娯楽としての福袋は否定しないが……

福袋を買うという行為を考えてみる

福袋を買うという行為を考えてみる

ちょっとタイミングが遅くなってしまいましたが、正月にデパートなどで販売される福袋。バーゲンセールのひとつとして、あるいはサプライズゲーム感覚で楽しんだ人も多いと思います。

娯楽としての福袋を否定するわけではありませんが、投資として考えた場合、福袋を買う行為には、お金をドブに捨てやすい、3つの要素が含まれていると感じます。

一つ目は、行列に並ぶことで時間を消費してしまう点。開店前にいくら早く並んでも、それで得られる経済的メリットはありません。

こういった小さな時間のロスを気にしない習慣によって、仕事や生活のあらゆる場面で積み重なっていくとしたら、年月を経るほどその差は巨大になります。

二つ目は、必要だから買うわけでなく、必要なものが入っているかどうかすらわからないものにお金を払う、ただ欲しいから買う点。たとえば傘が必要だから傘を買う場合、雨が降ったら使いますから、なくさない限りは、壊れるまで使えます。つまり、その「モノ」が必要だから買ったわけで、必要ゆえに、それは有効活用できるはず。

しかし、ただ「欲しい」「おトクそう」という感情で買う場合は、買った時点でその気持ちが満たされます。そして欲求が解消されると、商品そのものはどうでもよくなりやすい。どうでもいいものを大事に扱ったり、何年にもわたって使い続けることができるでしょうか。

比較検討・選別作業を放棄してはいけない

3つ目は、「自分で選んでいない」点。本来、自分で稼いだお金を使うときには、その商品やサービスに支払う価格に見合った価値があるかどうか、あるいは自分にフィットするかどうか、有効に使えるかなどを考えて財布を開くはずです。
それが賢い消費者としての行動原理のひとつではないでしょうか。

しかし福袋は、値段が安い(かもしれない)というだけで、通常は何が入っているかはわかりません。最近では中身がわかるものもあるようですし(それが福袋と言えるかどうかはともかく)、友達同士で買って、後で不要なものを交換することでムダを避けられることもありますが、基本的には自分で選んだものが入っているわけではない。

値段以上に価値のある商品が入っているかもしれない期待感だけで、宝くじと同じ「ラッキー」を望んでいるということです。

これはつまり、自分の頭で価値判断する行為を放棄しているということ。「自己責任での選択」という、私たちが持っている権利を、店舗サイドに委ねてしまっていることになります。ラクな反面、思考停止につながりやすい側面を持っているのです。

「与えられる」状態に飼い慣らされてはいけない

たとえばテーマパークのアトラクションも、自分で遊び方を考えるのではなく、誰が乗っても同じ楽しみ方ができます。テレビゲームや映画も同じ。クラブやダーツバーも同様に、供給者が考えた遊びです。

だからそんな「与えられる娯楽」に飼い慣らされた人たちは、田舎暮らしをすると「何もない」「ヒマだ」と苦痛を感じます。山や原っぱで自分は何ができるか、何もない環境の中でどういう楽しみ方を発見できるか、思いつかない。というより思考が及ばない。

これと同じことが、買い物にも起こります。自分の頭で「これは値段以上の価値がある、ない」を考えないから、差し出された「定価」を疑わない。値札より割引されていれば、「値段以上の価値があるはず」と思い込んで飛びついてしまうのです。

「そんな大げさな」と思うかもしれません。また、福袋には「何が入っているかな~」と、クリスマスプレゼントを開けるときの子供がワクワクするように、大人にとってもワクワクできる福引ゲームですから、そんな娯楽を否定するわけではありません。

しかしもし無意識で買っているとしたら、そうしたあまり考えない習慣が、生活や人生のあらゆる側面に及んでいるかもしれない、と自らを振り返ってみてはいかがでしょうか、という提案です。

参考文献)「お金持ちが財布を開く前に必ずすること」(KADOKAWA)