わたしは真悟

12月2~3日(プレビュー)=KAAT神奈川芸術劇場 ホール、12月9日=浜松市浜北文化センター大ホール、12月15日=富山市芸術文化ホール オーバー・ホール、12月23~25日=ロームシアター京都メインホール、2017年1月8~26日=新国立劇場中劇場
『わたしは真悟』写真提供:ホリプロ

『わたしは真悟』写真提供:ホリプロ

【見どころ】

1980年代に人工知能の時代を予見、現在もカルト的人気を誇る楳図かずおさんの同名漫画が“まさかの”ミュージカル化。純粋に愛し合う小学生、真鈴と悟が遊び道具にしていた工場のアームロボットが自我を持ち、自らを「真悟」と名付ける。そして離れ離れとなり危機が迫った二人を救うため、壮大な旅に出る様を描きます。

純真な子供の世界からいつの間にか放り出されてゆく主人公を演じるのは、高畑充希さん(真鈴)と門脇麦さん(悟)。大人へと成長してゆく“痛み”を、若手女優ならではの感性で豊かに表現してくれそうです。また『エリザベート』で強烈なルキーニ役を演じた成河さんが、今回は無機質な「機械」から感情を持ち、人間を超えるほどの純粋な愛に突き動かされてゆく「真悟」役をいったい、どう演じるか。演出は10月末の自らのカンパニー公演『コンタクト』でも、舞台芸術の無限の可能性を見せてくれた振付家、フィリップ・ドゥクフレさん。イマジネーションに溢れた新作舞台に、大きな期待が寄せられます。

【観劇レポート】
音、言葉、ビジュアルがダイナミックに絡み合い、生まれる
“失われた無垢”へのオマージュ

『わたしは真悟』写真提供:ホリプロ

『わたしは真悟』写真提供:ホリプロ

開演前、舞台上手では4人のミュージシャンがテクノサウンドを操り、下手では黒子たちがロボットアームに無機質な動きを繰り返させている。加工音声による場内アナウンスを挟んで改めて開幕すると、ゼンマイのように回転しながら人々が登場。“東京タワー”を登る二人の子供たち(悟=門脇麦さん、真鈴=高畑充希さん)を見て慌てふためく様を、互い違いにビートに乗って動き、描写します。大人たちの混乱をよそに、固い決意でてっぺんに登りつめ、「私たち、一生のうち今が一番幸せなのかもしれない」と暗に作品テーマを語る二人。悟の「やるんだ!」という叫びとともにシーンは暗転し、音、台詞、動きがダイナミッ クに絡み合った光景は、一人の俳優(成河さん)がその肉体を使ってロボットアームの自我の覚醒を表現するシンプルな場面へと、バトンを渡して行きます……。
『わたしは真悟』写真提供:ホリプロ

『わたしは真悟』写真提供:ホリプロ

日本のとある町工場を起点に宇宙をも巻き込み、壮大なスケール感で展開してゆく漫画『わたしは真悟』。およそ舞台向きとは言えない本作を、創意あふれる振付家・演出家として知られるフィリップ・ドゥクフレは、長大な物語を削ぎ落とし、子供たちとロボットアーム“真悟”の愛と成長の物語として凝縮した脚本(谷賢一)を軸に、独創的な音楽(トクマルシューゴ、阿部海太郎)・映像(オリヴィエ・シモラ、ローラン・ラダノヴィッチ)・美術(エリック・マルタン)、そして出演者たちの卓越したパフォーマンスを束ねて舞台化。“1980年代の日本”に限定されない、普遍的にしてユニークな世界を作り上げています。
『わたしは真悟』写真提供:ホリプロ

『わたしは真悟』写真提供:ホリプロ

中でも特筆に値するのが、子供たちが出会いの記念にと知能を与えたことで自我に目覚め、進化を遂げてゆく工場の機械“真悟”の表現。舞台上では、3人の黒子たちが模型を操って演じる“実体”と、それを客観視しながら物語る“自我”とに分けて表されますが、黒子たちの巧みな操作もさることながら、コンテンポラリーダンス的な動きを取り入れつつ舞台空間を自由自在に動き、無感情から少しずつ感情を帯びて物語る“自我”役・成河さんが圧倒的。真悟が“四角から三角へ、そしてマル”へと進化する過程で、ついにその声にかかっていたイフェクトが完全に解かれ、成河さん本来の声が初めて響く瞬間は感動的です。
『わたしは真悟』写真提供:ホリプロ

『わたしは真悟』写真提供:ホリプロ

また“大人になること”を拒みながらも、いつしか無意識的に成長してゆく子供たちの表現も的確。門脇さんはやや素っ頓狂な発声で少年の無垢をよく表し、長い手足はナチュラルに“男の子らしく”動きます。いっぽう、高畑さんは人間の身体をコラージュした映像とダンサーたちの生身の動きが作り出す壮観のビジュアルに負けることなく、“大人になりたくない”心境を凛とした声で歌い切り、いざ大人になってしまった瞬間の女の子特有の“案外、平気”感も、ちょっとしたしぐさで表現。強い印象を残します。
『わたしは真悟』写真提供:ホリプロ

『わたしは真悟』写真提供:ホリプロ

ストーリーを額面通りに受け止めれば、本作は“悲劇”でしかありませんが、フィリップ・ドゥクフレが今回、フォーカスしたのは悟と真鈴、そしてロボットアーム“真悟”が、最終的に象徴するもの。ストーリーが語り終えられた後、成河さんは或る、美しい光景の中に入ってゆき、そこに参加する。日本もフランスも、また1980年代も現代も関わりなく、かつて子供だったすべての大人たちの心の中にある、それは“無垢なる子供時代”の象徴です。ある日を境に失われ、二度と取り戻すことのできない時間はここでは永遠に続くかのように描かれ、そして儚く消えてゆく。ここに辿り着くために全てが組み立てられて来たのだろうと思える、珠玉のラストシーンが待つ舞台です。

*次頁で『嵐の中の子どもたち』ほかをご紹介します!