哲人あるいは詩人建築家と呼ばれ、あるときは孤高または異端と形容され、建築界では存命中から神話化されていた白井晟一(1905-1983)の回顧展が汐留ミュージアムで開催される。
建築家 白井晟一ってどんな人?
「ダンディズム」は白井晟一をひも解く際のキーワードといえるでしょう。白井晟一、1978年頃 (C)Keiichi Takara (C)白井晟一研究所
白井は明治生まれの建築家らしく独特のスタイルを持っていました。たとえばネクタイは水玉模様のみ、新幹線乗車時でも、人前では決してジャケットを脱がないなど…。音楽はベートベンを愛好。さらに文字に対するこだわりを強く持ち、弟子入り希望の若者には、掃除の修行をさせながらオールドローマン書体のレンダリングをひたすら手習いさせたと言われています。両極的なものを衝突させながら空間を構成していくその建築手法同様、貴公子と野人の顔を持つ、と評されることもあったのでした。
筆者にとって白井建築との出逢いは、六本木から東京タワー方面に向かう麻布飯倉交差点に聳え立つ「ノアビル」、東京都渋谷区松濤二丁目の住宅街にある「渋谷区立松濤美術館 (しぶやくりつしょうとうびじゅつかん)」 。そして既に解体された「親和銀行東京支店」もそうであった。
1974年 ノアビル (東京都港区)
1928年に京都高等学校(現:京都工芸繊維大学)を卒業した白井晟一は、同年、ドイツ・ハイデルベルク大学へ留学し哲学を学ぶ。帰国後は義兄の自邸設計を手伝ったことから建築の道に入り、戦前戦後を通じ日本建築界において存在感のある数々の白井建築を生み出した。
また装丁家としても優れたデザインを遺しており、中央公論社の書籍の表紙と扉絵に添えられた装画は白井晟一のデザインとして広く知られている。
では、次のページにて展示のみどころをご紹介します。