メッチャンコになったぼくの町の記録『ぼくのじしんえにっき』
和之君の夏休みの絵日記は、『ぼくのじしんえにっき』になってしまった……。夏休みに入ったころは普通の日常だったのです。おばあちゃんとママはしょっちゅうけんか。毎晩夜中にお風呂の掃除をして水を張るおばあちゃんを、ママは批判します。おばあちゃんは「あんたらのぜいたくにくらべたら、ぜいたくなもんじゃ」と言い返して険悪に。その様子を日記に記した3日後に、和之君が住む東京は震度7の地震に襲われました。彼は、おばあちゃんなりの贅沢なのだろうと思っていた毎日のお風呂の水の取り換え、箱いっぱいにストックされた缶詰の意味を、身をもって知ることになるのでした。
変わってしまったのは町の様子だけではなかった
塾のテスト中に起きた、建物を歪ませるほどの大きな揺れ。飛んできたガラスが刺さって血だらけになった友だち、将棋倒しの下敷きになって動かなくなった友だちを目の前にしながら、避難のための作業を手伝い、自分自身も無事建物の外へ。地震による直接的な被害だけではなく、その後の生活には想像することもできなかった様々なことが待ち構えていました。帰宅難民、水不足、買い占め……。ラジオが「東京は壊滅状態です」と伝えます。変わってしまったのは町の様子だけではなく、人々の心も。スーパーでの暴動、住民同士の言い争い、子ども同士のけんかが続きます。衛生状態も悪化し、重い病気で生死を患った和之君を生還させたのは、夢の中に現れたおばあちゃんとかわいがっていた猫。そのおばあちゃんと猫も、回復して帰宅したかずゆきくんを出迎えてはくれませんでした。おばあちゃんが話していた「あいべつりく」(愛別離苦)という言葉を、和之君は泣きながらかみしめます。
主人公の成長、確かな希望
1989年に初めて出版された児童書。巨大震災が都市部にもたらす様々な現象を通し、備えを持つこと、助け合うこと、希望を持つことの大切さを訴える内容は、小学校高学年にもなると1人で読むこともできるでしょう。「身近な友だちがいなくなってしまい、町も人々の心も荒れて、怖いね」と子どもたちが感じた時、大人が後ずさりをせずに、一緒に考えてあげてほしいと思います。地震から派生する様々な困難に時々涙を流しながらも、ひたすら受け止め、自分にできることを考えながら生きていく和之君。最後のページでは、力強い決意を胸に穏やかな表情で日記を前にしています。日記の最後の2行が、様々な意味を持って読者の胸に迫ることでしょう。そこには小さいけれど確かな希望が存在しています。