演歌・歌謡曲/演歌・歌謡曲入門

演歌・歌謡曲とはなにか~ラップとの音楽的共通性~

演歌・歌謡曲とはなにか。さまざまな方向から楽しく検証するコーナーの第一弾。今回は明治から昭和の音楽的ターニングポイントから『オッペケペー節』、『四人の突撃兵』、『俺ら東京さ行ぐだ』の3曲を紹介。ラップと演歌・歌謡曲との共通性にせまる。

中将 タカノリ

執筆者:中将 タカノリ

演歌・歌謡曲ガイド

演歌とはなにか 歌謡曲とはなにか

演歌とはなにか、歌謡曲とはになかということを定義するのは難しい。

僕は演歌は音楽ジャンル、歌謡曲はある時期の大衆音楽を総称する呼称ととらえている。しかし演歌も歌謡曲も現代ではもはや幅広すぎる定義であり、日本人による音楽の発祥から今現在までに発生、流入したあらゆる音楽を包括していると言ってさしつかえない。

考え方によってその範囲はいかようにでもなるし、僕自身"異なるもの"との境界線を作ることになんら面白みを感じない。むしろ「こんな曲があるよ」「こんな考え方もあるよ」と様々な例をご紹介して、読者のみなさんにそれぞれに受け止めていただいたほうがはるかに楽しく、有意義ではないだろうか。

その上でラップと演歌・歌謡曲には音楽的な共通性がある、と言えばみなさんはどう思うだろう。


演歌・歌謡曲とラップの共通性

もちろん、今の演歌チャートや懐メロ番組に出てくる曲の多く…たとえば『与作』や『長良川艶歌』、『天城越え』はラップとは似ても似つかない。しかし、演歌や歌謡曲の原点からの変遷を考えるとそれらは亜流、ミクスチャーなのだ。僕が紹介したいのはもっと原点的な曲に関して。江戸以前のことになると音源自体が残っておらず、検証が困難になってくるので、ひとまず明治時代以降の歴史をひもといてみよう。ラップと演歌・歌謡曲の共通性がよくわかっていただけると思う。

ちなみに僕はラップに欠かせない要素を

・韻を踏む歌詞
・メロディーをもたない(サビなどは多目に見る)
・一拍目にアクセントをつけた早口のリズム、唱法
・社会への反抗心、世間を皮肉った歌詞
・(アーティスト自身の)社会への反抗心、世間を皮肉ったスタンス

の5つだと考えている(サウンドやファッションの要素は時代や場所で必然的に異なるので省いている)。

これを基準に判断するとMCハマーの『U Can't Touch This』、パブリックエネミーの『Yo! Bum Rush The Show』は5/5点。今を羽ばたく湘南乃風の『巡恋歌』は2/5点である。過去に日本の大衆音楽を形作ってきた曲には湘南乃風のそれよりもはるかにラップ的なものがあるのだ。前置きが長くなったが、具体的な曲紹介に移りたい。


1891年『オッペケペー節』川上音二郎一座 (5/5点)

 
『演歌』の語源は明治時代の末に当時の反政府勢力だった自由民権派が自らの主張を歌った『演説歌』だという。僕はこの説にしたがい、演歌とは1891年頃から川上音二郎が芝居の余興で歌い評判をとった『オッペケペー節』などがその源泉になっていると考えている。


この川上音二郎は単なる役者や歌い手ではなく、自由民権運動の過激運動家。今でこそ中高年向け酒場の観賞音楽になったイメージの強い演歌だが、根本はそれなりにアナーキーな音楽だったのだ。

歌詞は即興性が強く、よく知られているものだけでも何パターンもあるが

「権利 幸福 嫌ひな人に 自由湯(自由党)をば 飲ましたい
オッペケペー オッペケペー オッペケペッポー ペッポッポー
堅い裃 角取れて マンテルヅボンに 人力車 いきな束髪 ボンネット 貴女や紳士の いでたちで 外部の飾りは よいけれど 政治の思想が 欠乏だ 天地の真理が わからない 心に自由の 種を蒔け
オッペケペ オッペケペ オッペケペッポー ペッポッポー」

「ままにならぬは 浮世のならい 飯(まま)になるのは米ばかり
オッペケペー  オッペケペー オッペケペッポー ペッポッポー
不景気極まる今日に 細民困窮かえりみず 目深にかぶった高帽子 金の指輪に金時計 権門貴顕に膝を曲げ 芸者タイ間に金を撒き 内には倉に米を積み ただし冥土のお土産か 地獄で閻魔に面会し 賄賂使うて 極楽へ 行けるかえ 行けないよ
オッペケペー オッペケペー オッペケペッポー ペッポッポー」

などが代表的。
政治や急速なうわっつらだけの近代化を皮肉った内容は、今よりはるかに政府や警察の権力が強かった当時においては勇気がいったことだろう。サウンドは三味線くらいのものだが、歌のリズムはたたみかけるように勢いよく、あえてわかりやすく表現すると『生麦生米生卵』。随所で韻をふんでいて、ラップで言うところのライムを感じる。

ここまでの解説でおわかりになった通り、『オッペケペー節』は先に掲げたラップに必要な要素をすべてを満たしているのだ。演歌の元祖とも言ってよい曲がラップとの共通項をいくつも持っていることがわかったところから順に時代を下って行こう。


1938年『四人の突撃兵』あきれたぼういず(5/5点)

 この後、演歌は鳥取春陽や古賀政男といったシンガーソングライター、作曲家の出現でジャズ、クラシックの音楽性を取り込み、歌詞も叙情的なものが増えグッとモダンになっていく。

またレコードやラジオが普及したことによりポップス、ジャズ、唱歌、浪花節、民謡、小唄など多様な音楽が発展、フュージョンし、1930年代にはかなり多様化した豊かな音楽的土壌が形成されていた。これまで漠然と『はやりうた』などと呼ばれていた日本の大衆音楽が『歌謡曲』と呼ばれるようになったのもこの頃。
 

そして満を持して登場したのがあきれたぼういずである。あきれたぼういずは1937年に川田義雄(後に晴久、戦後“美空ひばりの師匠”と呼ばれることとなる)中心に坊屋三郎、芝利英、益田喜頓で結成。ジャズや歌謡曲、浪花節などのユニークな替え歌、声帯模写をモダンなサウンド、リズムでサンプリングのようにつなぎあわせた楽曲を披露して大人気を博した。

ここで取り上げる彼らのファーストシングル『四人の突撃兵』中には、マラカスをフィーチャーした激しいビートにあわせて『津軽よされ節』を歌うくだりがあるのだが、非常に一拍目にかけるアクセントが強く、歌詞の流れ方も津軽弁のアクセントも手伝ってか、『オッペケペー節』よりはるかにハネた、ラップ感、ロック感がある。

この曲がリリースされた1938年はおりしも、急速に軍国主義が台頭していた時期。あきれたぼういずのファーストシングルも本来は『あきれたダイナ』のはずだったが検閲の結果、発売禁止となっていた。

その腹いせかどうかはわからないが、『四人の突撃兵』は時世を茶化すような表現が多用されており、その中でハイライトとして放たれる『津軽よされ節』には特に反骨精神、若さの暴走が感じられてならないのだ。
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あきれたぼういず
 

すなわち『四人の突撃兵』はラップ的な要素を完璧に満たしており、歌謡曲という言葉が日本の音楽シーンで大きな意味を持ちはじめた時期にこの曲が発表されたことの意義は大きい。


戦後から1980年代にかけての歌謡曲の発展と衰退

太平洋戦争による表現の制約、社会の混乱は音楽シーンにも暗い影を落としたが、そのぶん戦後の復興はめざましいものがあった。

戦前から普及していたジャズはあらためて若者の音楽として流行し、初期の美空ひばり、フランク永井や石原裕次郎による都会的な歌謡曲、1960年代のロカビリー、エレキ、グループサウンズなど一連のロック音楽が流行する素地を作った。

また民謡や小唄などの人気も根強く、1960年代から70年代にかけて小林旭やザ・ドリフターズによって現代風の歌謡曲にアレンジされた作品がヒットするなど一定の存在感を保っていた。

演歌に関しては初期のアナーキーさは失っていたものの1960年前後までにジャズ、ブルースの音楽性を取り込み、歌謡曲の一ジャンルとして音楽性を確立。年代を経るごとに多くの歌謡曲歌手に歌われるようになっていった。

このように歌謡曲は多様な音楽ジャンルを取り込んでゆき、1970年代に全盛期を迎えた。演歌では『女の道』『涙の操』、童謡では『およげ!たいやきくん』『黒ネコのタンゴ』などが数百万枚の大ヒットを記録。テレビの音楽番組では沢田研二、ピンクレディー、ゴダイゴ、アリスなどポップシンガー、アイドル、バンドが入り乱れて華やかに"一等賞"を競い合った。

しかし一方で年々拡大していったロック、洋楽ファンの影響で、若者を中心に従来の歌謡曲、特に演歌を"ダサい"ものとして蔑視する傾向が生まれていた。

他にもレコード会社、芸能プロダクション主導の楽曲作りが飽きられつつあった、ジャンルの多様化が急速にすすんだことなども影響し、1980年代に入ると急激にレコード売上は減少。演歌はカラオケブームの助けがあってどうにかヒットを維持していたが、若者からの歓心を失っていることは明らかだった。

1984年『俺ら東京さ行ぐだ』吉幾三(4/5点)

演歌にとって長い衰退のはじまったこの時期に、あだ花のように咲き誇った曲があった。

その曲こそが吉幾三の『俺ら東京さ行ぐだ』。デビューシングル『俺はぜったい!プレスリー』のヒット以降、長く低迷していた彼が窮余の一策としてリリースした曲で、1985年度のオリコンランキング年間21位という大ヒットをおさめている。

歌はラップ、サウンドは演歌を基調としながらもダンサブルなビート感があり、スクラッチかのような技巧も加えられていて刺激的。歌詞は田舎と東京の格差、感覚のズレを自嘲的に、コミカルに表現している。楽曲としての完成度はもちろん、大衆に認知されていなかったラップ、ヒップホップを一躍メジャーに押し上げた点でも名曲だと言える。

『俺ら東京さ行ぐだ』は先に挙げた2曲とは違い、ラップという音楽が確立した上で作られた曲ではあるが、『オッペケペー節』にあった風刺性、『四人の突撃兵』でみられた方言独特のリズミカルなアクセントという要素を見事に押さえている。

外国から輸入したラップではあるが、吉幾三自身が日本の演歌・歌謡曲がそもそも持っていたラップ性をよく理解していたためこれだけ違和感のない楽曲に昇華できたのだろう。

ただ惜しいことに、吉幾三自身のキャラクターは実にほがらかなものであり、反体制のイメージを押し付けるのは忍びないため、総評としてのラップ性は4/5点となっている。



いかがだっただろうか。今回挙げた曲はみな日本の大衆音楽のターニングポイントで大ヒットした曲たちだが、それを知る中で演歌・歌謡曲とラップとの驚くほどの共通性を感じてもらえたのではないだろうか。お国や時代は違っても、表現の源になっている感情は似通っているというのが文化の奥深さ。またこんな楽しい共通性をご紹介できる機会があればと思う。

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