苦戦を強いられる2015年のホンダF1

2015年からF1に参戦しているホンダ。前回の記事『ホンダ凱旋のF1。今と昔のF1は何が違う?』でも触れた通り、2015年の同チームは非常に苦戦しています。

新時代の「ハイブリッドシステム」であるPU(パワーユニット)を供給して参戦を始めたホンダですが、かつての「マクラーレン・ホンダ」の強すぎるイメージが脳裏にこびりついている人を中心に「こんなはずではなかった」という落胆や批判の声がネット上にあふれています。

マクラーレン・ホンダ

2015年マクラーレン・ホンダ 【写真:PIRELLI】


確かにF1において「マクラーレン」というチームは12回のドライバーズチャンピオンを獲得した名門中の名門であり、「ホンダ」もF1において72勝を挙げたエンジンメーカーですから、世間一般でも両者はF1で強いという認識を持っている人が多いと思います。しかし、それは「強かった時代だけ」を知っているからかもしれません。

今年の「マクラーレン・ホンダ」を擁護するというよりは、歴史的な事実として今回はホンダF1の苦闘と栄光の歴史を振り返ってみましょう。


オートバイレースで世界一に!

本田技研工業株式会社は本田宗一郎によって本田技術研究所が昭和21年(1946年)に設立されたところから歴史が始まっています。戦後、オートバイを製造する2輪メーカーとして成長し、オートバイレースにも積極的に参加しました。1961年(昭和36年)のスペインGP、125ccクラスでホンダはオートバイレースの最高峰「ロードレース世界選手権」の初優勝を成し遂げました。その後、世界選手権の年間王者に輝き、オートバイレースの世界でナンバーワンになったのです。

ホンダundefinedGP

1960年代のホンダGPレーサーマシン


ホンダが「次は4輪」とばかりにF1出場を表明したのは、その翌年1962年のこと。この年、ホンダという会社はまだ1台も4輪の自動車を製造していませんでした。そう、当時のホンダは2輪メーカーでした。2輪オートバイメーカーが4輪自動車メーカーのトヨタも日産も参戦していない4輪モータースポーツの最高峰「F1」に出場しようというのだから突拍子もない話ですね。しかも、日本人が当時ほとんど知らない「F1」に。

無謀な挑戦と誰もが思うF1出場の表明でした。しかし、当時62年のヨーロッパの文献に載っている本田宗一郎へのF1関連インタビューを読んでみると、ヨーロッパのジャーナリストが興味津々にホンダのF1挑戦に関する質問を投げかけているのです。敗戦国のオートバイメーカーが4輪車を作ったこともないのにF1に出てくるなんて、にわかには信じがたい話ですが、そのインタビューには差別も偏見もなく、むしろ期待感があふれるものになっています。戦後僅か17年という時期に、既にヨーロッパの人たちはホンダの実力を認めていたのです。

本田宗一郎という人はモータースポーツの世界最高峰でナンバーワンになれば、文化の違いを超えて認めてもらえることを知っていたのかもしれません。だからこそ、これから4輪自動車メーカーになるなら最高峰のF1に挑戦しようとしたわけです。

しかし、その始まりは苦難の連続でした。