ウイスキー史上初の低迷期を迎えた時代

 
サントリーウイスキー白札

サントリーウイスキー白札


今回で100年前事情シリーズ最後となる。100年前、日本ではまだ本格ウイスキー製造はおこなわれていなかった。ようやく種が蒔きはじめられるところだった、といえよう。
鳥井信治郎は日本でもオーク樽での良好な原酒熟成の可能性を確信し、絶大な人気を得ていた甘味葡萄酒「赤玉ポートワイン」(現赤玉スイートワイン)の利益をすべてモルトウイスキー製造への資金に充てる、その決断に至るところだった。
そして竹鶴政孝は第一次世界大戦が終戦となった1ヵ月ちょっと経った1918年12月末にスコットランドへ到着し、なんとかスコッチの製法を学び取ろうとするところだった。
すべて、やっと第一歩を踏み出そうとしているところである。
一方で、このシリーズで述べてきたように、現在五大ウイスキーと呼ばれている日本以外の100年前のウイスキー事情は混乱を極めていた。急ぎ足で述べてきたが、とくにウイスキーと第一次世界大戦を語るとなると相当の文字量を必要する。
スコッチは第一次世界大戦で厳しい規制を受け、立ち直るのに時間を要していた。ほんとうに順調に製造できるようになったのは、実のところ第二次世界大戦が終了した1945年以降となる。世界の酒へと伸張していくなかで、初の長い低迷期を迎えたのだった。
アイリッシュは独立、そして英連邦からの脱退、禁酒法により人気を誇っていたアメリカという大市場を失う、というさまざまな要因が重なり、こちらはもっと長い低迷期を迎えることになる。
アメリカは禁酒法施行直前であり、すべてがゼロにリセットされてしまう。
唯一、カナディアンがアメリカ禁酒法のおかげで輸出(アメリカへの密輸)が増大、そしてスコッチのアメリカ密輸の受け皿となって大きな成長を遂げるのだった。
 

100年後の幸せなウイスキーシーン

 
サントリーウイスキーホワイト

サントリーウイスキーホワイト


日本は大正期にカフェの時代を迎え、ビールが浸透。清酒とビールが日本人の酒となっていた。当時、ウイスキーは大多数の日本人には未知の酒であり、需要の有無という観点が成り立たない、早い話、なくてもまったく困らない酒であったといえよう。
しかも第一次世界大戦の好景気は、終戦からまもなくの1920年には終焉を迎え、不況に陥る。日英同盟も解消となり、スコッチの製造技師を招聘(しょうへい)することもできなくなった。そんな状況下で、鳥井信治郎はモルトウイスキー製造へと向かったのである。無謀。それ以外に表現しようがない。
日本初の本格モルトウイスキー製造工場、山崎蒸溜所の建設着手が1923年(大正12)。その直前に日本は関東大震災に襲われる。しかしながら蒸溜所が大阪と京都の境、関西であったことはいまの我々はほんとうに喜ばなくてはいけない。そして山崎が枯れない豊かな水に恵まれた、清らかな名水の地であることを祝福しなければならない。
日本初の本格ウイスキー「白札」(現サントリーウイスキーホワイト)が誕生するのは1929年(昭和4)のこと。来年「ホワイト」は発売90周年を迎える。
当初、スモーキー、焦げ臭い、といわれ見向きもされなかった、とよく語られている。わたしはそれよりも輸入スコッチに負けない価格、一般家庭1ヵ月の生活費の約1割を占める4円50銭という高額な値段は、庶民には手が届かない。それだけでなく多くの人々は清酒とビール、あるいは焼酎があればいいのであって、ウイスキーってなんだ、という関心さえ示さなかった、というのが本当のところだと思う。
第一次世界大戦終了からちょうど100年が経つ。いま我々は、さまざまな酒類を口にしている。バーに行けば世界の酒が飲める。
100年という時の流れ、積み重ねが、わたしたちの飲酒シーンを豊かにした。この様子を鳥井信治郎が見たならば、快哉(かいさい)にむせび、涙を流すことであろう。ウイスキーを、洋酒を、日本人の舌に乗せる。そのことに賭けた明治男の魂が受け継がれ、見事に開花しているのだから。
日本でのウイスキーづくり、ゼロ、の時代を眺め、わたしはいま「シングルモルトウイスキー山崎」を飲んでいる。
明日は「サントリーウイスキーホワイト」(640ml・40%・¥1,174税別希望小売価格)を買い求め、飲んでみることにする。ゼロから1へと踏み出した、ジャパニーズウイスキー原点の酒である。
最後に、ジャパニーズウイスキーが海外へ初輸出されたのは1934年(昭和9年)。輸出されたのは前年に禁酒法が撤廃されたアメリカ。解禁となり、アメリカは酒類不足に陥っていた。アメリカ側からの懇請もあり、サントリーウイスキーが枯渇しているアメリカ市場に送られたのだった。ここからサントリーウイスキーは海外で名を知られるようになる。
そして鳥井信治郎の傑作のひとつ、「角瓶」が誕生したのは1937年(昭和12年)。この頃になって、信治郎がブレンダーとしてのチカラを発揮できる、多彩な個性を抱いた熟成モルトの充実を見るのだった。
ハイボールが愛され、国民的ウイスキーともいえる「角瓶」は今年で発売81年が経つ。(100年前シリーズ了)
 

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