老舗を変えた中川政七商店・社長のスタート地点

更新日:2015年07月15日

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「日本の工芸を元気にする!」というビジョンのもと、自社ブランドの運営に留まらず、日本各地のものづくりやブランド開発に携わり、大日本市など流通のサポートまでも行う、中川政七商店 十三代社長・中川淳さん。2016年には創業300年を迎える老舗家業へ足を踏み入れてからの軌跡、そして下した大きな決断について、じっくりと語ってくれた。
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――大学卒業後大手企業に就職し、入社2年目で家業である中川政七商店に転職されましたが、きっかけは何だったのですか?

勤めていた部署の中では、仕事を出来たつもりになっていたんだと思います。わりと飽き性なので、出来たと思ったら次のステップに行きたい。だけど大企業ということもあって、冷静に周りを見ると8~9年目くらいまでは同じような仕事をやっている。これを続けないといけないのかと考えたら、ちょっと退屈やなと思ってしまった。そこで、夏休みに実家に帰った際、親父に「戻ろうと思う」と話したら「あかん!」と。「業界の先行きは明るくないし、これまでは大企業の看板で勝負していただけで、お前の力ちゃうぞ。まかりならん」と言われました。ただ、こちらもひっこみがつかないので、「お給料なしでもいいから、入れてください」と頭を下げました。


――条件面だけで考えると、ほかの企業の方が良かったのでは?

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2013年に発表されたハンカチの専門ブランド「motta(モッタ)」。

正直にいうと当時は軽い気持ちで、転職先はどこでも良かったんです。条件としては、小さい会社であることと、IT以外で伸びている感じのする会社、それだけでした。2001年に遊 中川(麻織物などを使った生活雑貨を扱う自社ブランド)が東京・恵比寿に路面店を出したとき、初めて家業と接したのですが、そこで「なんとなくいい流れがあるな」と感じました。仕事内容や商品よりも、とにかく小さいことが魅力でした。







――長く続いた老舗の家業について知る機会は少なかった?

もともと実家と会社が離れていたこともあってどんな仕事かも分からなかったし、親父で12代目でしたが継げと言われたこともありませんでしたから。でも、それは親父なりの作戦だったみたいです。継げというと反発するだろうから、と。あるテレビ番組のインタビューで、『してやったりや』と嬉しそうに言っていましたよ(笑)。


積み上げてきたのは「ちゃんとやること」


――馴染みのない仕事ですが、入社後は順調に取りかかれましたか?

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最初は親父が管理している茶道具の部署へ入りましたが、母親が担当している生活雑貨部門の状況がまずいと思い2週間で異動を志願しました。6、7人の小さな部隊で、当初は僕が求めるほどには社員の側にも応えてもらえず、一時期ほぼ辞めてしまったんです。親父からも「大企業と中小企業は違うんやぞ」と散々言われていたので覚悟はしていましたが、人がいなくなり業務知識もなく、そのときは本当に困りました。当時はうちの会社なんて誰も知らないですから、採用するにも人が集まらない。選べる余地のない中なんとか人を雇って、まずは赤字だった事業部を黒字するためにどうするかだけを考えていました。


――その大変な時期は、どう乗り越えたのですか?

僕は「ちゃんとやりたい」という気持ちがものすごく強いんですよ。ドアもちょっと開いていたらすごく気になる(笑)。ちゃんと閉めようや、と。だから、会社も赤字だからしゃあない、ではなく、黒字にしたいし、借金がいっぱいあるなら減らそうと思う。普通ですが、最初はそういうことしか分からなかった。たった2年働いただけの社会人でしたから。


老舗家業の仕事を変える。父の反対をも押し切って出した答えとは……


ガイドインタビュー-Human dept.ガイドの原点