。3つの窓の神殿の東側の壁にはその名の通り3つの台形の窓が並んでいる。

■コンドルの神殿
コンドルの頭とクチバシをかたどった平石が置かれており、背後のふたつの岩は翼を示すといわれる。コンドルは神の使いとされていたことから天と地を結ぶ儀式が行われていたと考えられている。ここで生け贄が捧げられたとも、岩の下の空間が牢獄だったともいわれるが、確証はない。

■インティマチェイ
コンドルの神殿の北に位置する洞窟状の建物で、マチュピチュでもっとも精巧な石組みがあり、12月の冬至前後のみ太陽が内部を照らす。この時期になんらかの儀式が執り行われていたと考えられている。

早朝のマチュピチュに震えよう

朝もやに包まれたマチュピチュ

朝もやに包まれたマチュピチュ。霧は一気に消え去り、その美しい姿を現す。この霧が山頂に水をもたらし、生態系にも影響を与えている

何よりもマチュピチュの早朝は美しい! こんな感じだ。

日の出を控えた早朝、麓の温泉街マチュピチュ村を出て、遺跡を目指して登山を開始する。霧のために視界は悪く、10メートル先も見えない。標高のためか、呼吸が辛い。やっとこさゲートに到着したが、峰がどっちなのかさっぱりわからない。なんとなくそれらしい方角に進んでいると、開けた一角にたくさんの観光客がいて、段々畑に座って全員が一方向を見つめていた。

マチュピチュといってもあまり期待しすぎてもなーと思ってここまできた。写真は何百枚も見ていたし、たくさんの物語が頭の中に入っていた。

数十分待っていると少しずつ周囲が明るくなってきた。霧の向こうに日が出たんだな。そう思ったとき、正面のワイナピチュ山頂にうっすら日が差しているのが見えた。あとは魔法のランプに吸い込まれる白い煙。一気に霧が去り、いきなりあの景色が現れた。静寂に包まれた。全身が震えた。

この瞬間、あの場にいたすべての人が同じ感覚を手にした。だから静寂に続く数瞬後、ワォーという声が走り、拍手が湧き起こった。隣の白人も拍手していた。まん丸な目が笑っていたので握手した。 

世界遺産条約は顕著な普遍的価値を有する遺産を永遠に守ろうという活動だ。「普遍」であるから古今東西を問わず人類に共通する価値でなければならない。あの時あの場にいた人は、きっとその一端に触れたのだろう。

マチュピチュ観光の基礎知識

コンドルの神殿

コンドルの神殿。下の平石がコンドルの頭とクチバシで、後ろの柄のついた岩が両翼だといわれている (C) Colegota

ここではマチュピチュ観光の方法を解説する。といっても観光方法は2011年ほどから変わりつづけていて不透明な部分があり、2019年にも変更が予定されている。旅行前に必ず最新情報を確認してほしい。まずはマチュピチュの入場制限と観光のルールを紹介しよう。

■マチュピチュの入場制限

  • マチュピチュ遺跡:1部3500人×1日2部、午前の部6~12時・午後の部12~17時半
  • マチュピチュ山:1G400人×1日2G、受付は第1G7~8時、第2G9~10時
  • ワイナピチュ山:1G200人×1日2G、受付は第1G7~8時、第2G10~11時
※G=グループ
※遺跡と合わせてマチュピチュ山は7時間、ワイナピチュ山は6時間の時間制限あり
※遺跡について、2019年から6~17時半の開場で入場時から最大4時間の時間制限に移行予定

■マチュピチュ観光の主なルール
  • 遺跡観光にはガイド同行が必須(1ガイド16人以下)
  • ペットボトルや食事、三脚の持ち込みは禁止
  • 禁煙
  • 再入場不可
  • 2度目の入場の場合はガイド同伴は免除(最初のチケット提示が必要)
メガネグマ

標高1500~3000メートルほどと高所に生息する南米大陸唯一のクマ、メガネグマ。IUCN(国際自然保護連合)レッドリスト危急種 (C) Tomfriedel

マチュピチュ観光は、遺跡・マチュピチュ山・ワイナピチュ山と3つのパートでなっており、チケットは「遺跡のみ」「遺跡+マチュピチュ山」「遺跡+ワイナピチュ山」の3パターンで、これに午前・午後の部、第1グループ・第2グループを選ぶ形になっている。

チケットはオンライン(VISAカード決済。下にリンクあり)、クスコの文化庁、マチュピチュ村の観光案内所、あるいは旅行代理店に頼んで購入することができる。ただし、いずれの見どころにも人数制限があり、特にワイナピチュ山は人気で数か月前に売り切れることが多い。山に登ることを考えている人は早めに予約しておこう。遺跡観光だけならピークシーズンを除いて直前でも手に入ることが多い。

遺跡観光にはオフィシャルガイドが同伴しなくてはならない(ワイナピチュ山とマチュピチュ山は不要)。ツアーなどではガイドをつけてくれるが、個人旅行の場合はエントランスなどでガイドを雇うことになる。値段はまちまちだが、ガイド1人あたり80~150ドル程度で、これを人数で割ることになる。引率できるのは1ガイド16人までなので、17人以上いるグループは複数のガイドが必要となる。

個人旅行の場合、上のような手続きは手間がかかることから現地ツアーを利用する旅行者も少なくない。ホテルなどでもツアーを扱っているので相談してみるとよいだろう。

[関連サイト]


マチュピチュへの道

3つの窓の神殿

多角形に切り出した石を見事に組み合わせた3つの窓の神殿(上)。石造プラットフォームの上に築かれているのがわかる

■エアー&ツアー情報
ペルーへの直行便はないので、アメリカかメキシコの諸都市を経由して首都リマに入るのが一般的。格安航空券で14万円程度から、ツアーは6日間25万円ほどから。

マチュピチュの拠点はクスコなので、リマからバスか飛行機でクスコに移動する。飛行機の場合は往復100ドルからで約1時間。バスだと20~30時間もかかる。

■クスコからマチュピチュまでの移動
マチュピチュ観光の拠点はリマの東600キロメートルほど(直線距離。以下同)のクスコ。クスコからマチュピチュまでの70~80キロメートルは電車か、バス・電車・徒歩を組み合わせて訪ねる。

電車の路線は主に以下4種類がある。ポロイはクスコの最寄駅で、ウルバンバはクスコの北東約30キロメートル、オリャンタイタンボは同約45キロメートルの町。オリャンタイタンボやウルバンバにはクスコからバスも出ている。
  • ポロイ-(3.5時間弱)-マチュピチュ
  • ポロイ-(2時間弱)-オリャンタイタンボ-(1.5時間前後)-マチュピチュ
  • オリャンタイタンボ-(1.5時間前後)-マチュピチュ
  • ウルバンバ-(2.5~3時間)-マチュピチュ
電車はペルーレイルとインカレイルの2社が運行している。いずれも複数の車両があり、たとえばペルーレイルは憧れの豪華列車ハイラム・ビンガム号や、大きなガラスで車両を覆ったビスタドーム号、展望車両を備えたセイクリッド・バレー号などを運行している。

日帰りについて、早朝ポロイを出て9~11時頃マチュピチュに到着する電車があり、17~19時頃マチュピチュを出て20~22時半前後にポロイに戻る電車もある。かなりあわただしいが、これなら日帰りできなくもない。オリャンタイタンボからはより多くの電車が出ているので、バスと電車を組み合わせる旅行者も少なくない。

マチュピチュ駅から遺跡まではシャトルバスが運行しており(20~30分)、徒歩で訪ねることもできる(1~1.5時間)。

[関連サイト]
  • PeruRail(ペルーレイル。英語/スペイン語)
  • IncaRail(インカレイル。英語/スペイン語/ポルトガル語)
ペルーレイルのエクスペディション号

クスコのポロイとマチュピチュを結ぶペルーレイルのエクスペディション号

■インカトレイルについて
クスコ-マチュピチュ間はインカ時代に整備されたインカ道が通っており、この間には遺跡や絶景ポイントも少なくないことからトレッキングの人気が高い。さまざまなルートがあるが、以下の2つが代表的。
  • クラシックトレイル:Km82~マチュピチュ、4日間
  • ショートトレイル:Km104~マチュピチュ、2日間
「Km82」はクスコから82キロメートル離れたポイントという意味で、ポイントの近くに駅がある。クスコのポロイから電車でKm82の駅まで移動し、そこからトレッキングに移り、夜はキャンプ場で眠る。最高到達地点は標高4200メートルに達し、雨季は雨具が必須、2月は閉鎖されるので要注意。ショートトレイルはクラシックトレイルの後半を歩くルートだ。

インカトレイルには1日500人までという人数制限があり、ガイドの同伴が義務づけられている。定員は数か月前にいっぱいになってしまうといわれているので、参加を希望する人は早めに旅行会社に相談しよう。

■周辺の世界遺産
クスコはインカ帝国の元首都で、旧市街は世界遺産「クスコ市街」に登録されている。旧市街はアルゼンチン/エクアドル/コロンビア/チリ/ペルー/ボリビア共通の世界遺産「カパック・ニャン アンデスの道」にも登録されているが、これは全長4万キロメートルに及ぶインカ道=カパック・ニャンの要所を登録した物件で、クスコやマチュピチュ、リマの周辺などに資産が点在している。

クスコの北160キロメートルほどにはアマゾン地域の自然遺産「マヌー国立公園」があり、クスコから2~5日間ほどのツアーが出ている。

ペルーの玄関口となるリマの旧市街には「リマ歴史地区」がある。リマの北140キロメートルほどには古代のピラミッドが残る「聖地カラル-スーぺ」があり、リマの南350キロメートルほどには地上絵で有名な「ナスカとパルパの地上絵」がある。いずれもリマからツアーなどで日帰りでも訪ねることができる。

マチュピチュのベストシーズンと高山病

マチュピチュの霧の絶景

雨季のマチュピチュは雨の恐れが高いうえに歩きにくいと避けられがちだが、雨季に多い霧の絶景も捨てがたい

■ベストシーズン
南半球で季節は日本と逆になるが、マチュピチュ周辺は気温が安定しており、特に1日の最高気温は1年でほとんど変化がない。夏の平均最高気温は20度、最低は12度。もっとも冷えるのは7月で、平均最高気温は19度、最低は3度。特に夜と朝方は夏でも涼しく、冬は氷点下にまで落ち込むこともある。

雨季は11~4月で、特に1~3月に雨が多く、東京の6月ほどの雨量が続く。乾季は5~10月で、6~8月の降水量は0に近い。ハイシーズンは歩きやすく景色がよい乾季。

■高山病について
アンデスを訪れる旅で一番心配なのが高山病だ。クスコの標高は3400メートルで、富士山の9合目にあたる。予防法らしい予防法はないが、睡眠をよくとる、水をよく飲む、酒やタバコはひかえるなど。高山病に効く薬もあるので、心配な人は医師に相談しておこう。

万全を期したい人、時間に余裕がある人は、クスコに行く前に標高2335メートルのアレキパで高度順応しておくのもおもしろい。アレキパはコンドルの谷=コルカ・キャニオンで有名で、旧市街は世界遺産「アレキパ市歴史地区」に登録されている。

世界遺産基本データ&リンク

世界遺産ランキング第1位の常連、マチュピチュ

世界遺産ランキング第1位の常連、マチュピチュ。いつも1位になってしまうため、世界遺産ランキングがあまり作られなくなったなんていう話もある

【世界遺産基本データ】
登録名称:マチュピチュの歴史保護区
Historic Sanctuary of Machu Picchu
国名:ペルー共和国
登録年と登録基準:1983年、文化遺産(i)(iii)、自然遺産(vii)(ix)

【関連記事&サイト】
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※海外を訪れる際には最新情報の入手に努め、「外務省 海外安全ホームページ」を確認するなど、安全確保に十分注意を払ってください。

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