歴史の節目に「いいとも」あり

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昨年3月「笑っていいとも!」グランドフィナーレで、とんねるず、ダウンタウン、爆笑問題など「共演NG」と思われた芸人が一堂に会したことは、日本中を驚かせ、不思議な感動をもたらせました。あれから約1年が経過した今年2月、こちらも「いいとも」とは浅からぬ縁を持つニュース「タモリ、小田和正と和解」が、ネット上を騒然させました。

おそらく若い世代の方には「あの2人ケンカしてたの?」と不思議に思うかもしれません。しかし80年代に青春をおくっていた世代にとっては、「米ソ冷戦終結」レベルの驚きだったと言っても過言ではありません(過言か?)。

といった訳で、そもそも2人の間にどんな問題があったのか? そして、なぜここにきて和解となったのか? 残念ながら小田和正については詳しく知らないので、タモリの側からの一方向になってしまいますが、深く考察してみたいと思います。

ほぽ40年にわたる「確執」

事の発端は約40年前にまでさかのぼります。いまや国民的MCとして広く支持されているタモリですが、深夜放送人気が華やかだった70年代後半には、「オールナイトニッポン」の毒舌パーソナリティーとして、当時の若者からカルト的な人気を集めていました。ありとあらゆる方面に毒を吐きまくる過激なトークが、兄貴的な気さくさで売っていた周囲のDJとは一線を画していたのです。

さまざまなバリエーションがあった毒舌の中で、いちばん知られているのは埼玉や名古屋に対する悪口でしょうか。実は当時のタモリは地元・福岡をはじめとして、全国津々浦々のバッシングしていました。「お国批判にしひがし」という番組内コーナーを作って、広くリスナーから笑えるネタを募集してました。

それ以上に激しくかみついていたのが、同時期に流行していたいわゆる「ニューミュージック」について。といってもジャンル全体の批判ではなく、「軟弱な歌詞」について徹底分析を行ったうえで、一刀両断していました。小田和正が参加していたグループ・オフコースについても「見せかけの優しさ」だと糾弾。数少ない女性リスナーを敵に回していました(笑)。あくまでも個人的見解ですが、優しさやインテリジェンスを売りにして女性をたぶらかせるプレイボーイに対する強い反感が根底にあったようで、ある意味、そのとばっちりを食ったのが小田和正、さだまさし達だったように思います。

「テレフォンショッキング」史上、最も気まずい数分間

82年には「笑っていいとも!」がスタートし、タモリは「深夜の密室芸人」から「お茶の間の顔」へと華麗な変貌を遂げます。しかしその2年後、彼は封印していた(?)過去と向き合う必要に迫られます(笑)。「テレフォンショッキング」のゲストに小田和正が指名されたのでした。

その翌日、いつもと変わりなく始まったように見えた「テレフォン~」ですが、テレビの前の一視聴者として何とも言えない緊張感を感じていました。いつも以上に弾まないやり取りの中で「新曲をお出しになったそうで」「お気にいらないでしょうが」などという、周囲が凍りつきそうな応酬もありました。何を言っても爆笑することで御馴染みの「いいとも」の観客も通常では考えられないほど静まり返り、スタジオの空調の音さえ聞こえてきた記憶があります。

共通の友人が何人もいるタモリ・小田和正でしたが、その後、公の場で顔を合わせることはありませんでした。これが原因かどうかは判りませんが、タモリ司会の「ミュージックステーション」に小田和正が出演することもありませんでした。2人は「犬猿の仲」だという噂も、いつのまにかネット上に広がっていました。

3年前の特大号が契機!?

状況にかすかな変化が訪れたのは、2012年の「FNS27時間テレビ 笑っていいとも! 真夏の超団結特大号!!」内のあるコーナーでした。過去の名場面、珍場面をVTRで振り返っていく中で、小田和正の出演シーンが放映されたのです。

VTRを見たタモリは「あれは気まずかった」と苦笑していましたが、ここにはもう一つの重大な意味がありました。つまりこの場面をオンエアできたということは、小田和正サイドの許諾があったことを意味するのです。つまり、この時点で雪解けは始まっていたんですね。

そしてご存知のとおり、今年2月9日のフジテレビ生野陽子、中村光宏両アナの披露宴で、めでたく「和解」成立となりました。というか、もともと不仲でも犬猿でもなかったものを、周囲が過剰反応していたのかもしれません。

こうなると今後期待したいのは、やはり「いいとも」以来の小田・タモリのトークですね。近いうちに「ミュージックステーション」か「ヨルタモリ」への出演が発表されるのでは? つい、そんな妄想をしてしまうのですが……。
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