ソーダ水とアイスクリームのコラボ

オールドタブ復刻版

オールドタブ復刻版

 4回目となる今回はアメリカがどのようにして炭酸飲料王国になっていったかについて述べたい。前回記事『炭酸水とハイボールの歴史3/ソーダ・ファウンテン』で語った、19世紀半ばにソーダ・ファウンテン(炭酸水のディスペンサー)がドラッグストアのカウンターに設置されることを念頭に開発され、南北戦争以降に急速に普及してから後の話となる。
 1870年代になるとソーダ水はアイスクリームと結びつく。日本で言う、クリームソーダのことだ。
 アイスクリームは1843年、ペンシルベニア州フィラデルフィアの主婦がアイスクリームの撹拌時間を大幅に短縮できる画期的な製造用機械(ハンドル手回し式)を開発して特許を取得してから、アイスクリーム大量生産時代の幕が開く。1851年には同じペンシルベニア州で、牛乳商が夏季に余剰となる生クリームを活用してアイスクリームを製造することを思い立ち、最初の工場を建設した。
 その後拠点を隣のメリーランド州ボルチモアに移すと、東海岸沿いの各地に次々に工場を建設してアイスクリーム生産をビジネス化する。ここから本格的な大量生産時代に突入し、南北戦後にはいくつものメーカーが出現するようになった。 
 ライウイスキー発祥の地といわれているペンシルベニア州はアイスクリームの地でもあったのだ。第1回の『歴史1/炭酸飲料のはじまり』で紹介した果汁シロップ入り炭酸飲料をアメリカで初めて開発したタウンゼント・スピークマンもフィラデルフィア。ライウイスキー、ソーダ水、アイスクリームと、イギリス植民地時代から独立を経て19世紀に至っても、この州はかなり先端を走っていた。
 その頃、ウイスキーはバーボンが頭角を現しはじめる。鉄道網の伸長と南北戦争時に北軍の兵士がバーボンの味わいを知ったことも大きい。独立時の13州、つまり東海岸地域はライウイスキーの地であったが、アパラチア山脈の西側のケンタッキーでつくられるバーボンが少しずつ飲まれるようになっていった。当時、1853年にビーム家が誕生させたバーボン「オールドタブ」が一世を風靡し、ナショナルブランドへと成長していく。
 ただし、ウイスキーの飲み方においては、まだソーダ水で割るというスタイルは登場していなかったことだろう。ソーダ水は医療効果の高いものとして扱われていたからだ。
 

クリームソーダをドラッグストアで楽しむ

ジョー・リッキー

ジョー・リッキー

 1870年代になるとドラッグストア経営者たちはアイスクリームにも注目するようになり、ソーダ水とアイスクリームを合体させたヒット商品が次々に開発されていく。ソーダ水の人気、アイスクリームとのコラボにより、経営者たちはドラッグストアの一角を区切り、その空間自体をソーダ・ファウンテンと呼ぶようになる。
 一角にはテーブルもしくは大理石のカウンターがしつらえてあり、華美なソーダ・ファウンテンの機器の前には白い制服を着た専属従業員、ソーダ・ファウンテン係が立っていた。そして客たちはさまざまな味わいのシロップが入ったソーダ水や、新たに登場したアイスクリーム&ソーダを味わいながら憩うようになった。
 この光景は19世紀後半には全米で見られ、1900年、ドラッグストアのソーダ・ファウンテンの数が酒場の数を上回ったといわれている。
 その要因は何か。やはり禁酒運動の影響が大きい。いろいろな州や小さな自治体で禁酒法が下されはじめたのだ。ドラッグストアが息抜きの場となっていったのである。
 前回の3回目でも述べたが、先端の酒場では1880年代から、ライウイスキー、ライムジュース、ソーダ水の「ジョー・リッキー」(後にジンリッキーがスタンダード)や「ジン・フィズ」が飲まれ始める。
次回では、禁酒法が生んだ世界的な炭酸飲料についてお話ししたい。(次回、歴史5につづく)
 

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