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2001全日本選手権 男子シングルス カット受難時代の価値ある優勝

全日本選手権の男子シングルスで6年ぶり3回目の優勝を飾った松下浩二。40ミリボールになって一段とカットマンの受難が囁かれる時代において、価値ある優勝だった。

執筆者:壁谷 卓

松下浩二にとって、調整に十分な期間をとれた全日本選手権は久しぶりのことだった。ドイツ、フランスでプレーしていた1997年から2000年までの4年間、全日本選手権に照準を合わせて調整することがままならず、98年の場合、試合前日にドイツから帰国するという強行日程で臨んだほどだった。しかし、日本に腰を据えている今回は1ヵ月まえから準備を始めることができた。長年にわたって松下のトレーナーをつとめる永井義人が、「今回は万全のコンディションでしたね。ほとんど(マッサージの)必要を感じませんでしたから」と言うほど、松下の身体には抜群のキレがあった。

だからといって、不安がなかったわけではない。回転のかかりにくい40ミリボールになってからというもの、変化を最大の武器とするカットマンの松下は苦しい戦いを強いられてきた。世界選手権大阪大会では納得のいくプレーができず、年間を通して参戦しているSCスーパーサーキットでの戦績も芳しいとはいえない。10月の全日本社会人で初優勝して自信を取り戻したとはいうものの、大会期間中にさえ、弾むラケットを使って攻撃力を高めるか、弾みを抑えたラケットでカットの安定感を選択するか、試行錯誤していたほどだったのだ。

「40ミリボールは非常に苦しいですね。やはりスピンのかかりが悪いですから、相手がネットに引っかけることが、まえよりも少ないんです。それを足でかせいで、なんとか拾っているんですけど」
体調はいいし、練習もしっかりできている。技術的にも悪いというほどではない。ただ、優勝を狙うには何かが足りない。そんな漠たる不安を抱えながら、松下は大会直前、最終的なチェックをしてもらうために、同じカットマンだった高島規郎のもとを訪れた。

高島はある“秘策”を用意して待っていた。ひとつは「ツッツキ」だった。
「いままでは台上での揉み合いに少し甘いところがあって、ツッツキをまず入れておいてからの試合展開が多かったんですが、40ミリボールになって3球目を一発で持っていかれるケースが増えてきたんですね。だから、レシーブとか、ストップで台に寄せられたときのツッツキのタイミングを早く、そしてピュッと鋭く、プッシュ気味にツッツくように、と」
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