iPhone 3Gがやってきた
2008年の記事を見てみても、現在までの6年間以上、インターフェースがそこまで大きく変わっていないことが分かる。当時からシンプルに洗練されたデザインであることの証かもしれない。
富士通がWindows Mobile でiPhoneを迎えうつ
Docomo 2.0時代、OSにWindows Mobileを搭載しながらも、スライド式のケータイキーを搭載していた「F1100」が登場。サイズも当時のガラケー並だった。
元祖?iPhoneキラーと言われた端末
2008年当時、Windows Mobile搭載のTouch DiamondはiPhoneキラーとして期待されていた。手のひらにすっぽり入るサイズで、ぎゅっと詰まったガジェットらしいデザインにはときめいたものである。
NTTドコモから発売された「PRADA Phone by LG」の価格はなんと10万円弱。当時のガイドは、「ケータイとして考えると高いが、PRADA製品として考えると安い、という絶妙な価格設定だ」と述べている。
インターネットが快適にできるガラケー
横位置のしっかりしたキーボードがあり、画面も広くインターネットが快適にできるガラケーが登場。PCブラウザがしっかり見られるガラケーというのも、スマホ過渡期にはよく見られた光景。
Androidは2009年にすでに発売されていた
当時はスマートフォンという呼び名も広く知られていたわけではなく、グーグルケータイと呼ばれていた「HT-03A」。iモードやおサイフケータイ、ワンセグにも非対応だったため、一般的には変わり種扱いだった。
Android 本格化の予感
2010年は、日本のAndroid元年。すでにドコモからHT-03Aが発売されていたが、第2弾となるdocomo Xperiaが発売されることで、一気に注目されました。海外のXperia X10ベースの端末で、ソニーエリクソン時代の製品。
Desireシリーズ最上位となるDesire HD SoftBank 001HTは、大画面・大容量・高速性を実現しただけでなく、ドルビーモバイルをサポートするフルスペック端末だった。しかし、外出中は電池をやりくりするのが大変だった。
コンセプトモデルもまだまだ勢いがありました
まだまだ残っていたケータイ開発先進国の勢い。コンセプトモデルにはマンガのような未来への夢が詰まっていた。
デジカメブランド×ケータイ
2010年あたりは、カシオのEXILIMケータイやソニーのCyber-shotケータイなど、人気の自社デジカメブランドとケータイを融合させた端末のピークでした。メガピクセル戦争も加熱気味。
iPhone を意識したタッチ対応ガラケーもどんどん登場
ディスプレイとキーボードを切り離せて使えるケータイ。日増しに影響力を持ち始めるiPhone に対抗すべく、各社がそれまでの概念を打ち破ろうと努力する姿が見られた時だった。
その中でもちょっと変わり種だった「TOUCH WOOD SH08-C」。背面に国産ヒノキの間伐材が使われていた。
真打ちの登場
当時、Android端末でiPhone に近いほどサクサクだったのはGALAXY SとDesire HDぐらいだったと覚えている。特にGALAXY Sは、Docomo からiPhoneキラーの本命としてかなりプッシュされていた。その広がりとは裏腹に、「SAMSUNGってドコのメーカー?」という声が聞かれていたのが懐かしい。
【余談】だんだんと変わってきた通信業界
総務省は、2007年にはいわゆる「販売奨励金」制度の見直しやSIMロックの解除、MVNOなどを段階的に改善することを通信業界に求めており、最近ようやく一般的になってきている。
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