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生インタビュー!国際協力のお仕事【前編】

続々登場するインタビューシリーズ!今回は国境なき医師団で西アフリカのシオラレオネへ派遣されたご経験を持つ山本敏晴氏にお話を伺いました!

執筆者:須子 はるか

続々登場するインタビューシリーズ!今回は国境なき医師団で西アフリカのシオラレオネへ派遣されたご経験を持つ山本敏晴氏にお話を伺いました!最近、「世界と恋するおしごと」という国際協力の仕事を目指す人向けの新刊も出されたばかりです。



-現在までのご経歴を簡単に教えてください!
生インタビュー!国際協力のお仕事


2001年に「国境なき医師団」から西アフリカ・シエラレオネに派遣され、2003年には、同団体の日本の理事に就任しています。また、同時期に、JICAの緊急援助隊など他の国際協力組織を経験した後、2004年に「宇宙船地球号」というNPO法人を創設致しました。さらに、写真家として世界各地で写真を撮影し、展示会を開くなどの活動も行っています。


-非常に多彩なご経歴ですね。そもそも山本さんが一番最初に国際協力に興味をもったのはどんなきっかけだったのでしょうか?

実は、3つくらいの原体験がありまして、それらが組み合わさって今の活動に結びついているのだと思います。

まず、ひとつめは、子供の頃に読んだ手塚治虫さんの「火の鳥」というマンガの影響。「火の鳥」のなかでは、時代や場所を変えながらも、人類のおろかさやエゴなどによって社会が滅びていく様子が繰り返し描かれています。それを読んで、「ほんとうなのだろうか?」と疑問に思い、図書館へ行って調べました。そうしたら、環境問題も核兵器の問題も大筋で事実なのだということを知り、子供の頃から、人類の未来や世界の未来に不安を抱くようになりました。

それから、ふたつめは、小学校6年生のときに、南アフリカ共和国に行った時のことです。当時はアパルトヘイト真っ最中で、飛行場を降りたときから白人と有色人種で出口が違う。当たり前のように下等な人種として扱われることに腹を立てるよりショックを受けました。

さらに、中学生の頃、一眼レフのカメラを手に入れたのですが、それからというもの、東南アジアをはじめとする開発途上国へ写真をとりにいっていました。その中で、いわゆる大型の国際協力団体の活動もいくつか目にしたのですが、西洋文明を押し付けるようなスタイルには、当時まだ専門ではなかった自分の目から見てもおかしいと思えることがたくさんあった。また、お金がなくなったら続かないのではないか?といった数々の疑問がわきあがり、そのときに正直国際協力に否定的になったんです。同時に、万が一自分が将来この分野で活動することになったとしたら、絶対に正しい理論でやりたいと思いました。

そして、医学部に入り、医者になり、博士号も無事に取得し、次になにをしようかと考えたときに、さまざまなきっかけがよみがえって、もう少し機能する形で国際協力が実現できないかと思い始めました。


-多くのきっかけが重なり合った感じがしますね。上記をお伺いしていると、山本さんのキーワードは、「国際協力」という一言ではくくれないような気がしますが、いかがでしょうか?

わたしの中のテーマは、単純に国際協力ということではなく、むしろ「未来へ続くシステム」をどうやってつくるか?ということなのです。「持続可能な社会」というと月並みな言葉になってしまいますが、人間だけでなく、環境すべてに対して、医療、教育、CSR(企業の社会的責任)といった切り口ごとに、また消費者としてなにができるだろう?という視点を持って関わっています。


-なるほど。だからこそ自由な発想で取り組まれている印象を受けるのですね。

次のページからは、いよいよ「世界と恋するおしごと」の書籍ができるまでを語っていただきました!
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