毎月1日、朝8時30分00秒。
茨城県立国民宿舎「鵜の岬」の8台の電話が一斉に鳴り始めます。
例えば、2月1日は5月分の予約受付の日。この日、何と58室×一ヶ月分の予約をたった半日で売り切ってしまうのです(夏休み・年末年始は往復はがきによる抽選)。予約を取るためには、平均でも数十回のお話し中を、延べにして数時間耐えなくてはいうのは、超大物のコンサート並み。大晦日の予約抽選は、なんと300倍という宝くじ並み!そんな「鵜の岬」の人気の秘訣をご紹介しましょう。
その秘訣とは、デフレ経済のツボをうまく突いたものでした。
建物は平成9年築。
失礼ながらご多分にもれず少し過剰投資気味にも見える「公共事業の宿」。
こんなリゾートホテル並みの全室オーシャンビューの立派な施設で一万円を切る価格だったら「人気で当たり前でしょう」と思うのがふつうかもしれません。でも・・・
「鵜の岬」は、現在の新館が建つはるか以前、おんぼろの旧館だった平成元年から、連続して13年国民宿舎の利用率日本一を続けているのです。
つまり、立派に越したことはありませんが、豪華な建物がその人気の秘訣ではないのです。公共事業目的で立派な器を建てればいいってものではないってことがこれで証明されましたぞ。
それでは、何が秘訣なのでしょう。
初めて日本一になった平成元年の前年、「鵜の岬」が取り組んだこと。
それは「温泉」の掘削(昭和63年に湧出)。
つまり、日本一の理由は、「温泉化」だったのでしょうか!?
確かに、太平洋を望む最上階の展望温泉大浴場は爽快さが大人気。近年続く公共温浴施設でのレジオネラ菌汚染の影響でしょうか、少々塩素がきついようでしたが・・・(苦笑)
しかし、温泉がまだ湧出していなかった昭和60年代の成績はどうだったかというと、鵜の岬の利用率は西伊豆のまつざき荘に続き、全国第二位。つまり、温泉は、日本一への最後の一押しにはなりましたが、これも決定打ではなかったようです。
むしろ、超人気が続いたからこそ、温泉が堀れ、施設も建替えられたと考えるほうが自然なのではないでしょうか。
では、「食事」でしょうか。
広々としたレストランでは、その場で揚げる牡蠣フライが冬の人気メニュー。地元ならではの「あんこう鍋」も大変好評のようですが、写真をご覧のとおり、抜群の驚きがあるほどではないようです。
では、最初は温泉もなく、おんぼろだった国民宿舎を日本一にした人気の秘訣は何だったのでしょう。それは・・・