2015年4月25日より公開中の映画『寄生獣 完結編』は大変おもしろい作品でした。しかし、原作漫画を読んだ方からは、セリフの変更などで賛否が分かれているようです。


ここでは、映画で変更されていた点を踏まえ、原作にあった「利他行動」と「利己的遺伝子」という考え、そして「満足」というキーワードから『寄生獣 完結編』という作品を読み解いてみます。

『寄生獣』は1980年代後半に雑誌月刊アフタヌーンで連載され、講談社漫画賞や星雲賞を受賞し、海外でも高い評価を受けている作品です。たった10巻(完全版は全8巻)の中に、人間ドラマ、グロテスクな寄生生物の斬新なアクション、人間の根源に迫る哲学に至るまで、いま読んでも新しい発見がある奥深さがある、エンターテインメント性とメッセージ性を兼ね備えている作品でした。公開中の映画版でも、その根源となるおもしろさは変わっていません。

まず、漫画と映画との違いについて書く前に、漫画にある「講義」についてふれておきましょう。


「利他行動」と「利己的遺伝子」とは

原作の第5巻(完全版でも5巻)の第36話「悪魔の面影」には、「寄生生物・田宮良子が受けていた大学の講義」が収録されています。これは映画ではカットされたシーンですが、作品に重要な意味を与えるものでした。

講義内容の「動物の利他行動とその疑問点」は、以下のようなものです。
 
(1)利他行動とは
・自分が損するのにも関わらず、他人を思いやる行動。これは人間ではそう珍しくない行為であり、人間だけでなく動物にも見られる。
・それは、じつは種(しゅ)を守るための本能ではないかと言われてきた。
・しかし、種を守るためではではないと言わしめる例に「子殺し」がある。子殺しとは、自分の子どもではないにしても、同種の子どもを殺してしまうことである=同じ種を殺してしまうのでは、種を守るための行動とは言えない。
 
(2)利己的遺伝子説とは
・子殺しは、種でなく自分の遺伝子を受け継ぐ子孫こそ大事なのだという、利己的な遺伝子が招いた結果だと説明できる(利己的遺伝子説)。
・利己的遺伝子説を広げていくと、仲間への思いやり、家族愛、夫婦愛、母性愛も説明できてしまう=愛というものは存在しないと言っていい。
・しかし、この説にも疑問はある。なぜなら、自分の遺伝子とまったく関わりのない他者を助けること、種すら違う相手を保護するという動物の事例があるからである。

なんだか頭がこんがらがってきそうですが、簡単にまとめれば「他人のための行動だと思っても、じつは本質的には自分のためなのでは?」という疑問を投げかけている講義内容とも言えるでしょう。

人間がやっている環境保護なども、一見「利他」に思えても、人間という種を守るための「利己的遺伝子」によるものなのかも? と考えられるのかもしれません。 この「利他行動」と「利己的遺伝子」を頭に入れておくと、『寄生獣』という作品がさらに奥深く感じられるのが、おもしろいところです。

※注意※次ページからは原作漫画『寄生獣』ならびに映画『寄生獣 完結編』のネタバレを多分に含みます。作品をご覧になってから読むことをおすすめします。

ここからは、いよいよ原作と映画『寄生獣 完結編』の違いについてふれていきます。

原作と映画の違いその1:寄生生物・田宮良子が笑った理由

原作で寄生生物・田宮良子が笑った理由は、探偵・倉森が取り乱して転んだため(人間の滑稽さが可笑しかったため)でした。

一方、映画の田宮は、倉森が赤ちゃんにしていた「いないいないばあ」を真似て、それで赤ちゃんが笑ってくれたことに微笑んでいました

原作の笑いは「嘲笑」であり、それは自分が快楽を得るための行動です。しかし、寄生生物である田宮が人間の赤ちゃんのために「いないいないばあ」をする(笑いかける)ということは、前述の利他行動であり、種すら違う相手のための行動(=利己的遺伝子説には当てはまらない)とも言えます。

映画の田宮は、なぜ「いないいないばあ」をしたでしょうか。
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おそらく田宮自身も、なぜ自分が赤ちゃんに「いないいないばあ」をしたのか、なぜそれで自分も笑顔になったのか、答えを探し続けていたのでしょう。それは、田宮がふと窓に移った自分の笑い顔を見て我に返ったシーンでも、死の直前に「ひとつの疑問が解けるとまたつぎの疑問がわいてくる。始まりを求め、終わりを求め、考えながら、ずっと歩いていた」という言葉を新一に告げたことでもわかります。

それでも、田宮は最期に「またひとつ疑問の答えが出た」と言っています。
その答えとは? それは後ほど書くことにします。


原作と映画の違いその2:寄生生物・後藤が新一に告げた言葉

原作では連続殺人鬼・浦上が、同種(人間)を殺してきたことにより(利己的な遺伝子により)、過度な人口の増幅を抑えてきたと主張していました。

一方映画では、寄生生物の後藤がこのようなことを言っていました。
「人間を殺すのは、お前たち人間のためだ」
なんと、寄生生物のほうが、人間という別の種のもののため(人口の抑制のために)に、人間を殺してきたと言っているのです。

これは、寄生生物の「利他行動」を示すものと言えるかもしれませんが……?
この答えについても後述します。
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原作と映画の違いその3:寄生生物・ミギーが新一に告げた言葉

新一の右腕からいなくなってしまった寄生生物・ミギーは、浦上との最終の決戦のとき、新一の頭(夢)の中に登場します。ここで新一は犬を抱き抱え、「道で出会って知り合いになった生き物が、ふと見ると死んでいた。そんなとき、なんで悲しくなるんだろう」と疑問に思っていました。

原作でのミギーはこの疑問に、「そりゃ人間がそれだけヒマな動物だからさ。だがそれこそが人間の最大の取り柄なんだ。心に余裕(ヒマ)がある生物、なんとすばらしい!」と答えています。

一方、映画のミギーは「それこそが人間が持つ、他人を思いやるという愛おしい行動なんだ」と言っており、原作よりもストレートなメッセージに置き換わっています。

個人的には、このミギーの達観したようなセリフは原作のままのほうがよかったなあ……とも思ってしまったのですが、ここに映画『寄生獣 完結編』が描きたかったことが集約されているのではないでしょうか。

それは、寄生生物もまた「他者(人間)のため」の行動をしてきたということ、寄生生物が人間にものすごく近い存在であったということです。

田宮良子は「人間の赤ちゃんに笑いかける」という「思いやる」行動をして、自分は満足感を得て(微笑みを浮かべて)いました。

後藤は、自分の宿主となるはずの人間を殺し続けることに、「人間のためだ」とひとつの答えを見つけていたようでした。

ミギーは自分を犠牲にして新一を助け、「人間の他者を思いやる気持ち」がいかにすばらしいかにも気づきました。

つまり寄生生物は、人間について考え、人間の価値観を理解し、そして人間らしい行動をしていったとも考えられるのです。

次ページでは、田宮良子(寄生生物)が導き出した「答え」についてを読み解きます。

原作で掲げられていた「満足」とは

原作の10巻(完全版では8巻)の第63話「日常の中へ」では、新一のモノローグとして以下の言葉が掲げられています。

「ほかの生き物を守るのは人間自身がさびしいから、環境を守るのは人間個人の満足があるだけなんだ。でもそれでいいし、それがすべてだと思う。人間の物差しを使って、人間自身をさげすんでみたって意味がない」

これは前述の利他主義とも、利己的遺伝子とも違う、「個人の満足」があればそれでいいという考えかたです。


田宮良子(寄生生物)の答え

田宮良子は新一に赤ちゃんを預ける前に「またひとつ疑問の答えが出た」と言っていました。

田宮がどんな疑問の答えを出したのか? それは、「なぜ自分が他者(人間の赤ちゃん)をかばって死ぬのか」という疑問について、「自分が満足すればそれでいい」という答えなのではないでしょうか。

さらに、後藤は「人間のために人間という種を殺している」という満足、ミギーは「新一のために戦い、人間という種のすばらしさを理解できた」という満足……そのように、寄生生物も人間と同じような「満足」を手にしたと言えます。

それは、利他行動でも、利己的遺伝子説でも説明できない、「人間」らしい考えだと思います。

まとめると、映画『寄生獣 完結編』は、原作以上に寄生生物が人間に近い存在だったこと、そして寄生生物が答えを探し続け、ある程度の人間と同じような「満足」が描かれた作品であった、ということです

また、田宮良子の「笑い」は、原作では「嘲笑」という自分のためものでした。しかし、映画では他人(人間という違う種)のための「いないいないばあ」をしたときに微笑みが現れる……それも「人間らしい満足」を示しています。なんと素晴らしい改変なのでしょうか!
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さらに、映画ではもうひとつ、素晴らしいシーンを用意してくれていました。

新一と恋人の里美は、養護施設に預けていた田宮良子の成長した子どもを見に来ていたのです。新一は、田宮良子が「いないいないばあ」をしたときと同じように笑顔を見せ、子どもも屈託のない笑顔を浮かべていました。

それはミギーの言うように他人を思いやる愛おしい行動ではあるのですが、突き詰めれば人間(寄生生物)個人の満足のためとも言えます。

「利他行動」でも「利己的遺伝子」でもなく、ただ「満足」のために行動する。それが人間を含めた生物のすべてであり、それでいいのだと思います。

■映画『寄生獣』公式サイト

【キャスト・スタッフ】
染谷将太、深津絵里、阿部サダヲ、橋本愛、新井浩文、岩井秀人、山中崇、ピエール瀧、
豊原功補、大森南朋、北村一輝、國村隼、浅野忠信

監督・VFX:山崎貴
脚本:古沢良太、山崎貴
原作:岩明均「寄生獣」(講談社刊)
音楽:佐藤直紀
撮影:阿藤正一
美術:林田裕至
キャラクタービジュアルディレクター:柘植伊佐夫
VFXディレクター:渋谷紀世子

(C)2015映画「寄生獣」製作委員会

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