すみれundefined90年東京生まれ。高校までをハワイで過ごす。大学はアメリカ本土のカーネギーメロン大学で演劇を専攻。『新・チューボーですよ!』アシスタントなどテレビ番組で活躍のいっぽう、12年『GOEMON』で舞台デビュー。13年は『二都物語』『エニシング・ゴーズ』のヒロイン役で帝国劇場に出演。(C) Marino Matsushima

すみれ 90年東京生まれ。高校までをハワイで過ごす。大学はアメリカ本土のカーネギーメロン大学で演劇を専攻。『新・チューボーですよ!』アシスタントなどテレビ番組で活躍のいっぽう、12年『GOEMON』で舞台デビュー。13年は『二都物語』『エニシング・ゴーズ』のヒロイン役で帝国劇場に出演。(C) Marino Matsushima

*4ページにて『ボンベイドリームス』観劇レポートを追記掲載*

インドのスラム街に住む青年アカーシュが、ひょんなことからチャンスを掴み、ボリウッド映画にデビューするが、そこは策謀渦巻く世界。マフィアや大プロデューサー、大物女優などそれぞれの思惑が交錯するなかで、アカーシュはどう成長し、夢を叶えてゆくのか…?

アンドリュー・ロイド=ウェバーが心酔するボリウッドの作曲家、A.R.ラフマーンに作曲を依頼し、自らはプロデュースを務めて2002年にロンドン、2004年にブロードウェイで開幕した『ボンベイドリームス』。ロマンスにアクション、笑いに涙、そして絢爛豪華なセットで歌って踊るノリノリのナンバーをふんだんに盛り込み、ボリウッド映画の定型をそのまま舞台に持ち込んだ本作は、初の「マサラ・ミュージカル」として世界的な話題を呼びました。

その日本版初演にあたり、ヒロインに選ばれたのがすみれさん。ハワイで育ち、おおらかで“天然”なキャラクターでお茶の間で親しまれている彼女ですが、昨年『二都物語』『エニシング・ゴーズ』と二本の大作に出演し、舞台女優としても着実に地歩を固めて来ています。米国本土の大学では演劇科で、早朝から深夜までのハードな授業をこなしていたすみれさん。天真爛漫さの内側に秘めたガッツと大きな夢が滲む、彼女のお話をお届けします!

意外に難しい(?)日本語のマサラ・ミュージカルを
歌いこなすコツを研究中

――『ボンベイドリームス』はロンドンとブロードウェイで上演されていますが、いずれかご覧になっていますか?

「私はロンドン版を観ました。激しさと楽しさのある、とても面白い作品だと思いました」

――ロンドン版は「なんでもあり!」のインドの娯楽映画の要素を、そのまま舞台に持ってきたような作品でしたね。

「そうなんですよね。私は今までそれほどインド文化には詳しくなくて、ボリウッド映画を観たり、レストランでインド料理を食べたりといった程度だったのですが、それでもボリウッドの豪華さに驚いたり、独特のダンスや歌唱にとても興味がありました。ですから、今回その世界を体験できるのがとても楽しみです」
『ボンベイドリームス』製作発表では短い踊りも披露。(C) Marino Matsushima

『ボンベイドリームス』製作発表では短い踊りも披露。(C) Marino Matsushima

――製作発表では原田薫さん振付のダンスナンバーが2曲披露されましたが、ボリウッド的というより、ややポップな振付に見えました。日本版の舞台は、どの程度“インド”風になるのでしょうか?

「私の立場ではまだ分からない部分もありますが、荻田さんは“日本でしか見られない『ボンベイ・ドリームス』にしたい”とおっしゃっていて、素敵なアイディアだなと思っています。日本だからこそ、ロンドンやブロードウェイではできない舞台が作れると思いますし、そのほうが日本のお客様も観やすいのではと思います。今、着ている衣裳も、初めて見た時に“和”のテイストが入っているのかな、と面白く感じました」

――インド人に“なりきる”というわけではないのですね。

「もちろんインド的な世界は楽しんでいただきたいけど、エスニックな部分だけでなく、ストーリーも踊りも、あらゆる要素を楽しんでいただけると思います」

――歌稽古はもう始まっているそうですが、ラフマーンの音楽はいかがですか?

「インドの曲って、難しいですね。これまで聴いたことのないようなメロディもありましたし、こぶしが入っていたりして、なかなか体に入るのが難しい。かなりの練習が必要だと思っています。私が演じるプリヤには、映画プロデューサーのお父さんと「新しい時代には新しい映画が必要」とケンカする曲があって、稽古を楽しみにしていたのだけど、歌ってみたらすごく難しかったです。

(具体的には)母音の関係なのか、インド音楽のメロディに日本語の歌詞が乗ると、演歌っぽく聞こえちゃうことがあるんです。『ドラえもん』のテーマみたいに聞こえたりすることもあって(笑)、イメージが違ってきてしまうんですよね。一度そう思ってしまうとさらに意識してしまうのですが、なるべく自然に聞こえるように、ちょっと訛ってみようかなとか、遅らせてみようかなとか、いろいろ研究してやっています。今回が日本初演なので、音楽監督さんや荻田さん、皆さんと実験して作っていくのがすごく楽しいですし、最終的にどんなものになるのか、私もわくわくしています」
『ボンベイドリームス』製作発表にて。(C) Marino Matsushima

『ボンベイドリームス』製作発表にて。(C) Marino Matsushima

――今回が日本での4本目のミュージカルだそうですが、ご自身が課題にしていることは?

「今まではお嬢様だったり、引きこもりだったりと、静かな役が多かったのですが、今回は芯が強くて、思ったことをちゃんと言える女性の役なので、そう見えるよう、しっかり演じたいです。プリヤはお父さんが大プロデューサーでも(臆せず)ものが言えるし、あなたの言うことは違うと言える点で、尊敬できる女性。今はまだ映画界に限らず、女性がトップに立つことって少ないと思いますが、彼女には、トップの映画監督になりたいという夢があるんです。私も、女優としては今後、映画もやっていきたいし、いつか監督とかプロデュースの仕事にもチャレンジしてみたい…おそらく英語圏でとは思いますけれど…という夢があるので、こういう役を演じられることにわくわくしています」

*次ページではすみれさんが演劇に目覚め、大学でハードな演劇修行を積むまでをうかがいます!


ハワイのコミュニティ・シアターで
演劇の楽しさに目覚める

『ボンベイドリームス』

『ボンベイドリームス』

――すみれさんは高校までハワイで育ったのですよね。ハワイの演劇事情はどんな感じでしょうか?

「劇場はあまりないんです。ダイヤモンドヘッド・シアターですとか、いくつかはありますが、規模は小さいですね。でもそういうところで、コミュニティ・シアターという活動がありまして、市民が集まってコスチュームも自分たちで作ったりしながら、作品を上演しているんです。アメリカ本土でも盛んで、ブロードウェイにはコミュニティ・シアター出身の俳優さんもいるんですよ。私も子供のころからそういうシアターを観に行ったり、自分も参加させていただいたりしていました」

――まずは16歳の時、モデルとしてデビューされたのですね。

「計画はしていませんでした。ママと一緒に何かの撮影に行ったら、カメラマンさんに“すみれちゃん、ちょっとメイクして撮ってみようよ”と言われたのがきっかけで、ご縁があって始めたんです。

高校時代に踊った『くるみ割り人形』。写真提供:すみれ

高校時代に踊った『くるみ割り人形』。写真提供:すみれ

女優というお仕事を意識したのはもう少し早くて、中一の時に初めてミュージカルを観て、とても楽しかったんです。歌うことは大好きだったし、ダンスも子供のころから習っていたので、女優さんになるという道もあるなと思いまして。コミュニティ・シアターでお芝居を始めて、大学では演劇科に行って勉強することにしたんです

――進学先はアメリカ本土のカーネギーメロン大学。こちらを選ばれた理由は?

「実際はNYUですとかジュリアードですとか、いろいろオーディションして、もちろん受かったところも受からなかったところもありました。受かったところのなかでどこに行こうかなとなった時に、ニューヨークやロサンゼルスのような都会だと、遊びに行ったりオーディションに行ったりという機会も多いので、もしかしたら勉強に集中できないかな、と思いました。高校の先輩で、ニューヨークの学校に入った方がいらっしゃったんですが、オーディションである作品のワークショップに受かったのだけど、その作品自体が失敗になってしまって(時間を)損してしまった話を訊いたりしていたんです。

カーネギーメロンはピッツバーグという、工場ばかりのスチールタウンにある大学で、他に何もないところなんですけど、だからこそ、都会で脇道にそれてしまうより、勉強に集中できていいのかなと思ったんです。

入学してみると、実際とてもハードでした。朝の7時半から夜中の4時くらいまで、授業、裏のお仕事の勉強、リハーサル、宿題など、毎日やることがぎっしり。ほとんど眠れない時もあったけど、その中で皆が情熱を持ちながらお芝居をしたりレッスンをしたり、本当にお芝居が大好きでという人たちばかりで、私としてもすごくいろんな勉強にもなったし、幸せでした」

――アメリカの演劇学校というと、『コーラスライン』のディアナのエピソードを思い出してしまいますが、「ソリになってください」「アイスクリームになって」的なメソッドの授業、ありましたか?

「そういうのもありましたし、もちろん歴史とかの講義もあります。でも、何グループかに分かれて、自分たちで1週間かけて作品を作ったりといった、自由な課題もありました。一人で複数の作品に参加することもできるんですよ。『フェイム』『コーラスライン』で観たような光景もあったけど、それよりもっと面白い部分もありました。

でも、その学校ではアジア人は私だけで…はじめはもう一人、中国人がいたのだけど1年でいなくなってしまって…やはりハワイのような、アジア人も多くていろんなところから人が集まっている場所とは違って、そこは白人かアフリカ系しかいないようなところで差別のようなものもあり、ちょっと孤独感があったり、3.11(東日本大震災)もありまして、心境の変化があったんです。2年生まで終えたところで、自分の中でこの大学を十分経験できたと思って、いったんハワイに帰郷しました。そこで初心に戻ってから日本に渡ったんです」

――ブロードウェイに挑戦しようとは思わなかったのですか?

「もちろん、いつかは行ってみたいです。私の夢です。でも、大学に行っていたときに、私の国籍は日本なのに、考えてみれば言葉もほとんど話せないし、文化も礼儀作法も分かっていない、と思ったんです。ここで挑戦しないと、と思って帰国しました」

――はじめはほとんど言葉が話せなかったとなると、当初は大変だったと思いますが、どうやって乗り越えたのですか?

「最初は凄く落ち込んだり、自分に“バカ”と言ったりしていた時期もあったんですが、やはりママや友達、共演者、スタッフさん、事務所の方々など、周りの方々の助けがありました。精神的に追い詰められたときにはハワイや、ママの故郷の京都に行ってリラックスするようにもしていました。でもやっぱり勉強が必要だと思ったので、自分で調べたり、誰かから新しい単語を聞くとノートするようにしていました。

あとは、字幕が勉強になりました。映画を観て英語を聞きながら字幕を見る、逆に日本語の映画を観て英語の字幕を見る、というのがすごく役立ちましたね。音楽も、日本の曲は歌詞の中に“一期一会”のような四字熟語やメタファーが出てきて日本語の勉強になりました」

*次ページでは昨年出演した話題作の『二都物語』『エニシング・ゴーズ』、そして今後のヴィジョンをうかがいました!

日本で演出を受け、言葉を超えた“日本人の感性”を実感

『二都物語』写真提供:東宝演劇部

『二都物語』写真提供:東宝演劇部

――多くのミュージカル・ファンが『二都物語』で、舞台女優としてのすみれさんを知ったと思います。主人公の弁護士シドニーと、青年貴族のチャールズの二人から愛される令嬢、ルーシー役でした。

「オーディションで『二都物語』『エニシング・ゴーズ』両方の歌を歌って、ほぼ同時に合格しました。『二都物語』のディケンズの原作は以前から知っていて、『レ・ミゼラブル』の時代ですし、とても重い話なので演じていて精神的に大丈夫かな?と思ってたんですけど、共演の井上芳雄さんや健ちゃん(『ボンベイ・ドリームス』でも相手役の浦井健治さん)、今井清隆さん、めぐ(濱田めぐみ)さんといった皆さんが、大先輩なのに家族みたいにかわいがってくださって、お陰様で賑やかにその期間を過ごせました。皆で支え合ってやっていましたね。

音楽もすごくきれいで、私が歌う一曲だけフランク・ワイルドホーンの作曲なのですが、この『Never Say Goodbye』という曲にはまってしまって、マムや友達にも「この曲いいでしょ~」ってメールしたりしていました(笑)。楽し気で、意外ですか? 作品が重かったので、毎日舞台が終わるごとに一度“すぽーん”と役を自分から出さないと、精神的にもたなかったと思います。そういうふうに、仕事とプライベートは別々にしないといけないということを学んだ作品でした」

――舞台人たちの憧れである帝劇という舞台に、新人として上がった気分はいかがでしたか?

「本当に緊張しましたし、私でいいんですかという気持ちももちろんありました。でも、小さいころからのダンスや歌のレッスン、演劇学校でのトレーニング、それらの積み重ねでここに来れたんだなと思いましたし、すばらしい音響の劇場で、大勢のお客様の前で歌わせていただくことで、ここが私の居場所なのだと、一瞬だけでも思えました。自分が一番生き生きできる場がステージなんだと再確認できました」

――『二都物語』の演出は文学座の鵜山仁さんでした。アメリカ人の演出家とは違いましたか?

「アメリカ人の演出家はとにかく思ったことをばーっとおっしゃる方が多くて、かえって意図が分からない部分もあるんです。でも日本人は繊細な表現をして下さるので、分かり易い。鵜山さんもアイディアをきちんと言葉にして伝えて下さるんですが、それが“一味違う”表現なんです。

例えば、井上さんが歌を歌う時に“きらきらしている場所に行くというより、ディズニーランドに行く感覚で”とおっしゃったんですが、それで井上さんの表情が全然変わったんです。一味違う表現だからこそ、こんなに違う表情が引き出されたのかなと感動しました。私はまだ日本語のヒアリングに制約があるので、その点で不安もあったのですが、意外に通じ合える部分が多くて新鮮でしたね。やっぱり、心の中は日本人なのですね」
『エニシング・ゴーズ』写真提供:東宝演劇部

『エニシング・ゴーズ』写真提供:東宝演劇部

――そして次が『エニシング・ゴーズ』。コール・ポーターの名曲に彩られた、はちゃめちゃなコメディで、またしても令嬢役でした。

「『二都物語』とはがらりと違う作品で、リフレッシングでした。音楽も有名で昔からよく聞いていましたし、とてもやりがいがありました。でも私の役はダンスが少なくて、ちょっとさびしかったかな。私は3歳からバレエをやっていたので、ダンスが一番自信を持ってできるんです。歌の方が緊張したり怖がったりしてしまいます。す。今回の『ボンベイ・ドリームス』もあまり踊らない役のようで、ちょっと残念ですね」

――すみれさんはどんな作品がお好きなのですか?

「コメディが好きなのですが、これまで演じてきたのはシリアスな作品が多いですね。『二都物語』もそうですし、その前の『tick tick,boom!』も、亡くなった作曲家さんのお話でした。学生時代にも、鬱病になってしまった人の役を演じたりしていました。でもそういう経験があるからこそ、コメディにはとても興味があるし、どんどんやってみたいですね。海外の映画だとコメディばかり見てますし、バラエティもよく観ています。ミュージカルでもコメディだったら絶対観に行くタイプです。

高校時代に演じた『The Foreigner』という作品(オフ・ブロードウェイ上演の人気コメディ)もすごく好きですね。稽古しながら毎日爆笑していました。シェイクスピアの『十二夜』なども好きです。でも演劇って、シリアスな作品でもどこかに笑える部分が入っているんですよね。『RENT』もそう。そこで観客をリラックスさせてからまた哀しい場面に戻る。ぜひたくさん演じたいです」

――今後はどんな表現者を目指していますか?

「いろんなことをやっていきたいです。舞台ももちろんやりたいですし、トークのお仕事もやりたいし、それプラス、新しいチャレンジも重ねて行きたいです。人間誰しもそうかもしれないけど、何かしら違う空気を体に感じたり、違う世界に入ってみることで、もといた世界により感謝できたり、そこを新しい視線で見たり、よりよく出来るのかなと思います。いろいろチャレンジしていくなかで、それらが繋がっていて、バレエをやっていたから歌にも生きるとか、歌をやっていたからお芝居にも生きるとか、そういうことってあると思うので、いろいろやりたいなと思います」

――バラエティ番組に出ていらっしゃるすみれさんも素敵なのですが、舞台女優としてはもったいないような気もします。もっと舞台のお仕事をなさればいいのに…と。

「私も、舞台のほうが自信はあります。でも、だからこそバラエティをやったりして、トークとか、苦手なところを磨きたいんです。突然台本をいただいても、日本語に自信がないと演技はなかなか難しい。でも今は台本も読めるようになってきましたし、ヒアリングも理解できるようになってきましたので、お芝居、歌、映画、ドラマと幅広くチャレンジしていきたいです」

――ホームグラウンドは日米のどちらとお考えですか?

「アメリカと日本、両方で立っている感じです。この前初めてアメリカのドラマに出演させていただいて、それもあってハワイに帰ったりもしたんですけど、これからも必要とされるときに日本、アメリカを行き来できたらと思います。日本でもこれから、ミュージカル映画や『グリー』みたいなミュージカル・ドラマが生まれたりするんじゃないかな。ぜひそういう場に関わって行けたら嬉しいです」

*****
ほっそりとした長身ながら、大きく、堂々とした発声がいかにも「舞台人」らしいすみれさん。誰もが親しみを覚えずにはいられないその朗らかさは、『二都物語』『エニシング・ゴーズ』の令嬢役でも発揮され、特に前者では主人公が重大な決断をするきっかけの存在として、大役を果たしていました。日米で道を切り拓きながら、ブロードウェイやプロデュースといった「夢」に少しずつアプローチ中の彼女。インドの新時代、そして希望を象徴するような『ボンベイドリームス』のヒロイン役は、きっとすみれさんにとっても、女優としての新境地となることでしょう。

*公演情報*
ボンベイドリームス』2015年1月31日~2月8日=東京国際フォーラム ホールC 2月14~15日=梅田芸術劇場メインホール 

*次頁で観劇レポートを掲載しました!*

現実の“ほろ苦さ”に光をあてる
日本版ならではのインド・ミュージカル

『ボンベイドリームス』撮影:宮川舞子

『ボンベイドリームス』撮影:宮川舞子

インド・ミュージカル映画界の影のスターともいえる作曲家、A・R・ラフマーン。彼の“コテコテ感”溢れる音楽とインド映画さながらの振付に彩られた『ボンベイドリームス』は、2002年にロンドンで開幕、現地に多数在住するインド系の人々はもちろん、筆者を含む多くの人々をとりこにしてきました。

その民族色の濃さゆえに来日キャスト版でなければ日本上演は無理かと思われていた本作ですが、初演から10年以上を経て満を持して登場した日本版は、「なるほど」と唸らせる独自の風合い。冒頭の「ボンベイドリームス」や中盤の「シャカラカ・ベイビー」といったショー要素の強いナンバーでは、ロンドン版が前者ならスラムの人々、後者では撮影している映画のキャスト…と、その場面に「いるはずの人々」に出演者を限定していましたが、日本版ではそれにこだわらず、主だったキャストは全員参加。音楽や振付もどこまでも正統派インド・ミュージカルを追求するというより、ヒップホップ的な音を取り込むなど、誰もが入り込みやすい、おおらかな作りとなっています。
『ボンベイドリームス』撮影:宮川舞子

『ボンベイドリームス』撮影:宮川舞子

その一方ではロンドン版がインド・ミュージカル映画同様、「実人生はつらく苦しい、だからこそここでは夢を見よう」とばかりに突き抜けた絢爛世界に重きを置いていたのに対して、日本版ではより、社会の抱える矛盾や影の部分を浮き彫りに。お互いに惹かれあいながらも身分が異なり、単純には未来を考えることができないアカーシュ(浦井健治さん)とプリヤ(すみれさん)、愛する人を守りたい一心でダークな世界に入り込んでゆくヴィクラム(加藤和樹さん)らの姿を通して、楽しいばかりでなく、ほろ苦い余韻を残す舞台を作り上げています。
『ボンベイドリームス』撮影:宮川舞子

『ボンベイドリームス』撮影:宮川舞子

アカーシュ役の浦井さんは“スラムの住人から一夜にして銀幕のスターへ”と駆け上がるにふさわしい煌めきと、溌剌とした歌、ダンスを披露するだけでなく、夢をかなえたことで逆に自身を見失いかける若者像を起伏豊かに体現。プリヤ役のすみれさんも、独立心旺盛な箱入り娘が一人の社会人へと成長してゆく様を、父親との口論ナンバー、揺れる思いを吐露するソロ、そして幕切れのデュエットを通してこまやかに表現しています。憂いと襞のあるその声は一昨年の出演作と比べてもいっそう力強いものとなり、とりわけ「Only Love」の深み或る歌唱は、ロンドン版のオリジナル・キャストより魅力的。その目覚ましい進化に、今後の活躍がますます期待されます。
『ボンベイドリームス』撮影:宮川舞子

『ボンベイドリームス』撮影:宮川舞子

またロンドン版との最大の違いともいっていいヴィクラムの人物像には、加藤和樹さんがその骨太の存在感で説得力を与え、インタビューでおっしゃっていたように単純な悪役ではない造型となっています。ロンドン版では終盤の「ウェディング・カッワーリー」で踊る程度だったこの役ですが、今回は2幕冒頭の「チャイヤ・チャイヤ」と「ウェディング~」で歌声も披露。後者はマフィアのボス、JK(阿部裕さん)とのデュエットで、悪に囚われた人間の狂気を、中低音から高音まで張った声のまま往来する独特の歌唱とダンスで魅せています。

加えて、今回はスラムの長老で住人たちの“母”的存在であるシャンティを、久野綾希子さんが演じているのも嬉しいキャスティング。虐げられた者の芯の強さと慈愛が滲む歌と演技に、彼女がかつて陰影深く演じた『キャッツ』日本初演のグリザベラ役が思い出されます。“長老”役の彼女がダンスナンバーで他のキャストに溶け込み、ノリノリで踊っていたのには驚かされましたが…。

今回の公演では、カーテンコールの終わりに皆で「シャカラカ・ベイビー」を歌うというのが一つの趣向。振付は公式HPでも紹介されていますが、上半身だけならひとむかし前の“パラパラ”のような、比較的覚えやすい手踊りです。“同じ阿呆なら…”ではありませんが、ちょっとだけ予習しておけば観劇時の楽しさも倍増。帰途はきっと“シャカラカ・ベイビ~、シャカラカ・ベイビ~”のサビが体内を駆け巡ることでしょう。
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