読者のみなさんも「メディアアート」という言葉を、一度は耳にしたことがあるでしょう。「文化庁メディア芸術祭」という展覧会が全国各地で開催されるなど、昨今その注目度は大きく増しています。しかし、そもそも「メディアアート」とはどういうものなのでしょうか? それを今回は考えてみます。


メディアアートとは?

岐阜県大垣市に情報科学芸術大学院大学(IAMAS・いあます)という、メディアアートを学ぶことができる学校があります。このIAMASで教鞭を取りながら、映像作家としても活躍する前田真二郎さんに、まずは「メディアアートとは何か?」を教えていただきましょう。

――「メディア」という言葉は普及しすぎのせいか広義で、新聞・雑誌という情報元という意味もあれば、コンピュータをつかったものを指すようなイメージもあります。「メディアアート」とは、どういう作品を指すのでしょうか?

前田 まず「メディア芸術」と「メディアアート」は違うというのがポイントです。

――どういう意味ですか?

前田
 2001年に文化庁が「映画、漫画、アニメーション及びコンピュータその他の電子機器等を利用した芸術」を「メディア芸術」と定義しました。これは「メディアアート」とは異なり、それらの言葉の意味や指している作品が分かりにくくなったかもしれません。

――では「メディアアート」とは何でしょうか?

前田
SOL CHORD(前田真二郎 + 岡澤 理奈)によるWEBムービー・プロジ ェクト 《BETWEEN YESTERDAY &  TOMORROW》 (2011-)

SOL CHORD(前田真二郎 + 岡澤 理奈)によるWEBムービー・プロジ ェクト 《BETWEEN YESTERDAY & TOMORROW》 (2011-)


 
先に挙げた文化庁の定義のなかにある「コンピュータその他の電子機器等を利用した芸術」が、「メディアアート」です。空間全体にインスタレーションとして展示するもの、特別な機器を装着して体験するもの、インターネットで発表されるものなど形式はさまざまです。また、複数人で身体を使って楽しめる作品や、シリアスなテーマを読み解かせる作品など、鑑賞方法や印象もそれぞれ多様です。

――「メディアアート」は文化庁が「メディア芸術」として規定した「映画、漫画、アニメーション」ではないんですね。また、「キャンバス+絵具=絵画」「木-削る=彫刻」というような簡単な方程式では答えられないものなのですね。

前田 メディアアートは、従来の美術とは違った新しい媒体(=メディア)による表現という意味も含まれています。ひとつの特徴として「装置を使った表現」と言えます。この考え方からいうと、ビデオや映像、そして写真までもが「メディアアート」としてとらえることができます。

――装置、とは?

前田 ここでいう「装置」は「道具」ではありません。絵画を描くときに使う筆や、音楽を演奏するピアノは、身体の延長としての「道具」と言えます。では、写真家が使用するカメラは「道具」でしょうか? 「道具」と答えても間違いではないのですが「装置」と言った方がしっくりきます。「装置」は機構が組み合わさった構造物ですが、人間にはできないことを実現する機械という意味で、「道具」と区別できます。それらの境界は曖昧であるかもしれませんが、カメラやコンピュータは明らかに装置です。

――聞いていると難しく感じます。右画像はその例ですか?

前田
James Bridle《Dronestagram》(2012-)

James Bridle《Dronestagram》(2012-)


 
右画像は、近年、メディアアートの領域で高く評価されたJames Bridleの《Dronestagram》という作品です。先ほどの言葉を使うと、インターネットで発表された「シリアスなテーマを読み解かせる作品」です。作者はまず、アメリカの無人爆撃機ドローンが攻撃した場所を新聞などの情報から特定します。そして、その場所の衛星写真をGoogleMapsから切り出し、そこでの被害状況のテキストとともにSNSにアップします。アップされた画像には、コメントがついたりシェアされたりします。このようなことを継続するプロジェクト全体を作品としています。

――SNSが「装置」ということでしょうか?

前田  そうですね。この作品に使われているGoogleMapsは、ご存知のように衛星写真や高度なデジタル技術によるものですが、現在、無料WEBサービスとして一般に普及しています。InstagramやTwitterなどのSNSも同様ですね。作者のJames Bridleは、そのような現代の「装置」を組み合わせることで作品化したと言えるでしょう。そして、そのことによって、今日における複雑なメディア・テクノロジーの状況と、私たちの過剰ともいえる「見る欲望」を批判的に提示していると解釈できます。メディアアートは、人と装置の関係を探求する芸術、とも言えます。

――前田さんが制作している映像作品は、装置がどうとかいうものではないと思うのですが。

前田
 そう見えるかもしれませんね。私はメディアアーティストというよりも映像作家として映像メディアを専門に扱ってきました。発表については、ライブ上映やマルチスクリーン上映といった、少し変わった形式を選ぶこともあります。けれど、3Dメガネを付けるといったような、特別な装置を使うことはなく、スクリーンやディスプレイで鑑賞するスタンダードな映像作品を制作の中心に据えてます。そうではあるのですが、先ほどの「装置を使った表現」は意識していますよ。

――前田さんの映像作品は、どういったものでしょうか?

前田
前田真二郎 《日々“hibi”AUG 》(2008-)

前田真二郎 《日々“hibi”AUG 》(2008-)


 
「装置を使った表現」を意識した作品に『日々“hibi”AUG』というシリーズがあります。これは毎年8月の1ヶ月間、毎日撮影したショットから15秒を選び、その15秒のカットを31日間、順番につなげていくことで生成される映像作品です。これを12年続ける計画なのですが、今年で8年目となります。この作品はワンカットの長さ以外に、毎日の撮影する時間帯にも規則を設けています。自らが設定したルールを守りながら即興的に撮影していく、という作りで、偶然の出来事をとらえることができた日もあれば、話しながら撮影する日もあります。過去に撮影した映像を見直して構成を考え、未来からの視点でその日を撮影することを目指しています。実のところ「自分の生活を記録したい」といった欲求はほとんどなく、作品制作の目的や関心は「撮影者の意図を越えて、多様な情報が記録される映像メディアの特性」にありました。

――それって、どういう意味ですか?

前田 この作品は、コンセプチュアルな構造を持つドキュメンタリー映画と言えます。しかし私は、カメラという装置と撮影者の関係を強く意識しながら、それを作品の主題にしています。そういった意味では、先に説明した「メディアアート」に限りなく近い表現だと考えてます。

――映画とどう違うんですか?

前田
前田真二郎 《日々“hibi”13 full moons 》(2005)

前田真二郎 《日々“hibi”13 full moons 》(2005)

一般的な劇映画は、撮影や音響などの機材を駆使して制作されますが、ほとんどの場合はそれらを「道具」として使用します。つまり、撮影、音響、照明などの専門家がそれぞれの「道具」を用いて、何かしらのビジョンやドラマを共同作業によって具体化していきます。このような「道具」を活用してつくりだす作品と、「装置」との関係から生成される作品(=メディアアート)を比べてみると、どちらが優れているということではなくて、目指すべき目標がそもそも違うことに気が付きます。そして同様に、作品の鑑賞方法や楽しみ方もそれぞれ異なります。メディアアートの鑑賞では、従来の映画やアートと比べて、より能動的に作品と対峙することが求められることが多いのではないでしょうか。私の目指す映像作品もそのようなタイプのものなのです。

右写真/前田真二郎 《日々“hibi”13 full moons 》(2005)

メディアアートと言っても、いろいろな種類があることは分かりました。展覧会で特に多くの人を引き付けているのは、プロジェクターに映された映像に近づくと、その映像や映った影が動くというような、双方向で体験できる=インタラクティブなもの。

こうしたアート作品を多く手がけるplaplax(プラプラックス)さんに、メディアアートの作品のありかたを伺います。

メディアアート作品の一例~plaplaxさんの場合


―――まず、plaplaxさんの作品について教えてください。

「クラムボンはわらった」

「クラムボンはわらった」

plaplax 例えば右の「クラムボンはわらった」は、人が伝声管に向かって話しかけるとそれが泡となって水の中に現れます。他にも人の動きによって映像が変化する作品や、香水をつけた紙片をセンサーにかざすと匂いの強さや種類に応じた花が咲く作品「hanahanahana」など、人が関わって初めて内容がわかるような作品を作っています。

――確かにplaplaxさんが手がけている作品は、ただ「見る」だけでなく、「参加して楽しむことができる」ことが特徴ですよね。この作品「石ころのカチナ」も、そうですね。

plaplax テーブルの上に石ころが置いてあるだけに見えるのですが、どこにでも転がっている当たり前の石ころと思って「触る」と、思いがけないことが起こります。

――思いがけないこと、とは?

「石ころのカチナ」

「石ころのカチナ」

plaplax 石ころを触ると、テーブルの上にさまざまな精霊(カチナ)のようなものが現れてくるのです。 こうした作品の仕組みをつくるときには、鑑賞者の動作や環境を認識する様々なセンサー(インプット)、映像機器やモーターなどの動く機構(アウトプット)、そしてそれらを制御して動作させるコンピューターを組み合わせて、システムを構成していきます。

石に触れたことを検知できるタッチセンサー、検知した信号を受けてアニメーションを動作させるプログラムを書き込んだパソコンやマイコン、石の下から精霊のようなものが現れてくるかのように映像を投影するプロジェクターをテーブルにセットしています。

――すごいつくりなんですね。

plaplax 私たちはその仕組みを見せたいのではありません。いつもは気にかけなかった石ころをよく見るようになったり、手で感触を確かめたり、石ころから想像を膨らますことができるようになるのではないか、と考えています。

――そこまで考えられていると、美術館で展覧会だけでなく、いろんな活動の幅がありそうです。

plaplax 最近ではNHK Eテレで放送中の「デザインあ」という番組のコーナーを企画して映像をつくったり、こども病院の空間演出をしたり、自動車メーカーと未来の車をデザインするというような仕事もさせて頂いています。

――もはやアートというより、どれもすごそうな仕事です。

香水をつけた紙片をセンサーにかざすと匂いの強さや種類に応じた花が咲く作品「hanahanahana」

香水をつけた紙片をセンサーにかざすと匂いの強さや種類に応じた花が咲く作品「hanahanahana」

plaplax 「メディアアート」で培われた、メディアそのものについてその意味や可能性を追求するという思考方法は、美術展で作品を展示する以外にも、企業と一緒にプロトタイプを作ったり、建築家と一緒に建物の中の機能を考えていったり、さまざまなイベントを企画する際にも、とても役立ちます。

「メディアアート」の分野では私達のようにグループで作品を作る人も多く、参加しているクリエイターのバックグラウンドもさまざまなので、分野を越えるようなコラボレーションは得意かもしれません。また、体験型の作品を作る時には、アートや技術に詳しくない人にも作品に関わってもらうためにはどうしたら良いのか常に考えているため、人の行動についての観察や分析からプロダクト(製品)や空間をつくったりする場合にも活かせるのではないかと思っています。


終わりに

これだけIT技術が発展したいま、絵具や彫刻刀のようにコンピュータをつかって作品を制作するのは当たり前になっています。その種類は多様で、見るだけでなく「私もつくってみたい!」と思う方もいらっしゃるかもしれませんね。
※記事内容は執筆時点のものです。最新の内容をご確認ください。