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DDTの新エースは21歳の日体大生・竹下幸之介

小学生でプロレス学校、中学3年でテスト合格

長いプロレスの歴史を紐解くと、今までの最年少の団体エースは弱冠23歳で東京プロレスを旗揚げしたアントニオ猪木でした。しかし、今年の5月に記録を更新したのがDDTの竹下幸之介です。竹下は21歳の誕生日の5月29日、佐々木大輔を撃破して第58代KO-D無差別級王者になったのです。高校2年生でプロデビューを果たした竹下は「DDTの未来」と呼ばれていましたが、わずか3年9カ月で頂点にのぼりつめました。

竹下の21年間の人生を振り返ると、まさにプロレスの申し子と言っていいでしょう。猪木ファンの父親の影響で2歳からプロレスをテレビで観るようになり、初めて会場で観戦したのは幼稚園の時。大阪生まれの竹下が初めてナマで観たプロレスは大阪プロレスでした。そして小学校に入ると大阪プロレスのプロレス教室・子供の部に通い始め、たちまち子供の部・最強になり、大人の部にも参加するようになりました。また、常に10名以上のメダリストを輩出している吹田市レスリング教室にも通ってレスリング技術を磨きました。

進学した中学にはレスリング部がなかったため、陸上部に所属しましたが、それは小学生の時にモバゲーのSNSでDDTの高木三四郎社長に「プロレスラーになりたいんですが」と送ったところ「中学、高校で何かスポーツで結果を出して、高校卒業後にもう一度、履歴書を送ってください」という返事を貰ったからです。陸上部に入って全国大会で優勝して結果を出した竹下は、晴れてDDTに履歴書を送付。中学3年生の2010年8月にテストを受けて合格し、中学卒業後に上京してプロレスラーになることを決意しました。しかし両親と高木社長の説得、さらに中学最後の4種競技で結果を出せなかったことで、高校に進学して陸上を続けたのです。

DDTで際立つ竹下のアスリート・プロレス

竹下がデビューしたのは高校2年の夏。2012年8月18日、DDTの日本武道館初進出という大舞台でした。名プロデューサーとしても知られる高木社長は竹下の才能を信じて「高校生の有望な陸上選手がプロレス・デビュー!」と売り出しにかかったのです。エル・ジェネリコ(現在はWWEでサミ・ゼインの名前で活躍)相手に身体能力を生かした伸びのあるドロップキック、ミサイルキック、場外にダイビングするプランチャなどで善戦し、期待以上のファイト。果たして、竹下は「高校生レスラー」として一般紙にも取り上げられるようになり、高校3年生の13年にはプロレス大賞の新人賞にも輝きました。

14年春に日本体育大学に入学したのを機に上京。大学に通いつつ、DDTの大会にフルタイムに出場するようになりましたが、問題はなかなか人気が追いついてこなかったことです。プロレスラーになるまでに努力を重ねてきた竹下ですが、ファンは日本武道館で華々しくデビューした竹下をエリートというイメージで見ていたからです。プロレスファンはエリートよりも雑草タイプに感情移入します。いい待遇を受け、187センチ、99キロと体に恵まれ、子供の頃からレスリングと陸上で鍛えてきた身体能力……非の打ちどころがない竹下はファンにとって感情移入しにくいレスラーの典型だったかもしれません。竹下本人も「僕はファンに応援されないタイプですから」と言っていたことがありました。

確かに当初の竹下のファイトは運動神経のよさばかりが目立っていましたが、徐々に身体能力や大技に頼らずに試合を組み立てて観客を惹きつけるセンスを身に付けていきました。エンターテインメント性も重要な要素になっているDDTでは観客を手のひらに乗せるサイコロジー……いわゆるプロレス頭が求められますが、竹下はそうしたことも吸収しつつ、いままで培ってきた体力、気力、技術で勝負する「アスリート・プロレス」を個性にしました。お笑いもあれば、ショー的な要素もあるDDTにおいては「アスリート・プロレス」は際立っているのです。

8・28両国では195センチ、140キロの大巨人・石川修司相手にKO-D無差別級王座4度目の防衛戦があります。8・8新宿の3度目の防衛戦では元大相撲の185センチ、110キロの大鷲透を華麗な技ではなく気迫の水平チョップ6連発で撃破した竹下が両国ではどんな進化を見せてくれるか注目です。



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