凹版切手がちょっとした話題に

前回の記事では年賀状の楽しみ方についてご紹介しました。今回の記事は、凹版切手の魅力についてです。実は、日本の特殊切手としては12年ぶりの凹版切手となる平等院鳳凰堂と旧東宮御所(赤坂離宮)の82円切手(「日本の建築シリーズ第1集」)が発行されたことから、凹版切手が今にわかに注目を集めているのです。そこで今回は改めて凹版切手の魅力とその観賞のポイントについて紹介したいと思います。
日本の建築シリーズ第1集

「日本の建築シリーズ第1集」平等院鳳凰堂と旧東宮御所を描く82円切手が連刷されている。(参考価格400円)

凹版切手とは何か?

切手の印刷には、凹版印刷、凸版印刷、グラビア印刷、平版印刷(オフセット)のように、様々な印刷技術があります。このうち凹版印刷は、金属のくぼんだ部分にインクを充填し、圧力をかけて印刷するもので、たとえば紙幣特有のインクが盛り上がった質感を思い浮かべていただくと分かりやすいかもしれません。
ヴォルフガング・ザイデル

凹版切手の原版を制作しているヴォルフガング・ザイデルさん(オーストリア)。政府印刷の職員ではなく、フリーランスの立場で、様々な切手を制作してきた。

あらゆる印刷の中で最も手の込んだ方式で、高度な技術を持った専門家が金属彫刻を行わなければなりません。当然コストもかかるのですが、偽造が困難であることから、紙幣や証書類の印刷に適しています。
凹版切手制作過程

2009年のオーストリア切手の原版制作。ビュランと呼ばれる特殊な彫刻刀で制作を進めている。

日本では久しく凹版切手が出なかったのですが、切手ファンからの強い要望もあってか、ようやく12年ぶりに凹版特殊切手の発行が実現しました。

甲冑の模様から生まれた凹版印刷

凹版印刷の技術は、中世ヨーロッパの甲冑や刀剣などの彫金の技術から派生したものです。甲冑に施された美しい模様にインクをすり込んで紙に写し取ることが行われていたのですが、やがて専用の金属板に絵を彫り込んで印刷する技術が確立し、凹版印刷へと発展しました。
彫金美術

スウェーデン発行の彫金美術の切手(2010年・参考価格1,600円)。金属工芸の代表例として甲冑(中央)とチェスラフ・スラニアによる凹版切手(右)を取り上げている。

次のページでは、凹版印刷の種類についてご紹介したいと思います。

エングレービングで活躍したアルブレヒト・デューラー

凹版印刷で最も活躍した芸術家といえば、16世紀ドイツの画家アルブレヒト・デューラーでしょう。デューラーはルネサンス期の雰囲気をたたえた自画像が有名ですが、凹版印刷の大成者としての顔もあります。金銀細工師の子として生まれた彼は直接金属に彫り込むエングレービング(直刻)を高度な芸術の域に昇華させたのです。絵画に詳しい方であれば、「メランコリア1」を思い浮かべるかもしれません。
メランコリア1

デューラー「メランコリア1」の17世紀初頭の模刻。

エッチングの技法を探求したレンブラント

凹版印刷でもう1人挙げるとすれば、17世紀にオランダで活躍したレンブラントでしょう。一般に光と影の表現に優れた油彩をイメージするかもしれませんが、銅版画も彼が一貫して取り組んだテーマでした。しかしデューラーとは違い、レンブラントが好んだのは防食処理をした銅版の表面を削り、酸性の薬品で処理するエッチング(腐蝕)というものでした。
レンブラント誕生400年の記念切手とコイン

レンブラント誕生400年の記念切手とコイン(オランダ・2006年・参考価格2,500円)

2つの方式がある凹版印刷

ここでは西洋美術史の上での細かな話は割愛しますが、ひとまず凹版印刷には非常に手間のかかるエングレービング(直刻)と、それより簡易にできるエッチング(腐蝕)があるという点を押さえていただければと思います。
ちなみに、世界最初の切手「ペニー・ブラック」も日本最初の「竜文切手」も同じ凹版なので、同じ印刷方式だと思われている方もいますが、世界最初の切手がエングレービングなのに対し、日本最初の切手はエッチングです。しかも日本独自に発展した印刷技術の延長線上で生まれたものですから、切手印刷の風合いにも当然大きな違いがあります。
竜文切手48文

日本最初の竜文切手48文の第1版(左)と第2版(右)(1871年・参考価格第1版15,000円、第2版25,000円)。

小判切手にも使用されている凹版の技術

やや専門的になりますが、明治9(1876)年に始まった小判切手にも凹版印刷の技術が活かされているということは盲点なように思います。もちろん、日本切手の専門家であれば、小判切手が凸版印刷であることは誰でも知っています。けれども、イタリア人のエドアルド・キヨッソーネがドイツからもたらしたエルヘート凸版(エルヘートはドイツ語で盛り上げるの意味)という技術を用いる過程で、一度は彫刻者の手で腐蝕凹版の型版を作らなければならなかったという点は意外に見逃されがちなのではないでしょうか。
エドアルド・キヨッソーネと小判切手

「郵便切手の歩みシリーズ第2集」のエドアルド・キヨッソーネと小判切手(日本・1994年)。

次のページでは凹版切手の楽しみ方についてです。

印刷と芸術のあいだ

凹版切手の面白さはどんなところにあるのでしょうか。筆者の考えでは実用印刷という要素と芸術作品としての性格が凹版切手の中に具現化されているところではないかと考えています。2014年に印刷博物館で企画展「印刷と芸術のあいだ」があり、日本の紙幣・切手印刷の歩みを紹介する展示を見ながら感じていたのですが、まさに凹版切手とは「印刷と芸術のあいだ」にあるのではないかと思います。
日本の建築シリーズ第1集

「日本の建築シリーズ第1集」。芸術品としての性格と、82円の証紙としての性格を持っている。

ビュランを磨き続ける原版彫刻者

凹版印刷と一口に言っても、メゾチントやドライポイントなど、様々な種類があるのですが、特にエングレービングは気の遠くなるような修練が必要で、とりわけ専門性の高い芸術です。日本の凹版彫刻者の中では、「針研ぎ3年、描き8年、ビュラン熟する18年」という言葉があるのだそうです。ビュランとは凹版彫刻に使う特殊な彫刻刀で、自分で研がなければならないのですが、それまでに3年の修練が必要であり、難度の高い肖像が彫れるまでには、才能があっても18年はかかるという意味なのだということです。ここでは肖像そのものではないのですが、世界的にも有名な凹版彫刻者・押切勝造が制作した凹版試作品を紹介したいと思います。
金髪の少年

押切勝造が制作したフラゴナール「金髪の少年」。海外郵政から凹版切手制作を受注するために作成した切手型の試作品。(参考価格2,000円)

金髪の少年

押切勝造が制作したフラゴナール「金髪の少年」。左目の部分の拡大図。瞳や肌の質感、柔らかな金髪までをさまざまな線で描き分けている。

凹版切手をじっくり観察しよう!

凹版切手を入手したら、まずは肉眼でじっくり細部まで注意深く見ていただきたいと思います。きっと一目見たときには分からなかった深みや表現の巧みさに気が付くのではないでしょうか。次にルーペで覗いて、切手の線の入れ方を見ていきます。線の緻密さや表現の中に思わぬ工夫点や細部へのこだわりが発見できるかもしれません。ここでは再び押切勝造の作品から、彼の代表作とも言える「東照宮陽明門100円」をお目にかけたいと思います。
東照宮陽明門

押切勝造の代表作といわれる「第2次国宝切手」の東照宮陽明門1978年・100円(参考価格150円)。

竜の表情の違い

東照宮陽明門の拡大図。よく見ると竜の表情の違いも巧みに表現している。

どうやって凹版の原版彫刻者を調べるの?

ところで、なぜクレジットも入っていないのに、押切勝造の凹版切手だと分かるのでしょうか。それは切手カタログに掲載されているからです。気になる切手があったら、ぜひチェックしてみてください。凹版切手には1枚1枚に彫刻者ごとの個性やセンス、 手法の好みが自然と表れますし、大変な集中力のいる仕事の末にできる作品です。1人ひとりの彫刻担当者に思いを馳せながら鑑賞すると、1枚1枚 の凹版切手もまた違ったものに見えてくるかもしれません。(図版の赤枠が彫刻担当者。彫刻担当者が非公開の場合もある)
ビジュアル日本切手カタログ

『ビジュアル日本切手カタログ 記念切手編』(l公益財団法人日本郵趣協会、2012年)より。E(Engraver)の欄が彫刻担当者を意味する。ここから押切勝造が制作したことが分かる。

凹版切手は何倍のルーペで見ればいいの?

凹版彫刻を行う際は通例、4~5倍のルーペで確認しながら彫刻をしていますから、一般的にはそれくらいの倍率のものがよいとされています。ただ、筆者自身は線の迫力を味わうためにも、7倍くらいのルーペで観察するのが好きです。(東海産業PEAKNo.1975・iPhone5で撮影)
7倍のルーペで見る平等院鳳凰堂

7倍のルーペで平等院鳳凰堂82円を観察してみた。

倍率については諸説ありますので、実際のルーペで試しながら使いやすいものを購入するとよいでしょう。倍率が高くなればなるほど、見た目が暗くなり、分かりにくくなるので、慎重に吟味しましょう。ルーペは切手ショップや写真用品店などで取り扱いがありますし、東京・錦糸町にはルーペの専門店「ルーペハウス」という店もあります。
ルーペの専門店

ルーペの専門店へ実際に切手を持ち込んで品定めをしているところ。

次のページでは今話題の「日本の建築シリーズ第1集」について見ていきたいと思います。

「日本の建築シリーズ第1集」の発行概要

日本の建築シリーズ第1集」は2016年1月8日に発行されました。発行枚数は150万シート。印刷は凹版1色とグラビア5色の掛け合わせとなっています。『郵趣1月号』(公益財団法人日本郵趣協会)によると、凹版彫刻担当者は平等院鳳凰堂82円が佐々木裕史さん、旧東宮御所82円が植松浩二さんです。両名とも国立印刷局職員(旧技芸官)であり、過去に紙幣、切手ともに手がけた実績があります。
「日本の建築シリーズ第1集」の郵便局配布用案内

「日本の建築シリーズ第1集」の郵便局配布用案内。同時発売された切手帳の告知もある。

同時発売の切手帳は完売状態

通常の切手に加えて、「切手帳 日本の建築」(売価5,800円)も同時発行されました。茶色・青味灰色・赤色の単色で印刷された単色凹版切手となっていて、発行枚数は2万部。当初インターネットによる通信発売を2月8日までとしていましたが、1月14日の時点ですでにほぼ品切れと聞いています。すでにヤフオクなどでも販売価格5,800円を超える価格で出品されています。
「日本の建築シリーズ第1集」の私製マキシマムカード

山内和彦さんが作成した「日本の建築シリーズ第1集」の私製マキシマムカード。単色印刷の切手は5,800円の切手帳から。

国立印刷局・佐々木裕史さんの過去作品

凹版切手を観賞する際、原版彫刻者の過去の作品をさかのぼって見ていくのも楽しみの1つです。平等院鳳凰堂の彫刻を担当された佐々木裕史さんは、E五千円券の裏面にある燕子花の彫刻を担当した方です。燕子花(かきつばた)の群生している様子や1つ1つの花びらの質感が巧みに表現されていますし、紙幣の格調高い印刷の装飾としての役割も果たしている、まさに通好みの作品といえるのではないでしょうか。
E五千円券の裏面

E五千円券の裏面に描かれた燕花子(かきつばた)。

もう1つは「中山道の妻籠宿・馬籠宿」(1990年)の連刷切手で、佐々木さんは妻籠宿を担当されています。筆者にとっては思い出のある切手で、2005年3月(くしくも名匠チェスラフ・スラニアが死去した翌日でした)にドイツ連邦印刷局職員で凹版彫刻者ヴォルフガング・マウアーさんにお会いする機会があり、その際にとてもすばらしい切手だと賞賛されていたのをハッキリと覚えています。
中山道undefined妻籠宿・馬籠宿

ふるさと切手・長野県「中山道 妻籠宿・馬籠宿」(1990年・参考価格200円)。

国立印刷局・植村浩二さんの過去作品

旧東宮御所を担当された植村浩二さんといえば、E千円券の富士山です。富士五湖の1つ本栖湖から見た富士山の様子を描いた作品で、紙幣らしい壮麗な凹版彫刻といえるでしょう。
本栖湖から見た富士山

E千円券の裏面に描かれた本栖湖から見た富士山。

植村さんの手がけた切手としては「新文化人切手第12集」(2003年)の斎藤茂吉などが挙げられますが、個人的にイチオシは「日本の民家シリーズ第5集」(1999年)の岐阜県・白川郷です。ちなみに同じ第5集でガッターペアになっている富山県・岩瀬家住宅は佐々木裕史さんの制作ですので、今回の発行は17年ぶりのコラボといえるかもしれません。
日本の民家シリーズ第5集

「日本の民家シリーズ第5集」(左)富山県・岩瀬家住宅・(右2枚)岐阜県・白川郷のガッターペア(1999年・参考価格380円)。

白川郷

岐阜県・白川郷の部分。連刷のため、それぞれが1枚で使われることも配慮して彫刻されている。

凹版切手・リメイク作品としての面白さ

このように彫刻者の歩みに沿って見ていくのも凹版切手の楽しみですが、過去の凹版切手と比べるのも一興です。平等院鳳凰堂に関していえば、1950年に24円銭位切手が、1957年には24円円位切手が発行されていますし、1959年には30円切手が発行されています。24円銭位と24・30円円位では原版が異なりますが、いずれも栗原七三という方が原版彫刻を担当されています。これら過去と現在の平等院鳳凰堂の彫り方や構図の差異などを比較してみると、意外な発見があるかもしれません。
現在と過去の平等院鳳凰堂

現在と過去の平等院鳳凰堂を描く切手を比べてみよう!

旧東宮御所についても、戦前の記念切手で満洲帝国皇帝来訪記念の三銭と十銭切手(1935年)が発行されています。原版彫刻者は野間謙一という方です。記念切手の名称からも明らかなように、当時旧東宮御所は皇帝溥儀の在京中の宿舎として利用されていました。今でこそ一般参観が可能な建物ですが、かつては皇太子の住いだった御用地です。三銭・十銭切手にはその独特の近づきがたい雰囲気がデザインにも表れていて、時代を感じさせます。
戦後と戦前の旧東宮御所

戦後と戦前の旧東宮御所(赤坂離宮)の切手を比べてみよう!

次のページでは凹版切手をもっと知るためにはどうしたらよいかを紹介します。

まずは日本の印刷関係の本で知ろう!

日本の凹版印刷について詳しく知りたい方は、元大蔵省印刷局職員の植村峻さんの著作が良いと思います。在職中から様々な啓発的な著作を執筆されていますが、日本での凹版印刷の概要を知るには『日本紙幣肖像の彫刻者たち』(印刷朝陽会、2010年)と姉妹書の『日本切手の凹版彫刻者たち』(公益財団法人日本郵趣協会、2015年)がオススメです。印刷の原理について詳しく知りたい方は、三島良績、『日本切手の製造』(切手趣味社、1964年)や『新版 切手と印刷」(印刷局朝陽会、1977年)などが好適でしょう。いずれも品切れになって久しくなりましたが、今なお参考になりますので、古書店や図書館などで確認してみてください。

世界の凹版印刷について知ろう!

外国切手を収集していると、凹版彫刻の巨匠の名に触れることがあります。非常に数多くの北欧切手を手がけたチェスラフ・スラニア(Czeslaw Slania)、フランスや仏植民地切手のピエール・ガンドン(Pierre Gandon)、オーストリア切手の小ハンス・ランツォーニ(Hans Ranzoni d.J.・同名の父は著名な画家)、ヴォルフガング・ザイデル(Wolfgang Seidel)、チェコ切手のカール・ザイティンガー(Karl Seizinger)、ボフミル・ハインツ(Bohumil Heinz)などが日本でも知られています。戦後日本だと、やはり先述した押切勝造、そして彼が師事した加藤倉吉でしょうか。
クリムトのプラックプリント

ヴォルフガング・ザイデルさんが彫刻したオーストリア切手、クリムト「ユディト」のブラックプリント(2003年・非売品)。

こうした世界の紙幣や切手の主な凹版彫刻者について知りたければ、世界各国の切手関連のサイトもやチェコの凹版切手といった国別のサイトも役立ちますが、ジェネ・ヘスラー(Gene Hessler)の『国際的彫刻者のライン』(邦訳なし・2005年)が決定版です。amazonで頼むと、2万円以上かかりますが、世界の切手デザインを本格的に勉強したい方は必携です。

<スタンプショウ2016>へ出かけよう!

そして、もっと凹版印刷に親しみたければ、<スタンプショウ2016>に出かけるのもアリではないでしょうか。周知のとおり、<スタンプショウ>は日本最大の切手の祭典として知られるゴールデンウィーク前後の恒例イベントですが、なんと!2016年は凹版切手をメインに据えた特別企画が行われます。
スタンプショウ2015エントランス

東京・浅草で行われた<スタンプショウ2015>のエントランス風景。

国立印刷局の方も交えた興味深いイベントが行われる予定ですので、ぜひご参観いただきたいと思います。今年は2016年4月29日(祝)から5月1日(日)にかけて、東京都立産業貿易センター台東館(東京・浅草)で開催されます。
スタンプショウ2015のイベント・ステージ

郵政関係者を交えたトークイベントなどを行った<スタンプショウ2015>のイベント・ステージ。

いかがだったでしょうか。ぜひ折に触れて、凹版彫刻者に思いを馳せながら、切手を鑑賞いただければと思います。さて、次回の記事では郵政博物館で行われているイベントについてお伝えしたいと思います。
※記事内容は執筆時点のものです。最新の内容をご確認ください。