自動車と一体化する感覚
工事現場で大型トラックがバックで入っていく、なんて風景見かけますよね? 運転手さんはトラックの車幅を感覚的に把握して運転します |
例えばお箸。お箸でつまめるもの、つまめないもの、直感的に分かりますよね? お箸でご飯を食べる時、イチイチ何か考えていますか? そんな人はほとんどいないでしょう。大きすぎる大根の煮物は半分に割って、重心の取りやすいところをはさんで……なんてことは考えずとも瞬時に判断でき、自由自在に食べ物を口の中に入れていきます。この感覚はお箸があって初めて成立するものです。もっと言えば、毎日お箸を使って初めて成立するもので、外国から日本に来た人がいきなりお箸を使おうと思っても、なかなか難しかったりするわけです。
訓練によって、まるで自分の体かのように道具を通して知覚できるという例は、そこら中にいくらでも転がっています。身近かつ、非常に複雑な知覚の例としては、自動車があげられます。車幅感覚、という言葉がありますね。自分がいつも乗っている車の幅というのは、まるで自分の体のように直感的に分かるようになるものです。だからこそ、道路が走れるわけですし、バックで車庫に入れたり、縦列駐車のようなこともできます。訓練すれば、トラックのような遥かに大きなものでさえ、身体感覚を得て、直感的に操作をすることができます。そして、これと同じことが、コントローラーを手に持つゲーマー達にも言うことができるのです。
リモコンよりコントローラーの方が直感的な人たち
僅かな隙間を捉えて、繊細な操作で弾を避けていきます。当然頭で考えてコントローラーを動かしていたのではそんなプレイは実現できません |
しかも、恐ろしいことにそれは、あえて数字にするならテレビ画面の中においてほんの数ミリの違い、時間にして0コンマ何秒というレベルの精度で行われています。まったく逃げ道の無いかのように見える弾幕をかいくぐるシューティングゲーム、攻防の展開が早すぎて何をしているか理解できないような格闘ゲーム。直感的に操作しなければプレイできるわけがありません。つまり、タッチペンやWiiリモコンが直感的だというのは、ゲームをしない人にも直感的、という話であって、そもそもゲームをたくさんやる人たちは従来のコントローラーでも直感的に操作をしているのです。
こうして、スティックやボタンを駆使してゲームをしていた人が持っている知覚というのは、操作をするコントローラーとセットのものです。車種が変わったら車幅感覚が狂うように、外国の人がお箸を使えないように、自分と違う体格の人がまたげるバーの高さが分からないように、コントローラーがタッチペンやリモコンのような全く違うものに置き換えられると、今まで持っていた直感的な操作感覚は大きく失われます。
そうすると、今までたくさんゲームをしてきた人ほど、タッチペンやリモコンを使った時に、従来のコントローラーと比べて相対的に、直感的でない、違和感がある、と感じる可能性高くなります。Wiiリモコンを振るよりもボタンを押す方が違和感なく、しっくりくる、そういうユーザーが出てくるというわけです。
では、ゲーマーと呼ばれる人たちにとってはWiiリモコンのようなデバイスは無意味なのでしょうか?