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自民党の歴史(9)経世会支配とその崩壊

中曽根時代の後、自民党を支配したのは竹下派=経世会でした。経世会は竹下だけの派閥ではありませんでした。ドン金丸信、そして小沢一郎。経世会支配時代の自民党を描きます。

執筆者:辻 雅之

(2006.02.14)

竹下政権は短命だったものの、竹下派=経世会は、「自民党第一派閥」としての力をフルに発揮し、宇野・海部・宮沢の3政権に渡って自民党を支配します。そして台頭するのが、若き経世会のホープ、

小沢一郎

でした。

1ページ目 【経世会支配の成立と小沢一郎の台頭】
2ページ目 【選挙制度改革、海部退陣と「小沢面接」】
3ページ目 【金丸失脚、経世会分裂……ひたひた迫る政界再編】

【経世会支配の成立と小沢一郎の台頭】

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竹下内閣の誕生と崩壊

1989年から92年までは、自民党第一派閥である竹下派=経世会による自民党支配の時代でした。不思議なことに、竹下登自身は首相を1年あまりしか勤めていないのですが。

経世会は、まさに竹下・金丸派でした。金丸信という政治家がいてこそ、経世会は自民党支配をすることができたといえます。金丸なくして竹下政権なし、竹下なくして金丸支配なし。人脈が広く、交渉術にたけた金丸の力なくして、竹下政権は成立しなかったでしょう。

しかし、金丸の失脚が、結局経世会支配を崩壊させることになります。そしてそれは、55年体制崩壊の序曲でもあったのです。

消費税とリクルート事件で潰れた竹下内閣

さて、首相になった竹下は、持ち前の周到な根回しで、党内の反対派を抑え、中曽根にしてなし得なかった一般間接税=消費税の導入に踏み切ります。

しかし庶民は反発、支持率は低迷。そこへ、リクルート事件が追い打ちをかけました。

リクルート子会社の未上場株の譲渡という手段による贈賄、というのはいかにもバブル経済のころの日本を象徴するできごとのように思われましたが、意外に政治家は2人のみが逮捕されるにとどまり、政権の中枢に手がのびることはありませんでした。

しかし、多くの大物政治家たちも、立件はされなかったものの、この未上場株を受け取っていた事実から逃れようもなく、参院選を前に竹下は退陣、安倍晋太郎や宮沢喜一といった派閥の領袖も「謹慎」を余儀無くされました。

このなかで安倍はガンに侵され、1991年、帰らぬ人となります。

宇野宗佑政権の早すぎる退陣と竹下・金丸

竹下の後継をめぐっては、伊東正義・元外相や河本派の領袖河本敏夫らの名前が浮上しましたが、結局、中曽根派の宇野宗佑外相が首相に選出されました。

これは、事実上竹下の独断だったといわれていて、金丸は不満だったということですが、詳細はわかりません。とにかく経世会の傀儡(かいらい)政権として、無難な宇野の内閣が誕生し、参議院選挙を乗り切ってくれるはずでした。もちろん、幹事長には経世会から橋本龍太郎を。

ところが、宇野に女性スキャンダルが発覚。そのまま参院選に突入。一国の首相を「オンナ」で変えさせるわけにも行かず、自民党はにっちもさっちも行かなくなりました。宇野は遊説もできず官邸に釘付け。

結果、参院選は史上まれに見る自民党の惨敗、つまり与野党逆転を許してしまい、宇野は退陣を表明。……そして、このころから、「宇野指名の責任」をとる形か、または世論の批判を交わすためか、竹下は政治の一線から退くことになります。

こうして経世会は「オーナー竹下、会長金丸」という体制になっていきます。

海部政権の誕生と小沢一郎の登場

当初、宇野後継には橋本の名前があがっていました。すでに「テレビ・ポリティクス」の時代。歯ぎしりしながら選挙結果画面を食い入るように見つめる若き幹事長の姿は国民に印象的に映りました。

しかし、経世会は「宇野指名の責任」をとる形で、橋本を始め身内から総裁候補を出すことを断念します。

「オーナー竹下」が退いた中で、金丸は、安倍派と一緒に河本を説得、河本派の海部俊樹を擁立します。クリーンなイメージに、彼らは自民党の信頼回復を期待しました。

しかし、これを「密室政治」とする石原慎太郎(安倍派)と林義郎(二階堂グループ)が対抗馬として立候補。結局公選となり、海部279票、林120票、石原48票で海部政権が発足することになりました。

そして、金丸の寵愛を受ける小沢一郎が47歳の若さで幹事長に。ここから、金丸=小沢体制がスタートしていきます。

湾岸戦争の衝撃

海部内閣は、首相の意などどうでもいいかたちで1990年はじめに解散・総選挙を実施。社会党も躍進したものの、自民党も安定多数を維持し、なんとかひと息つきました。

そんな自民党政権を襲ったのが、湾岸戦争でした。

日本は、「目に見える貢献」をもとめられます。しかし、小出しに小出しに100数十億ドルの経済貢献をしたものの、それは国際社会に認められず、クウェート政府が『ニューヨーク・タイムズ』に出した各国への感謝をつづった広告にも、日本の名前は出ずじまいでした。

これに一番衝撃を受けたのが小沢一郎でした。かねてから「普通の国」への転換を考えていた小沢でしたが、これを機に日本政治の変革が必要なことを痛感したのです。

しかし、それには超えなくてはならない壁がありました。参院での過半数割れという状態では国際貢献のための立法はできません。

そこで小沢は、ある行動に出るのです。

戦闘機
湾岸戦争の衝撃は、日本の政界、とりわけ小沢におおきな衝撃を与え、彼を「改革」そして「再編」へと走らせる(写真:(c)沖縄発!
役に立たない写真集

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