ハーレムにあるアポロ・シアターのスター誕生ともいえるアマチュアナイトと、同系列のテレビ番組Showtime at the Apollo、両者のダンス部門で年間チャンピオンという史上初の二冠の座を獲得した蛯名健一さん。今回は、彼がダンスを教えているスタジオにお邪魔してインタビューを試みた。ダンサーとしてパフォーマーとして、振付師や演出家、はたまたダンススクールや大学でのダンスの講師として第一線で活躍する彼の素顔に迫る!

ラスベガスは別世界に思えた

蛯名さんのダンスは、もはやアクロバットやパントマイムに近い。
ガイド:
どうして渡米されたのですか?

蛯名さん:
日本にいたころから、漠然とアメリカに憧れがありました。何かをやりたいわけでは無かったです。芝居みたいなのが、できたらいいなって、勝手な妄想は抱いてましたが。アメリカに対する思いというのは、テレビ番組の確か「なるほどザ・ワールド」だったと思うのですが「ラスベガス特集」を見てからです。

撮影がうまかったのかもしれないですけど、砂漠の中に浮かび上がるホテルやビルなどの建物。全色ネオンだったりして、もはやディズニーランドというレベルではなく、完璧に違う世界に見えたんです。うわぁ~っ、これはなんだなんだ? この国に行かなきゃって。でも渡米の際、直接ラスベガスに行ったわけではないんですけど……(笑)

1994年、20歳の時にESL(英語学校)へ行くために渡米しました。僕の通ったブリッジポート大学は、その名のとおりコネチカット州のブリッジポートというところにありました。その大学が日本でプロモーションをしていたんです。大学進学への奨学金制度もあったり、インターナショナルの生徒の率が高かったりと、海外からの入学を奨励していました。

パンフレットを見る限りは、海辺できれいでNYにも近いなんてメリットもあって。ここだ! って決めました。実際に来てみると、今は大分変わってきていますが、当時は比較的貧困層が多いエリアでかなりヤバかったです(笑)。日本人も多かったですね。ESLが終わってからも同じ大学で、マスコミュニケーション専攻で広告などについても学びました。大学生活は、初めて勉強が面白いと思ったし、学生も国際色豊かで、色々な活動をして楽しかったですよ。

ダンスの練習はストリートで

ルックスもアメリカでは、アジア系がホット!
ガイド:
ダンスをはじめたきっかけは?

蛯名さん:
大学で新入生歓迎会があって、ダンスパーティーみたいなのがあったんです。輪になって一人ずつが踊るという時に、唯一知っていたランニングマンのステップをやったんです。思いのほか、ものすごく盛り上がりました。それで、ダンスのビデオをゲットして、練習することにしました。その後、サークルをつくって踊ったりしました。

ガイド:
ダンスを本格的に始めたのが20歳ですか。てっきり、子供のころにバレエやジャズダンスをやっていた方かと思っていました。でないと、ここまで動けないですよね。ダンスは習わなかったのですか?

蛯名さん:
自分がダンスを教える立場で、こういうことを言うのもなんですが、習ったことがありません。バレエなどとちがってヒップホップは、そういう人多いと思いますよ。自分で練習して上達できますし、個性というのも重要なので。ただ学生時代はいつでもどこでも踊ってました。街の中でも、買い物していても踊ってたので通りすがりの人に笑われてました。一緒にいた友達からは、恥ずかしいからやめてって言われたほどです(笑)。

ガイド:
では、基礎トレーニングはどうやって?ジャズダンスなどでも、姿勢正しく立つ練習や、腹筋とか背筋を鍛えたりしますよね。

蛯名さん:
筋トレなど基礎トレーニングっていうのは嫌いなので、これといってやっていませんでした。学生時代は、練習という意識より、ただ踊りたいから踊っていたんです。ダンスを始めた当初は、日本にいる友人から、日本のダンスコンテスト「ダンスデライト」というビデオを送ってもらって、もっぱらそのビデオを見て踊っていました。しかし、その当時は今ほど日本のヒップホップダンスのレベルが高くなく、NYのダンサーを見て練習していた日本人も多かったです。なので、こちらのダンスビデオもよく見て踊っていました。中でも、世界的に有名なヒップホップダンスチームであるエリート・フォース(マイケルジャクソンやマライア・キャリーのバックダンサーを務めた。主なダンサーは、ブッダ・ストレッチ,ヘンリー、ルーズ・ジョイント、イージョー)のものを見て踊っていました。ブッダ・ストレッチとヘンリーからは、特に影響を受けました。

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