糸谷哲郎。将棋界の至宝、竜王位を獲得した天才、いや、超天才である。
名人位と並ぶ将棋界の頂点を、なんと大学院生として哲学を探究しながら手に入れた男。ガイドは糸谷の強さの背景を、過去記事『怪物大王 糸谷哲郎とハイデガー』に書いた。未読の方には、ご一読いただけたら幸いである。


竜王・糸谷哲郎/ガイド画

竜王・糸谷哲郎/ガイド画

その王者・糸谷が「挑戦者」になるという。

それもテレビ中継されるイベントに、チャレンジャーとして登場するというのである。座しておくだけで尊敬と羨望を集める玉座の男が挑戦……?はて、どういうことなのか。


 

 

オセロに挑む

大人気のオセロ

大人気のオセロ

彼が挑戦のために足を踏み入れた世界は「オセロ」である。ご存じ、大人気の盤上競技だ。ガイドは、主催する子ども将棋教室・将星会にオセロ盤をおいているが、休み時間には順番待ちをするほどの人気だ。ちなみに、オセロは長谷川五郎氏が発案した日本発の競技なのである。考えれば、取った相手の駒を自分の持ち駒にできる将棋と、裏返せば味方にできるオセロ石、同じ日本発の文化としての共通点があるのかも知れない。 いわゆる「昨日の敵は今日の友」の精神である。

 


恐るべし、オセロキング

竜王の相手は2013年のオセロ世界チャンピオン。オセロキングの称号を持つ伊藤純哉氏だ。企画したのはTBSテレビ。「天下一文道会」(放送日2015年6月17日)という番組の1コーナーである。TBSの公式HPでこの番組はこう紹介されている。

「文道とは、武道とは対極の意味で「文学や学問などの道」のこと。つまり天下一文道会とは、その文道の頂点を決める大会である。文化系ながら手に汗握る対決が続出!(TBS)」

そして、こう続く。
「まずは『オセロ』。世界王者・伊藤純哉に劇団ひとり、厚切りジェイソンが挑む。相当なハンディをもらった2人には衝撃の結末が。そして、将棋界から最強の刺客・糸谷哲郎棋士が参戦。現役“竜王”である糸谷はオセロキングにどう立ち向かうのか。(TBS)」

まずは、劇団ひとりが24マスというハンディをもらいながら、全てのマスを取られてしまう完全敗北。次はジェイソンだ。彼は世界ランキング第4位というイリノイ大学工学部出身の頭脳を持つ男。その彼も端一列をそっくりもらうというハンディでの敗北。芸能人の二人をあしらうように倒したオセロキング。

目を引いたのはその勝負に対する凄さだけではない。なんとオセロキングは半袖Tシャツに短パン、サンダルという出で立ちで臨んでいたのである。対戦前、スーツ姿の劇団ひとりは言い放つ。
「パチンコ行く格好でしょう。(劇団ひとり)」

テレビ局の演出だろうか、はたまた、伊藤氏の自己表現なのか。いずれにせよ、さすがに常人を越えたとてつもない度胸である。しかし……、ガイドの胸に不安がよぎった。

ガイドの不安

将棋は礼節を重んじる棋道を持つ競技、そして、プロ棋士はその継承者なのである。伊藤氏の姿は対極、いや伝統的な礼節を拒絶しているかのようにも見える。もしや、竜王も普段着で出てくるのではないか。出演にあたって、そんな要請だってあり得るのではないか。ガイドの胸に一抹の不安が影を作ったのだ。そうであれば、この対戦に対する私の興味は一気にさめてしまいそうだ。

この番組はまぎれもなくバラエティ番組だ。頭を固くして観るものではない。それはわかっている。そして、誤解しないでいただきたいのだが、私は伊藤氏を批判しているのではない。オセロと将棋のマナーは違って当然だと思っているし、批判どころか、この対戦を受けた伊藤氏に賞賛を送りたい気持ちでいっぱいだ。世界チャンピオンにとって、異なるフィールドからの挑戦、しかも将棋界の頂点との対戦は大きなリスクを背負っている。オセロキングと竜王、両者のオセロ対局における「敗北の重さ」には雲泥の差があるのは言わずもがなだ。

だからこそ、竜王には本気の真剣勝負を臨んでもらいたい。正装でその意気込みを満天下に示してほしいのだ。


そして竜王登場

真剣勝負という玉

真剣勝負という玉

いよいよ竜王登場の時がやってきた。重厚な扉が開く。張り詰める会場。私は息をのむ。そこに糸谷の姿が……。はたせるかな、竜王は公式タイトル戦を思わせるような羽織袴で現れてくれた。手には扇子。これでこそ竜王である。私は画面に拍手を送った。竜の爪が真剣勝負という玉を握りしめたのだ。しかし、服装一つでここまで注目させられるとは、さすがにTBSだ。ラフと正装、二人のコントラストが画面に映える。次いで糸谷の言葉が紹介される。

「最強の方なので胸を借りて教えていただいて……。まあ、あわよくばという事ですね。(糸谷)」
リスペクトを持ちながらも、あくまで勝利の追求を語る竜王。

ハンディ決定にかいまみえる闘志

対戦前にハンディを決めなければならない。芸能人二人に対する、あり得ないほどのハンディはオセロキングが決めたものだ。今回も同様に「ハンディはどうしますか」と、まずはオセロキングに尋ねるアナウンサー。やや緊張の色も見え隠れする伊藤氏から、ものすごい発言が飛び出した。

「将棋の竜王とのことなので、平手で……。(伊藤氏)」

世界のオセロキングが、竜王とはいえ門外漢の挑戦者に「平手」つまり「ノーハンディ」を提示したのだ。これは、伊藤氏有利にみえて、非常に危ない条件とも言えよう。すでに述べた敗北の重さを無限大にまで引き上げることに他ならないからだ。もし、ハンディをつけていれば、その重さは半減したはずだ。いや、敗北だけではない。平手では、勝利の価値をも下げてしまいかねない。それを承知の上で、あえて平手とした、その勇気。そして、竜王へのリスペクトをノーハンディで盤上表現する姿勢。さすがに世界の頂点を極めた勝負師だ。

一方の竜王はこう答える。

「僭越ながら、ノーハンディで打たせていただくのは光栄。(糸谷)」

竜王の正装、オセロキングの平手宣言、お互いの敬意と自尊心が交錯する。だからこそ二人の闘志が観ている者の胸に静かに深く響いてくる。まだ対局は始まっていないのに、である。

ところで、実は、この対戦には布石があった……。それを紹介しておかねばなるまい。

豊川という布石

豊川孝弘

豊川孝弘

布石……、それは、あの豊川孝弘である。なお、豊川については過去記事『マツコ・有吉絶賛の「豊川孝弘」-棋界の音二郎』を参考にしていただきたい。

豊川は2014年11月5日に放送された『魂の文化系TV(TBS)』において、すでに伊藤氏とオセロ対戦をしていたのである。負けはしたものの、豊川が望んだ平手で善戦。プロ棋士の読みの凄さを見せてくれた。この事績あっての竜王登場であり、オセロキングからの平手宣言であったのだ。さすがに棋界の音二郎・豊川、棋士のフィールドを拡大する傑物である。

解説は元オセロ日本チャンピオン

解説は元オセロ日本チャンピオンの中島哲也氏だ。番組で設定された糸谷の立ち位置はオセロキングを倒すための最強の刺客である。ならば、中島氏にとって、竜王は敵だ。しかも、前述のように、豊川によってオセロにおけるプロ棋士の適応力は実証されている。もちろん、オセロキングの強さは百も承知。日本チャンピオンだからこそ世界チャンピオンの強さを知り抜いている。だが、何と言っても相手は竜王なのである。読みの深さ、正確さは計り知れない。オセロ側からすれば、絶対に負けられない一戦。いったい、どんな解説になるのか。勝敗の行方のみならず、ここにも注目せざるを得なくなった。


竜王、序盤で驚愕の一手

トッププレイヤーの手

トッププレイヤーの手

深々と頭を下げる両者。誇りをかけて、この一戦に臨んでいることが伺える印象的なシーンだ。糸谷の先手・黒石。受ける伊藤氏、後手・白石。序盤、淡々と進んで竜王の5手目、解説の中島氏から、こんな言葉が飛び出した。

 


「竜王は序盤の定石の知識がないはずです。それなのに、この手はトッププレーヤーの手です。(中島氏)」
トッププレイヤーの手と言わしめたのが画像の赤印の黒石だ。オセロに疎いガイドには解説のしようがないが、トッププレイヤーの手とは、さすが竜王である。さらに、特筆すべきは中島氏の解説の公平さであろう。敵であるはずの竜王の手を絶賛したのだ。さすがに元日本チャンピオン。このフェアプレイ精神には脱帽である。

竜王、会心の一撃

One of Best

One of Best


さらに、こんな局面が現れた。竜王3枚、オセロキング6枚という、枚数だけを見れば、竜王ピンチの局面である。そこで放ったのが、赤枠の黒石。ここで、またしても、解説の中島氏が「おっ!」と声を上げた。

 
「これは素晴らしいですよ。これはワン・オブ・ベストなムーブであると長年の研究でわかっている手です。(中島氏)」
たくさんのプレイヤーをもってしても長年の研究が必要だったムーブ。それを、今、竜王がオセロキング相手に繰り出した。打ちも打ったり、打たせたりの両者の駆け引き。そして、素直にその驚きを視聴者に届けてくれる解説者。頂点の風景を知る三者が創り出す世界がここにある。さらに中島氏は、驚きから派生した感動を語る。
「こういうのが簡単にできちゃうって……、棋士ってすごいです。(中島)」

竜王、盤上制圧か


竜王、制圧か

竜王、制圧か

対戦を見守るスタジオにも感嘆の声が上がる。竜王の中盤10分の長考(将棋なら1時間にもあたるのだろうか)をはさみ、終盤に入っていく。この局面をご覧いただきたい。ほとんど黒一色。竜王、盤面制圧といった感じである。だが、ここで竜王が苦しい顔を見せる。ため息が漏れる。そして……。

 

出た!伊藤ダンス!

ここで、オセロキングの指がテーブル上をリズミカルに動き始めた。まるで、オーケストラを操る指揮者、あるいは、獲物に襲いかかるタランチュラのごとき動きだ。中島氏によると「伊藤ダンス」と呼ばれるもので、数十手先を読んだ勝利へのカウントダウンの動きなのだそうだ。ということは、素人目には竜王圧勝と見える盤面も伊藤氏にとっては反撃ののろしを上げる、いや、むしろシナリオ通りの必勝局面となっているのだろうか。竜王のため息は、それを雄弁に物語っている。時をおかずして、猛攻が始まった。

讃え合う王者達

それからは、オセロキングの独壇場であった。竜王の指し手をなくし、パスをさせる伊藤氏。落胆を隠さぬ竜王。最後はオセロキングの圧勝であった。
終了後、竜王は語る。
「負けたのは悔しいですけど、オセロキングの実力が見えた思いです。(糸谷)」

そして、オセロキングも返す。
「序盤・中盤・・・中盤の途中まで互角の凄く緊張した試合でした。(伊藤氏)」
スタジオに鳴りやまぬ拍手。進行役の東野幸治が敗者である竜王に礼を言う。
「プライドも立場もある中、来ていただいてありがとうございます。(東野)」

日頃、毒の多い言を売りにする東野の気遣いに、その本質を見た気がした。そして、この言はそっくりそのままオセロキング・伊藤氏に送るものでもあろう。

そして、これからの展望

当たり前のことだが、伊藤氏は強い。恐るべき大局観、思考力の持ち主である。そして、ふてぶてしさと裏腹に謙虚さと礼節を感じさせる魅力をも持ち合わせている。東野はコーナーの最後に「次の機会があれば羽生さん(羽生善治/過去記事)に出てほしい」と加えた。それも、興味深い顔合わせではある。しかし、私はむしろ逆を見てみたい。つまり、オセロキング伊藤氏に、将棋に挑戦してほしいのだ。糸谷と伊藤氏の詰め将棋対決など見逃せない戦いが繰り広げられるのではないか。もちろん、解説は豊川しかいない。だじゃれ王・豊川は何と語るのか楽しみである。あっ、一つ考えついた。
「この手は痛う(いとう)ございます。最高の手順(じゅん)やおまへんか。(ガイド)」
……。心配ご無用である。豊川は、私などよりはるかに素敵な「だじゃれバズーカー」を装備している。

伊藤の将棋フィールドへの進出。考えるだけでもワクワクしてくる。将棋盤を前にしても、きっと、出てくるはずだ、あの伊藤ダンスが。ガイドには、そんな気がしてならない。

最後に、この素晴らしい戦いを見せてくれた主役二人と解説の中島氏、先鞭をつけてくれた棋界の音二郎、また出演者、関係者の皆さん、そして、最後まで読んでくださった貴方に感謝します。ありがとうございました。


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追記

「敬称に関して」

文中における個人名の敬称について、ガイドは下記のように考えています。
(1)プロ棋士の方の活動は公的であると考え、敬称を略させていただきます。ただし、ガイドが棋士としての行為外の活動だと考えた場合には敬称をつけさせていただきます。
(2)アマ棋士の方には敬称をつけさせていただきます。
(3)その他の方々も職業的公人であると考えた場合は敬称を略させていただきます。

「文中の記述、画像に関して」
(1)文中の記述は、すべて記事公開時を現時点としています。
(2)オセロの局面は、ガイド所有の盤で再現したものです。

※記事内容は執筆時点のものです。最新の内容をご確認ください。