世界遺産/アメリカの世界遺産

北米・中米の世界遺産

グランド・キャニオンやヨセミテの雄大な大自然や、ジャングルの中に築かれたマヤの遺跡群、カリブの美しい海、パステル・カラーに輝く中世の植民都市などを特徴とする、北米と中米の世界遺産を紹介する。

長谷川 大

執筆者:長谷川 大

世界遺産ガイド

北米・中米のおすすめ世界遺産

メキシコの世界遺産「古代都市チチェン・イッツァ」のエル・カスティーヨ。春分と秋分の日の年2回、羽を持つ蛇の神ククルカンがこのピラミッドに舞い降りる ©牧哲雄

メキシコの世界遺産「古代都市チチェン・イッツァ」のエル・カスティーヨ。春分と秋分の日の年2回、羽を持つ蛇の神ククルカンがこのピラミッドに舞い降りる ©牧哲雄

本記事では北米大陸とカリブ海の島々を含んだ地域を扱う。このうちアメリカとカナダをアングロ・アメリカ、メキシコからパナマまでの地峡部を中米、古代から文明が発達した地峡部の文化圏をメソ・アメリカという。北米の定義は様々で、以上のすべてをさす場合や、アングロ・アメリカのみを示すこともある。ちなみに、ラテン・アメリカは中米と南米のこと。

パナマからメキシコ南部、カリブ海地域は緯度が低く、熱帯・亜熱帯でジャングルやサバンナと呼ばれる熱帯性の草原が広がっている。ジャングルの世界遺産としてはパナマの「ダリエン国立公園」、サバンナの世界遺産にはコスタリカの「グアナカステ保全地域」などがある。

アメリカの世界遺産「イエローストーン国立公園」の鉱泉。カラフルな色彩はバクテリアによって作り出されている

アメリカの世界遺産「イエローストーン国立公園」の鉱泉。カラフルな色彩はバクテリアによって作り出されている

大陸中央に広がる大平原には森林や草原が多く、豊かな土地を利用して農業や牧畜が盛んに行われている。西部には標高4,000mを超えるロッキー山脈が連なり、山脈から西は砂漠やステップが広がる乾燥地帯だ。関連する世界遺産には、原生林で知られるアメリカの「グレート・スモーキー山脈国立公園」、ロッキー山中の「ウォータートン・グレーシャー国際平和自然公園自然」(カナダ/アメリカ共通)、砂漠にはアメリカの「グランドキャニオン国立公園」などがある。

大陸北部は冷帯から寒帯で、カナダの国土の多くが北極圏だ。氷河や雪原の世界遺産としてはアメリカ、カナダ両国に広がる「クルアーニー/ランゲル - セント・イライアス/グレーシャー・ベイ/タッチェンシニー - アルセク」などがある。

人類が北米に達したのは15,000~20,000年前。氷河時代氷期には海面は現在より100mほど低く、ユーラシア大陸と北米大陸の間にあるベーリング海は陸地だった。アラスカは氷河に閉ざされていたが、温暖化すると次第に氷が溶け出して、陸続きでありつつ無氷回廊が現れた絶妙なタイミングで、アジア系のモンゴロイドが北米に入ったようだ。

 

独特の楕円形をした、メキシコの世界遺産「古代都市ウシュマル」の魔法使いのピラミッド

独特の楕円形をした、メキシコの世界遺産「古代都市ウシュマル」の魔法使いのピラミッド

巨大な文明が栄えたのはメソ・アメリカ。紀元前1500年前後にはオルメカ文明誕生し、以来各地に都市国家が興った。代表的なものには紀元前5~紀元9世紀のサポテカ文明、紀元前2~紀元7世紀のテオティワカン文明、紀元前後~16世紀のマヤ文明、7~12世紀のトルテカ文明、14~16世紀のアステカ文明などがある。世界遺産には、サポテカ文明の「オアハカ歴史地区とモンテ・アルバンの古代遺跡」、テオティワカン文明の「古代都市テオティワカン」(以上、メキシコ)、マヤ文明の「コパンのマヤ遺跡」(ホンジュラス)や「古代都市パレンケと国立公園」(メキシコ)などがある。

16世紀になるとスペインが侵略を開始する。1521年にアステカが滅び、1697年にはすべてのマヤ都市国家が消滅した。世界遺産となった植民都市には、コロンブスが切り拓いたドミニカの「サント・ドミンゴ植民都市」、奴隷貿易の拠点となったキューバの「トリニダードとロス・インヘニオス渓谷」、メソ・アメリカ支配の拠点となったメキシコの「メキシコシティ歴史地区とソチミルコ」などがある。

では、北米の代表的な15件の世界遺産を紹介しよう。なお、アメリカの世界遺産「ハワイ火山国立公園」については記事「オセアニアの世界遺産」で紹介する。

 

メサ・ヴェルデ国立公園

メサ・ヴェルデ最大の住居跡、クリフ・パレス。遺跡は14世紀に突然放棄されており、その理由も謎に包まれている

メサ・ヴェルデ最大の住居跡、クリフ・パレス。遺跡は14世紀に突然放棄されており、その理由も謎に包まれている

アメリカ、1978年、文化遺産(iii)
メサは台地、ヴェルデは緑を意味するスペイン語。コロラド州南西部、標高2,600mに位置する台地状の断崖絶壁を掘り込むようにして、約600もの住居跡が残されている。岩窟集落は12世紀前後からアナサジ族によって造られたもので、彼らは台地の上でなく、わざわざ絶壁の中で暮らしていたようだ。理由は諸説考えられているが、台地上に農地を確保するため、敵から身を隠すため、岩窟内の方が気候的に暮らしやすかったためなどといわれている。
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