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『汽車旅』に欠かせなかった車両とその歴史をたどる 思い出の食堂車(2ページ目)

かつては特急列車だったら必ず連結されていたのが食堂車。今はごく僅かな列車でしか見かけなくなりました。今回は食堂車の歴史と私の食堂車に関する思い出をつづります。

久須美 雅士

執筆者:久須美 雅士

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1958年(昭和33)になりますと、日本は高度経済成長に突入、近代的な鉄道車両が多数投入されました。寝台特急には『ブルートレイン』と呼ばれた20系客車、特急電車では『こだま型』151系電車が東海道線に就役します。


ナシ20型(関水金属)
寝台特急『あさかぜ』『さくら』等で使用された食堂車。

この頃の車両は、私も小学校の図書館にあった鉄道図鑑でよく見ました。しかし、地方にはこんな高級なピカピカの車両は走っておらず、憧れの存在でしかありませんでした。初めてブルートレインを見たのは、就役から13年後、新潟~大阪間の寝台特急『つるぎ』でありました。

特急『こだま』は、ビジネス特急という位置づけだったので、運転開始当初は『ビュフェ』と呼ばれる軽食を提供する立食タイプの食堂車(モハシ150型)が製造されました。その後、1960年(昭和35)に客車特急『つばめ』『はと』の電車化に伴い、本格的な全室食堂車(サシ151型)が製造されました。新潟では上越線の特急『とき』に同系の車両が使用されました。もちろん食堂車も連結されていました。一度でいいから『とき』の食堂車で食事をしてみたいと思いましたが、結局願いは叶わないうちに食堂車は廃止されてしまいました。

そのころ、非電化幹線においても、ディーゼルカーを使用した特急列車が走るようになりましたが、もちろん食堂車も連結されました。


キシ80型(関水金属)
特急『白鳥』『かもめ』等で使用された食堂車。

当時、特急用ディーゼルカーは速度を向上させるため、車両1台にエンジンが2基設置され、床下には調理用の水タンクを設置する余裕がありませんした。そのためこの車両は床上に水タンクを設置してあります。結果として食堂定員が減少してしまいましたが(通常40名→32名)、ディーゼル特急は大阪~青森間の日本海縦貫線を走った『白鳥』のような長距離特急がたくさんあり、食堂車の連結は必要であったわけです。
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