オードリー・ヘップバーンスリムの意外な理由

戦争中はいつも空腹だったのよ
戦争中はいつも空腹だったのよ
オードリー・ヘップバーンといえば誰もが憧れる理想の女性ですよね。1953年の「ローマの休日」では可愛らしいプリンセスを演じてアカデミー賞を受賞しましたが、彼女の上品な物腰は決して演技ではありません。彼女はイギリス人の銀行家の父と男爵夫人の母を両親に持ち、1929年、ベルギーで生まれました。

彼女はほっそりとしていて(身長170cm、体重50kg)、スリムなモデルの元祖と言ってもよいでしょう。しかし、彼女がスリムなのには理由があったのをご存知ですか? 実は、第二次世界大戦中に食べ物に不自由したことが原因だったのです。


ナチス・ドイツの占領下食べる物がない!

1939年、ナチス・ドイツはポーランドに侵攻し、時代は戦争の影に覆われ始めた頃、オードリーはロンドンの女学校に通っていました。そこで、ドイツによるロンドン空襲を心配したお母さんは中立国のオランダの方がより安全と考えて、娘のオードリーをオランダへ呼び寄せました。しかし、この判断が大きな不幸を招いたのです。

1940年、ドイツはオランダを占領し、お母さんの財産はすべて凍結。また、オードリーのいとこはレジスタンス活動に加わり列車爆破計画が発覚し強制収容所へ送られ死亡する悲劇。

食事の配給は少なく、卵が食べられるのも週に1回がやっとでオードリーはひもじさのあまりバレエの練習もできなくなるほど。1945年、16歳の誕生日の時にオランダは連合国により解放されましたが、この時、彼女は黄疸、浮腫を伴い、ひどい栄養失調状態でした。それにより、彼女の代謝系はダメージを受けてしまい、彼女は体重の増えにくい体質になりました。


度重なる流産そして、うつ状態に

ご存知のようにオードリー・ヘップバーンは映画の世界で輝かしい成功を収めましたが、私生活においては度重なる流産により、なかなか子宝に恵まれませんでした。それは、母親願望の強い彼女にとってはショッキングなもので、特に1959年の「許されざる者」撮影中の落馬がもとで流産した時はひどかったようです。その事故の後にはひどいうつ状態に陥ってしまい、体重は減少、タバコの本数も随分増加。幸い、半年後に再び妊娠し、1960年に無事長男を出産されました。これをきっかけにオードリーは元気を取り戻していきます。

そのような人生の軌跡を描き、晩年のオードリー・ヘップバーンは、終戦時にUNRRA(国連の機関)からの食糧援助によって自らの飢えから救われたことへの恩返しの気持ちで、世界中の国を回り子供達を飢えから救う活動に全精力を捧げました。

最後に…
飢え、流産と多難の道を人生の過程で歩んだオードリー。彼女の愛らしさと洗練された魅力は、辛い時代の暗さを乗り越えたゆえに一層際立ったのかもしれません。

<注>上記の写真は、オードリー ヘプバーン [TX-1443] [ポスター](Amazon.co.jp) から引用しました。


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