新宿の街並み
標高30m前後の台地と同0mの低地、そしてそれらをつなぐ斜面地で形成される都心(山手線内側)の地勢にあって、新宿は最も海抜の高いエリアに属している。遡ること1500年以上前、神田川のほとりにはすでに人が住んでいたことが西戸山や落合など著名遺跡などから判明している。「新宿」という名称は、江戸時代に入ってから名付けられたものである。
新宿の由来
「幕府配布の翌年に五街道が制定されたが、甲州街道は、新宿区内でいえば、国電四ツ谷駅から新宿駅へ向かい、新宿駅南口を通る大通りがそれで、甲府にいたり、甲府から中山道の下諏訪に連絡する」(「新宿区の歴史」名著出版)。文中、「国電」は今のJR東日本、中央本線のこと。「はじめ、甲州街道の第一の宿場は高井戸(杉並区)であった。徳川家康の入国後、江戸市街の完成や四谷見附門が作られ、四谷は江戸の一角をなし、甲州街道の開設をみた。(中略)しだいに街道の往来が増加してきた。日本橋と高井戸宿間の距離は四里二町(約16km)で、この街道を往来する人馬が難儀をしていた」(同)。そこで5名の町人が巨額の資金を投じて、新宿の開発に乗り出す。新しい宿場は「現在の伊勢丹付近から新宿1丁目あたりの間」(同)に完成。これが、都内有数の歓楽街「新宿」の原点である。
「新宿区富久町」という場所
新宿発祥が江戸時代なら、市谷は圧倒して古い。「鶴岡八幡宮宮古文書」にて1312年「武蔵国金曾木彦三郎並市谷孫四郎等所領」が将軍家より寄進されていることから、氏を地名から取ったものととらまえるならば市谷という地名は鎌倉時代まで遡ることに。江戸に入り、現在の市谷一帯は、西を守る場所としてほとんどを武家屋敷が占めた。(同)外堀工事に伴い、麹町辺りから寺社が多く市谷に移ってきたという。市谷の住居表示は丁目を用いたものが少なく、門前町や武家屋敷といった江戸の名残を残した地名が大半ではないだろうか。現代にあっても、この界隈は時代小説の舞台として親しまれている。
明治二年(1869年)、市谷西部に当たる市谷自証院門前、市谷坂下薬王寺門前、市谷三軒屋敷、市谷修行寺門前が合併し、市谷富久町になった。富久の名は、「末永く富んだ町にしたい」といった念願が込められているという。地震ハザードステーション200mメッシュでは標高32m、表層地盤増幅率1.51。都心部では良好な地盤の分類に入るといって良いだろう。ここで今、地上55階建ての超高層マンションが建設中である。
山手線内側、1000戸超の巨大タワー「トミヒサクロス」
イメージフォト
交通アクセスは、東京メトロ丸ノ内線 「新宿御苑前」駅徒歩5分をはじめ、同副都心線 「新宿三丁目」駅徒歩8分、都営新宿線 「曙橋」駅徒歩9分。JR山手線「新宿」駅からも徒歩16分と歩けない距離ではない。伊勢丹に徒歩10分程度で行けるロケーションで、住環境にあるというのは珍しいといえる。
敷地内に「イトーヨーカドー」が入ることも大きな利便である。建物の地下でつながっているため、雨に濡れずに日々の買い物を済ますことができる。これはシニア層をはじめ、あらゆるライフステージの顧客にとってプライオリティになるだろう。
モデルルームを現地隣の建物に構え、現在予約制で見学希望を受け付けている。消費税増税後の入居だが、経過措置としての現行税率での販売を来月に予定している。山手線の内側という立地、そして1000戸を超える規模。注目の1棟であることは確か。
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