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日本の外交、やっぱり「三流」?

「経済一流、外交三流」といわれる日本の外交。たしかにそのせいか、日本の国際的発言権はなんだか弱い気がします。なぜ、日本の外交力は弱いのでしょうか。具体的エピソードなどをもとに検証します。

執筆者:辻 雅之

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(2006.06.05)

日本政治の評価が端的にあらわれるのが外交。しかし、日本は外交が下手だ、センスがないとよく酷評されます。それは、「外交力」にとって大切なものが欠けている、または不足しているからです。大切なものとは……?

1ページ目 【「戦略の欠如」これは日本の国民性なのか?】
2ページ目 【情報収集能力で大きく劣る日本の外交当局と指導者たち】
3ページ目 【「使えない軍事力」……日本外交、弱腰の原点?】

【「戦略の欠如」これは日本の国民性なのか?】

日本の外交に足りないものを3つあげれば

日本の外交が上手くないことは、もはや誰の目から見ても明らかです。日本の外交に足りないものとはいったい何でしょう。私は、この3つを考えます。

・戦略
・情報力
・軍事力

おや、と思うものもあるかもしれません。合点が行かなくても読んでいただけると幸いです。なるほどと感じていただけると思います。

日本人には「戦略観」が欠けている?

海洋国家
海に囲まれた日本にとって、日本は世界であり、日本の外に向けての戦略という発想に貧弱なのか?そう思わせるくらい、日本の国家戦略の策定状況はお寒い
どうでしょう? 戦国時代はどうなんだ、戦略にたけた武将たちがたくさんいたではないか。という人もいるでしょう。そのとおりです。

しかし、日本が統一されたとたん、「戦略は消えている」から不思議です。あの戦略家・豊臣秀吉でさえ、統一が終わったとたん、無謀な朝鮮出兵です。徳川幕府も、豊臣氏を滅ぼし、鎖国をするまでは緊張感を持って戦略をたてていました。しかし天下太平になった後、行き着いたのは「生類あわれみの令」(超極端な動物保護政策)でした。

明治維新が終わり、日露戦争でロシアを破り列強の仲間入りをするまでは日本も戦略があった。その後は戦略もなくなり迷走していきます。その帰結が、勝てるはずもない太平洋戦争でした。

島国日本では、日本が世界なのでしょうか。こう、乱暴にまとめてしまうのもよくないかもしれませんが、とにかく日本外交には、昔から戦略性というものが欠けていたように思います。

メンツだけで国際連盟を脱退した日本

第1次世界大戦で戦勝国となった日本は、その後設立された国際連盟の常任理事国となりました。他がイギリス・フランス・イタリアですから、これは相当な政治的戦果です。しかし10年あまりして、日本はこの地位を惜し気もなく放り投げてしまいます。

きっかけは、満州事変でした。満州事変に対して国際世論が反発、派遣されたリットン調査団の報告に日本は不満を持ち、連盟を脱退した……そう覚えている人は多いでしょう。

確かに、リットン報告書は日本の軍事行動を批判しています。しかし同時に、「満州における日本利益の承認」「満州の自治を認め」などと、かなり日本にとって都合のいいことが書いてあったのです。

満州、現在の中国東北部は、まだ中華民国政府の力が行き届かず、ソ連もロシア時代から虎視眈々と狙っていた不安定な地域でした。強国は、なるべくなら日本の勢力を認めて不安定性を除去しようと考えていた節があります。

しかし、日本の軍事行動が批判された、それが不服だ、それだけで日本は連盟を去ってしまいます。戦略なし。今日の北朝鮮と同じ、とにかくメンツを潰されたらキレる、後は野となれ山となれの瀬戸際外交……。結局、日本はこれをきっかけに孤立を深めていったのです。

湾岸戦争での「日本外交の敗戦」は戦略性の欠如から

戦略なき拠出
戦略もなく、いわれるがままに130億ドルを拠出した日本は、国際社会にアピールすることができなかったどころか、感謝すらされなかった
1991年の湾岸戦争。日本は130億ドル(今の為替レートでもゆうに1.5兆円は越す)もの多額の資金援助をしながら、とうとう何の感謝もされませんでした。クウェート政府がニューヨークタイムズに出した感謝の広告に、Japanの文字が全くなかったのは有名な話です。

冷戦のあいだ、日本は特に戦略を持たなくてすみました。いや、アメリカとの安保体制依存、これが戦略だったのでしょう。しかし、冷戦終結で、それは見直されなければならないのは必然でした。しかし、そうはならなかった。

冷戦後、日本はこれで核戦争がなくなると安堵していました。現実は、世界のあちこちで紛争が起きはじめ、PKO(国連平和維持活動)の派遣は激増していました。しかし、ポスト冷戦の戦略より、消費税導入のほうが日本にとっては大きな問題でした。

ポスト冷戦の中で日本は政治的存在感を示す必要性がありました。南北朝鮮が国連に同じ加盟したり、中国が市場主義への移行を鮮明にする東アジアの中で、また南ではアメリカの賛助機関にすぎなかったASEAN(東南アジア諸国連合)が自立しはじめた環境で、「日本の顔」を世界に誇示する必要がありました。

しかし、そのために自衛隊のPKO派遣を行おうという政治家たちはいなかったか、いても大きな勢力にはなりませんでした。武力はだめでも、ODA(政府開発援助)をもっと戦略的に、日本をアピールできる形に使おう、という政治家たちも、ほとんどいませんでした。

日本は、湾岸戦争で130億ドルを多国籍軍に出しました。大量の資金です。これを一括で払うと表明すれば、世界の耳目を引いたでしょう。それだけ突出した金額でした。しかし、現実には、小出しにちょっとづつ増やしていき、結局総額で130億ドルになったという話です。

国際社会の圧力に困惑しながら少しづつ拠出額を増やしていった……日本という国の存在感はまるでありません。

結局、ポスト冷戦の外交戦略を持ち合わせていなかった日本は、湾岸戦争を戦略的に利用しようなどというしたたかさを持ち合わせられるはずもなく、困惑の中「敗戦」を迎えたのでした。

湾岸戦争の教訓はまったくゼロ?

現在、日本と中国・韓国の関係は悪化の一途です。しかし、中国と韓国、それぞれの戦略を読み切れなかった日本に、やはりこれを打開する戦略は残念ながらないようです。

米軍再編にしても、これを機会にアメリカに恩を売るような戦略性は見えずじまいで終わりそうです。ロシアの経済復興に対処する戦略も持ち合わせていませんでした。強気になったロシアを前に、北方領土問題の解決は見えてこないままです。

湾岸戦争の教訓は、どこかにいかされているのでしょうか。日本の自衛隊がサマワにいることを、サマワ以外のイラク人がどれだけ知っていて、そしてどれだけ感謝しているのでしょうか。そして、そのような戦略を練った人がいるのでしょうか。

さて、次ページでは、日本外交の情報力の欠如について見ていきましょう。

更新日:2006年06月05日

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