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女性が男性に都合のよい性的対象物になっているCMが次々と炎上

男性は違和感に気づかず、女性から批判が殺到することが多いCM炎上。その裏にあるものとは?

男性は違和感に気づかず、女性から批判が殺到することが多いCM炎上。その裏にあるものとは?

昨年来、企業のCMや自治体のPR動画に関して、ジェンダー的な観点からの批判や炎上が相次いでいます。1つ炎上して鎮火したと思ったら、また同じような問題をはらんだものが炎上……ということが繰り返されている状況です。制作側が今ジェンダー表現がセンシティブだということをあまり理解していないように見えます。ジェンダー表現とは、男女のジェンダーだけでなく、LGBTにもかかわることだと思いますし、LGBTのほうがずっと激しく差別的表現にさらされてきて、この問題に敏感になっている(=センシティブである)とも言えます。昨今の炎上CMの背景にあるジェンダー意識の問題をゲイライターの目線で切り込んでみたいと思います。

まず、どういう事象があったかということを時系列でお伝えします。



2016年9月、鹿児島県志布志市が公開した養殖うなぎをPRするための動画「うなぎのうな子」。うなぎを擬人化した「うな子」という美少女が水着姿でプールを泳ぐ姿を写し、彼女があどけない表情でカメラに向かって「養って」と言い、「僕は決めた。彼女のためにできる限りのことをしてやると」という男性のナレーションが入ります。やがて少女はうなぎに変身、そして最後に、もっと幼い少女が登場して「養って」で終わるというものです。これに対して「女性差別だ」「少女を監禁する児童ポルノのようだ」などといった抗議の電話が数十件入り、市は動画を削除しました。海外でも報じられ、「性差別主義者によるホラー映像だ」などと問題視されました。




2017年7月には、サントリーが新発売のビール「頂」のCMとして「絶頂うまい出張」シリーズを公開。北海道や福岡などに出張で来た男性が(「あれ、唐沢寿明さんですか?」などのセリフがあるため、男性相手だと推測できます)仕事後に飲んでると、なぜか女性が都合よく近づいて一緒に飲み始め、媚を売るようなおしゃべりを繰り広げ、名産品(北海道は焼きとうもろこし、福岡は明太子、大阪は串カツ、神奈川は春巻など、なぜかすべて棒状のもの)を頬張り、女性の胸元やうなじなどを強調し、最後に「頂」を飲んで性的な絶頂を連想させる表情で「コックぅーン」と言うものです。放送開始直後から「男性にとって都合がいい女性像を性的に表現している」といったクレームが殺到し、すぐに公開中止となりました。




それから、復興予算2300万円を投じて制作された宮城県の観光PR動画「涼・宮城の夏」です。「殿方に涼しいおもてなし」をする使命を帯びたお蜜(壇蜜さん)がむすび丸(ご当地キャラ)に「宮城、いっちゃ・お」と囁くとむすび丸が鼻血を流し、次のシーンでふわふわ宙に浮かんだお蜜が「ぷっくり膨らんだず・ん・だ」「肉汁トロトロ。牛のし・た」「もう、欲しがりなんですから」などと囁き、また次のシーンでは「気持ちいい~」と言いながら伊達政宗公の銅像の元へ飛び、「むねりん」としなだれかかると伊達公が頬を赤らめ、極めつけは「亀さん。上乗ってもいいですか」と言って亀に乗り、「気持ちいいですか?」と言いながら松島へ飛び……最後のセリフは「あっ……という間にイケちゃう……」です。宮城県に対する苦情の電話やメールが120件以上寄せられ、県議会の女性議員全員が配信中止を申し入れました。すぐには削除されなかったものの、予定より早く公開打ち切りとなりました。

これらに共通するのは、男性誌のグラビアに出てきそうな(壇蜜さんはまさにグラビアモデル)若くて美しい女性が、ストレート男性に向けて媚を売ったり色目を使ったりして、エロティックな妄想を掻き立てて劣情を煽るというものです。

自治体のPR動画や商品のブランドイメージを高めるためのCMで、女性が男性の欲望に都合のいいような性的対象物として扱われ、消費されているところが問題です。典型的なセクシズム(性差別)です。

メディア文化論やジェンダー論を専門とする大妻女子大学の田中東子准教授は、サントリーのCMについて「AVなどで見られる表現を用いている」「あらゆる層に向けたPR動画で、女性を商品化しているともとられかねない手法で広告表現を行なっている」と指摘しています。また、女性に対してだけでなく、働く男性を「性的欲望の塊」であるかのように描き、男性にとっても差別的だったと。

しかし、制作にあたった関係者は何がまずかったのか、未だにご理解していないのでは……とも思います。

志布志市の謝罪コメントには「視聴者の皆様に不愉快な思いをさせた」としか書いておらず、動画の内容に関する反省はありません。村井嘉浩・宮城県知事は、7月21日に県議会の全女性議員から配信中止を求められても取り合わず、8月27日まで放置、会見では「賛否両論があったことは、逆に成功につながっているんじゃないかと思う」と述べていました。逆に、壇蜜さんは「批判があったことは、私も県知事も制作担当の方も受け入れないといけない」と語っています。

おそらく、どこが差別的なのかピンときていない方のほとんどはストレート男性だと思います。すべてがストレート男性に都合のよい男社会の発想で作られていて、女性やLGBTはおいてけぼりです。だから、女性やLGBTが見た時に、非常に不快なのです。社会的に力を持っている男性たちが結託し、女性に性的な役割を演じさせるように仕向け、女性をモノ(性的対象物)のように扱い、それを疑問に思わない、そういう構造的な問題があると思います。「性的(エロティック)だからダメ」という批判をちらほら見かけますが、それは違うと思います。あくまでもジェンダーの不均衡の問題なのです。


古いジェンダー観で失敗しているCM

次に、一見、感動を呼ぶような丁寧な仕上がりであるにもかかわらず、炎上してしまったCMをご紹介します。

「牛乳石鹸 WEBムービー「与えるもの」篇」は働く若パパが主人公。息子の誕生日なので、ケーキとプレゼントを買うのですが、「あの頃の親父とは、かけ離れた自分がいる。家族思いの優しいパパ、時代なのかもしれない。でも、それって正しいのか」とナレーションが入り、若パパはまっすぐ家に帰らず、同僚と飲んで遅い時間に帰宅します。それをとがめる奥さんに謝りもせず、風呂に入ると牛乳石鹸が登場。風呂から上がると主人公は「さっきはごめんね」と謝り、改めて誕生日祝いが始まります。「さ、洗い流そ」というキャッチコピーで締めくくられます。

「あの頃の親父」とはおそらく昭和の時代の典型的な亭主関白で、「威厳」があって、酔っ払って帰ってきたり、家族に手を上げたりもするような父親像で、優しい家族思いのパパじゃないわけです。それに比べて自分は父親らしくない、男らしくないのではないかと主人公は悩みます。だからこそ息子の誕生日に飲んで帰ってきたのでしょう。

しかしこれはもはや、時代錯誤なジェンダー観であり、昔はよかったと懐かしむようなものではありません。奥さんやお子さんの気持ちは無視して、男のくだらない「沽券」を擁護することしかしていないため、「意味がわからない」と批判を浴びたんだと思います。

次に、おむつメーカーのムーニーによるCM「ムーニーから、はじめて子育てするママヘ贈る歌。「moms don’t cry」(song by 植村花菜)」です。初めて赤ちゃんを授かった女性がおむつを替えたり、一生懸命あやしたり、時につらそうにしながらも、毎日子育てに奮闘するという映像。「その時間がいつか宝物になる」という言葉で締めくくられます。

ママたちへの応援歌であることはわかるのですが、問題は旦那さんがいるのに(ちょっとだけ写ります)、育児には全く関与せず、この女性が一人で赤ちゃんの面倒を見ていること。病児保育や障害児保育などに携わるNPO法人フローレンスの駒崎弘樹氏は、「感動ムービーのつもりで作っているのだろうが、ワンオペ育児賛美にしか見えない。おむつ会社なら、『母親は1人で頑張るもので、それが美しい』とする社会的抑圧と戦うべきだ。そういう抑圧が、産後鬱を生み、児童虐待を生み、少子化を生むのだから」とコメントしています。

どちらのCMにも共通するのは、男は「男らしく」仕事をして稼ぎ、責任ある地位につき、結婚して家庭を持ち、一家の大黒柱として家族の面倒を見るべきで、家事なんかしなくていいし、なんなら多少奥さんを泣かしても許される。一方、女は「女らしく」男を支え、結婚して子どもを産み、育て、家庭を守るべきだ、という旧態依然としたジェンダー観(ジェンダーバイアス)だと思います。

「だって、男/女に生まれたんだから、男/女らしく振る舞い、女/男と結婚して家庭を持ち、男/女として社会的役割を担いながら生きていくのが当然でしょう?」と思う方もいらっしゃるかもしれません。本当に当然でしょうか?

日本は経済協力開発機構(OECD)加盟国34ヵ国における男女賃金格差で日本はワースト2位、ジェンダーギャップ指数で144ヵ国中111位、国会議員に占める女性の割合は193ヵ国中163位と、世界的に見て男女平等が達成されているとはとても言えない状況です……残念ながら。そのことと炎上を招くCMとは、密接な関連があると思います。というより、こういうCMが次々と制作されてしまうような社会だからこそ、男女不平等が改善されないのです。


セクシュアルマイノリティへの認知がジェンダーバイアスを取り除く一助となる?

CM、ジェンダー表現に偏り? 表現の自由と兼ね合いは」(朝日新聞)という記事で、フランスで毎年6月に開かれる広告の祭典「カンヌライオンズ」を2007年から取材してきた河尻亨一さんが、こう指摘しています。
グローバル企業に求められるのは、多様な価値観をもつ何億もの人とのコミュニケーションです。商品そのものでは差別化が難しくなる中、ソーシャルグッド(社会貢献活動の支援・促進)を本気で追求しないとブランドの存在意義を喪失しかねない。ジェンダー問題への取り組みもその一つで、生き残りをかけた動きでもあります。日本の広告表現、特に女性を男性視点からの性的対象物として描き、「炎上」したようなCMは、こうした国際的な潮流からは、はるか遠いところにいます。広告には、時代や共同体の無意識がリアルに反映される。その国がどんな状態なのかが見えてきます。女性差別的な表現を「これくらいはいいだろう」と許容する国は、内向き志向の「オッサン社会」なのかもしれません。

日本がまだ「オッサン社会」だという指摘はとても重要だと思います。欧米諸国が女性差別やLGBT差別を乗り越えて平等へと進んできた(その過程で、特権的なステージに立っていた男性やストレートが少しずつ「降りて」いった)なかで、日本はあまり変わってこなかったのです。

戦後、フェミニズムの波が何度もありましたが、揺り戻しもあり、今の状況になっているようです。いったいどうすれば、「オッサン社会」をやめられるのでしょうか? ゴトウは今のLGBTムーブメントが重要な鍵を握っていると思います。

語弊を恐れずに申し上げると、今まではフェミニズムという「長刀」で性差別を斬る! みたいなイメージが流布していて、なんとなくそこに乗っかれない方も多かったと思います(そういう印象操作があったのかもしれないですね)。ゴトウはゲイなので、少し違った「武器」を使って書いてみたいと思います(イメージは『スケバン刑事』のヨーヨーか『セーラー服反逆同盟』の赤いバラ)

2020東京大会に関わる企業はすべてLGBT施策の実施を求められることになり経団連が会員企業に対してLGBTについてのダイバーシティ&インクルージョン施策を実施するよう提言し、10月にwork with Prideセミナーが経団連会館で開催され、そこで表彰式が行われるPRIDE指標(LGBT施策の評価指標)には錚々たる企業が名を連ね、急速に「LGBTを理解し、支援しよう」という動きが進んでいます。

社内研修などで半ば強制的に学ばされた方なども多いこととは思いますが、LGBTIAQ(セクシュアルマイノリティ、クィアピープル)を知ること、身近にいると認知することが「男/女に生まれたんだから、男/女らしく振る舞い、女/男と結婚して家庭を持ち、男/女として社会的役割を担いながら生きていくのが当然でしょう?」という固定観念を払拭する(ジェンダーバイアスを取り除く)うえでとても意味があるのは確かだと思います。

人は男/女に生まれる、世の中には男/女しかいないという固定観念(性別二元論)に対しては、身体の性別と自認する性別が異なるトランスジェンダーの方や、性自認や性表現が非典型な方(Xジェンダーなど)、また、身体上・生物学的な性別が生まれつき非典型な性分化疾患(DSD)の方などの存在を思う時、男/女だけを前提にした考え方や制度がいかに乱暴かということに思い当たるのではないでしょうか。

また、男は「男らしく」、女は「女らしく」という固定観念に対しては、トランスジェンダーの方もそうですし、ゲイやレズビアンの子どもの中にも(ゴトウも子どもの頃はそうでしたが)、あまり「男らしく」ない男の子(野球が嫌いだったり)、「女らしく」ない女の子(スカートが嫌いだったり)がいたりして、そういう子どもたちへのジェンダーの強制(矯正)がどんなに非道で残酷なことか……ということを想像していただけると思います。

恋愛は男女でするもの、という固定観念に対しては、再三このサイトでお伝えしている通り、ゲイやレズビアン、バイセクシュアル、パンセクシュアル、アセクシュアル、セクシャルフルイディティ……いろんな方がいますよ、しかも決して「マイノリティ」じゃないですよ、英米の若者に対する2年前の調査では3割~5割がストレートじゃないと回答していますし、社会が寛容になればそのように申告する方がどんどん増えるはず、と申し上げています。

男が外で働いて女が子育てや家事をするべきといった固定観念に対しては、「じゃあ、同性カップルはどうなるの?」と問いたいと思います。男同士のカップルだったら誰も家事をせず、家が荒れ果ててしまうのか、いや、標準以上にキレイかもしれませんよ、と。ストレートの方の中にも当然、子育てや家事が得意な男性もいれば、仕事でバリバリ稼ぐ女性もいますよね。それは性別ではなく、個人に属する事柄なのです。

ゴトウが以前、女の子の友達にこういう話をした時、彼女がポロポロ泣きながら「私も実は、ちょっと“普通”じゃないかもと悩んでいた時期があって……。今の話を聞いて、自分を認めてあげられた、救われた気がしたの」と言ってくれたことがありました。ストレートの方の中にも、苦しい思いをしている方がたくさんいるんだと思います。「らしさ」とか「普通」といった規範意識から解放されて、このままでいいんだって思えるようになるといいですよね。

このように、身近にLGBTIAQ(セクシュアルマイノリティ、クィアピープル)がいる方や、社内研修などでLGBTのことを学んだりした方は、きっと、自らの内なるジェンダーバイアス(性に関する偏見、固定観念)に気づき、それを相対化して見れるようになったり、柔軟になったり、男女は対等なんだ、互いに尊重すべきなんだという感覚をつかんだり、今までのやりかたを見直して、新たな自分の生き方へと解放され、より生き生きとやっていけるようになるのではないかと思います。


ヘテロセクシズム、ヘテロノーマティビティ、ホモソーシャル

ここでもう少しアカデミックな、ゲイ解放運動やクィア理論の中から出てきた概念について、説明してみたいと思います(文字数の都合で、とてもざっくりした説明になっていますが、興味のある方は、ここでご紹介した本もぜひ、読んでみてください)。

人種差別のことをレイシズム、女性差別のことをセクシズムと言いますが、1970年代(1969年のストーンウォール暴動後のゲイ解放運動の盛り上がりの中で)、クレイグ・ロドウェルというゲイの活動家が「Hetero-sexism(ヘテロセクシズム)」という言葉を生み出しました。セクシズムをさらに発展させた概念で、男女が性的に欲求しあい、つがいになって再生産する異性愛(ヘテロセクシュアル)のありようを絶対視して他のセクシュアリティ(同性愛など)を排斥する態度のことを言います。

時とともに「ヘテロセクシズム」という言葉(考え方)は広く浸透していき、日本でも竹村和子氏が「〔ヘテロ〕セクシズム」について熱心に論じているほか、日本で最初にカミングアウトした現職教師であり大阪のゲイコミュニティで活動していた平野広朗氏が『アンチ・ヘテロセクシズム』という本を書いています。名著です。

文化人類学者でありオープンリー・ゲイである砂川秀樹氏は「ヘテロセクシズム社会では、社会の成員が異性愛者であることを大前提とし疑うこともされない。ヘテロセクシズム社会にいる異性愛者は、自らがヘテロセクシズム社会を構成しているとは意識していない」(『性の文脈 くらしの文化人類学』,2003)と述べています。結婚して子どもを生み育てるのが人としての幸せであり、そこから逸脱する(結婚しない、子どもがいない)のは不幸だという、世間の多くの人の素朴な押しつけが、まさにそうした例です。

 

「ヘテロセクシズム」が異性愛以外のセクシュアリティへの差別や抑圧を批判する言葉(考え方)であるのと少し異なり、1990年代のクィア理論※から生まれた「異性愛規範(ヘテロノーマティビティ)」という概念は、異性愛が普遍であるという「規範」が日々、どのように再生産され、他のセクシュアリティを周縁化していっているのか、という点に着目しています。

※クィア理論は、1980年代のエイズ・アクティヴィズム(ゲイコミュニティの危機的な状況を受けて、マジョリティによる排除や政府の無策に抗い、人々の目を引く形で政治的に可視化していこうとする運動)から派生したクィア・アクティヴィズム(「私たちはここにいるし、私たちはクィアなのよ、それに慣れることね」)と結びついて、それまでのジェンダー(男女の問題)やセクシュアリティ(ゲイやレズビアン)の議論を包括的に論じる学問として誕生。構築主義やフーコーの理論を援用して性を根本から問い直し、周縁化された人々どうしの連帯を図ることによって社会が強制する規範に抵抗できる力を生み出そうとするものでした。


オープンリー・レズビアンのジェンダー研究者、ジュディス・バトラーは『ジェンダー・トラブル』(1990)などの著作で、言葉に先立つものとしての身体(セックス=性別)や、首尾一貫したジェンダー・アイデンティティといった概念が、いかに「異性愛規範」の下で「自然な」ものとして構築されるかを暴きだしました。ジェンダーは規範の果てしない引用・反復によって成り立つ、「行為」を通じてパフォーマティヴに構築されるという考え方です。彼女は有名なドラァグクィーンを引き合いに出し、「ディヴァインの女装は、ジェンダーが本物のように流通しているけれども、不断の仮装に過ぎないことを示唆するものである」と語ります。

それから、ジェンダー研究者イヴ・セジウィックは、有名な「ホモソーシャル」という概念を生み出しました。

「ホモソーシャル」とは、「ミソジニー(女性蔑視)とホモフォビア(同性愛嫌悪)をベースにした男どうしの強固な結びつき、および男たちによる社会の占有」のことを指します。

例えば男どうし連れ立って風俗やキャバクラへ行ったりするのが典型ですが、女をモノ扱いし、ゲイを侮辱することで、俺たち男だよなと確認しあうような男社会の心性です。女性差別とゲイ差別は同根であるというセジウィックの見立ては、広く支持されるところとなっています。なお、日本の「ホモソーシャル」の根深さについては、『男の絆』の著者である前川直哉氏がわかりやすくまとめています。

ちなみに、ホモフォビア(同性愛嫌悪)という概念は、クィア理論以前に生まれています。1960年代まで同性愛は精神医学界で病理とみなされていましたが、精神科医がカミングアウトしはじめたことで、カミングアウトしたゲイは「患者」で、隠している人は「治療する側」に分類されるという異常さに気づき、70年代に社会学者や精神科医らが「病んでいるのは同性愛者ではなく、同性愛を嫌悪する感情の方だ」と主張しはじめました。1972年、ジョージ・ワインバーグが『社会と健康な同性愛者』の中で「同性愛嫌悪(ホモフォビア)」という概念を提唱、同じ年、フランスのギ・オッカンガムも『ホモセクシュアルな欲望』で同性愛を嫌悪する社会の側を問題化していました(1973年、アメリカ精神医学会は「精神障害の診断と統計マニュアル(DSM)」から同性愛の記述を削除しました)。
 
ここで挙げた理論に共通するのは、セクシュアルマイノリティが特殊で異常だとするのではなく、異性愛規範を押し付ける社会のほうを問題視していることです(LGBTセミナーなどでも本当は、LGBTを理解してもらうというよりも、参加者が自明視している異性愛規範を問い直すことのほうが大事なのではないかと最近思っています)。

こうした理論が発展を遂げるにつれて、もはや「男/女に生まれたんだから~」という考え方は根拠がなく、時代遅れな妄信であると見なされるようになってきたのです。


ジェンダー表現としても素敵と思えるPR動画

最後に、じゃあどういうCMやPR動画ならいいの?ということで、個人的に(ゲイ的に)、誰も差別せず、誰も傷つけることなく、ジェンダー的にOKだと思うCMやPR動画を挙げてみたいと思います。


茨城県の温泉をPRした動画「茨城温泉FILE」は、茨城県が運営する動画サイト「いばキラTV」が2017年春に制作したもの。<温泉×筋肉>というコンセプトで、イケメンマッチョが茨城の温泉に入るシーンをスローモーションで美しくとらえた映像になっています。これまでに3本がリリースされており、動画再生回数は合計で45万回超を記録しています。また、英国のゲイサイト「GAYSTARNEWS」でもフィーチャーされました(「みんな日本で会おう!」とのコメント。本気でゲイ・インバウンドを考える観光地の方、ご参考にしてください)。

過剰にマッチョな男性の裸は、バラエティ番組ではお笑いのネタ(罰ゲームで芸人さんがマッチョに連れ去られて嫌がるなど)にしていますが、それを真っ直ぐに美の対象として賞揚しているところも素晴らしいと思います。ストレート男性の方でも、思わず見惚れてしまうのではないでしょうか? 個人的には、マッチョだけでなく、もっとゆるかったり、年齢や体型や容姿が多様な男性のバージョンがあるといいと思います。


また、北海道新幹線開業の際のサンドウィッチマンを起用したCMのシリーズもたいへんよかったと思います。美女の2人旅というパターン(入浴シーンが「サービスショット」として使われるなど)が多いなか、男性2人が仲睦まじく函館や青森の旅情を楽しむ様が微笑ましく、ホモソーシャル性も特に感じさせません。個人的には故郷の青森が、大好きなサンドウィッチマン(宮城県出身)のおかげで楽しく素敵に紹介されていることも、本当にうれしかったです。

カワサキハロウィン

 

最後に「Kawasaki Halloween 2017 - LOVE & JOY by LESLIE KEE」を紹介します。今年のカワサキハロウィンではLGBTをフィーチャーしたプライドパレードも行われるということで、レスリー・キー氏がキービジュアルを担当し、その撮影の模様が動画配信されています。出来上がったビジュアルは、LGBTも車椅子の人も外国人も、かぶりものをした人もいたりして素晴らしくダイバーシティかつオシャレです。さすがはレスリー!

人間を描く時、そこにはいろんな性(ジェンダーやセクシュアリティ)にまつわる価値観が否応なく反映されます。昨今のメディア表現での失敗(炎上)は、ストレート男性の目線だけで制作してしまって誰も何も言わない(=ジェンダーバイアスのチェックが働いていない)ということが問題だったと思います。何千万もの制作費をドブに捨てた挙句、ブランドイメージを損なう結果になったら、目も当てられないですよね……。メディア表現に関わる方にはぜひ、制作の過程で(意識の高い)女性やLGBTの目を通すということをおすすめしたいと思います。